第2話
「失礼します」
引き戸を引いて室内に入ると、独特の匂いが鼻腔をついた。
「クレゾール石ケン液の匂いだね。代表的な消毒液の一種なんだ」
私はこの匂いが嫌いではない。昔通った耳鼻科でお世話になった、優しい先生を思い出すからだ。
「どうぞ座って」
勧められ、丸椅子に腰かける。長机を挟んで対面に座る八雲先生は常ににこやかに笑っていた。
「お茶飲むかい?あったかいやつ」
「…あ、いえ、お構いなく」
「まぁまぁ、遠慮しないで」
そう言って立ち上がり、食器棚へと歩き出す。緊張を和らげようとしてくれているのかもしれない。
「僕も喉が乾いていたんだ」
少しして、湯気の立つ湯呑と何種類かのお茶菓子が運ばれてきた。
「このお菓子ほんとは佐藤先生のだから、食べちゃったの内緒ね」
無邪気に笑い、チョコレートを口に含む。ここが保健室兼カウンセリングルームになったのは最近のこと、八雲先生がスクールカウンセラーとして赴任してからだそうだ。
「それにしてもびっくりしたよ。校内を戸締りしながら見回っていたら、立ち入り禁止の屋上に人影が見えたんだもの」
「…すみません」
「あぁ、いやいや、怒ってるわけじゃないんだ」
八雲先生は大袈裟に手を振った。対面して一対一で話すのはこれが初めてだから、カウンセラーとしての技量は分からないけれど、少なくとも敵意は感じない。
「屋上の端に立つ君がとても悲しそうな顔をしていたから、何か並々ならぬ事情があるんじゃないかと思ってね」
担任の先生に相談して以来人に言うのが少し怖くなっていたけれど、この人になら話せるだろか。
「…じつは私」
いじめられていること、それが最近エスカレートしてきていること、担任の先生にもクラスメイトにも助けてもらえないこと、親に知られて余計な心配を掛けたくないこと。
そして、もうどうすればいいかわからないこと。
話の途中で感情が昂って涙がこぼれた。思い出せば思い出すほど辛くなり、言葉の代わりに嗚咽が漏れる。
言葉にならない声で、ぐちゃぐちゃな文法で、聞き取りづらい私の話を八雲先生は、時おり相槌をうちながら最後まで聞いてくれていた。
遮られ、否定され、無視をされ続けた私の存在が、肯定されたのはいつ振りだろう。
「辛くなった時でも、そうじゃない時でも、またいつでもいらっしゃい」
その言葉に、私はまた泣いてしまった。
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