二面世界にて。
水無瀬 涙
女
私は死んでいた。といってもそれは比喩だけれど。
ふんわりとした石鹸の香りに包まれて、私は死んでいた。
ただ眠くて、睡魔の抱擁を素直に受け入れていた。
でも光が邪魔だった。睡魔という悪魔は光を嫌う。腕でそれを遮った。
全てを黄金に染め上げる日の光が、今、私の顔を覆う腕を流れている。
暖かい流動が、ゆっくりと。
悪魔と光の共存はとても心地よかった。ずっとこのままでいたい。
戦いたくなんてない。誰にも死んでほしくない。もちろん死にたくもない。
人間として普通の感覚だろう、と言い聞かせた。
しかし現実は残酷で。何人かは私のために死んだ。
ただ普通の生活をしたいだけ。彼と一緒に。
涙はもう出てこないけれど、喉が締め付けられる。
ただ、とても悲しかった。
突然、頬に温かさを感じた。
軋んだベッドの音が、すぐ下から聞こえた。
頬に感じた温かさは、そのままゆっくりと私の頬を撫でる。
愛するように。ただ優しく。
『生きてるよ』
ため息を吐き出すように言った。
ありえないくらいに細い声だった。
不安でしかなくて、押しつぶされそうだ。
『そうか』
温かさは、優しく私の頬を包み込む。
真っ暗な不安の中、それがあまりにも嬉しくて。
『死んだらそっちが困るでしょ』
腕を下ろし、真っ白な天井を、ただ見つめた。
暖かい流動が、一瞬目の前を真っ白にした。
一瞬の別世界。思考は淡白だ。
言いたいことって案外言えないものだ。
ならばせめて笑っていたい。
『まあな』
温かさが離れていく。追いかけたくなる衝動を抑え込む。
『そのままにしててもよかったのに』
まぎれもない本心。
彼の目を見れば、口からは勝手に言葉が漏れる。
彼は私の目を見てくれていたけれど、何も言わなかった。
でもきっと本心だって気づいている。
大丈夫。時間はある。
もう一度眠りにつくために、寝返りを打った。
寝返りを打った背中に、日の光が流れている。
私はただ、彼が好きだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます