第1章

魔導執行官

 古来より『魔』という力が振興された世界――。

 それは人々に繁栄をもたらせたのと同時に、過ぎた力は人々の心や身体からだを蝕むものだった。

 富と繁栄の象徴と揶揄されるエルリエル帝国領最大の娯楽都市『グローズランドシティ』は別名『ナイトメアシティ』と呼ばれ、魔法犯罪の蔓延る深淵と化していた。

 ギャング、魔薬、殺人、レイプ、売春、強盗――。煌びやかな世界の裏では必ずと言っていいほど"悪"も肥える。それはまさに光と影の関係。この都市も決して例外ではなかった。


 グローズランドシティから約30マイル離れた場所に帝国最大の魔法犯罪者及び凶悪犯専門の刑務施設『ゲファルト』がある。収容人数1,000人の巨大施設ではあるが、常に過剰気味であった。特に多いのは魔法犯罪や魔薬絡みの事件だ。

 これは極めて異常なことであり、都市の領主をはじめとする帝国の上層部はこの事態に頭を抱えていた。


 魔法犯罪の厄介さはほとんどは犯人が魔法を使えること。旧態依然とした通常兵器では歯が立たないことも多い。そこで帝国は通常の看守や警察などとは別に、魔法犯罪を未然に防ぐ事を最優先とした『魔導執行軍ブリッツ』を組織し、刑務所に配置した。警察のような捜査権を有し、軍人のように武装し、刑務官のように囚人を管理する。


 ――人は彼らを『魔導執行官ブリッツフォース』と呼んだ。



 ♦



 蛍光灯が薄い灰色の壁に反射し、より明るく感じる廊下がずっと先まで続いている。一番奥の突き当りに小さな窓があるが、他に窓らしい窓もない閉塞された空間という言葉がぴったりで、イメージ通りの行刑施設といったところか。

 所々に鉄格子の扉があり、カードキーを使って開錠するようだった。


 僕の前を、長いブロンドの髪を丁寧に一つまとめ、凛々しく美しい顔つきをした女性看守がヒールをコツコツと鳴らせながら堂々と歩いている。他の看守の前を通る度、帝国式の敬礼をされていた。恐らく割と上の階級なのだろう。歳も僕とそこまで離れていないと思うが、単純にすごいなと感心するばかりだった。

 他の部屋の扉より少し厳重に作られている扉を前に着くと、その女性は扉をノックした。


「ネルドマン看守長、新人を連れて来ました」

「入りなさい」


 要塞のような鉄の扉が金属音を響かせながら開くと、木製のデスクの後ろに強面の男性がどっしりと座り構えていた。6.5フィートほどありそうな身長と軍服の上からでもわかる隆起した筋肉の分厚さが彼自身の雰囲気を構成している一つだと明確に判断できる。なにより立派な木製のデスクが小さく見える。

 僕を連れて来た女性は、部屋へ入るなり帝国式の敬礼をした。


「君もそんなところに立っていないで入りなさい」


 僕は慌てて部屋に入ると、自動的に鉄の扉が閉まった。

 ネルドマン看守長は一瞬だけ僕にチラッと視線をやると、山積みになっている資料の一番上からバインダーを取り、目を通し始めた。


「君が、『神藤・タケル・ヘルゴラント』だね。所長から話は聞いている。神藤という家名ブランドネーム……どこかで聞いたことがあるな」

「……えっと、それは……」

「たしか、新倭大国しんやまとたいこくではこういったものを付けると聞いたことがあるが、どうかね?」

「……ああ、はい。父が新倭の出身でして、代々受け継いで来たものだと伺っています」


 僕は一瞬、ネルドマン看守長があの事件について知っているのではないかと思ったが、どうやら思い過ごしのようだった。

 バインダーを閉じると、背もたれから起き上がり、両肘を机につけ、両手を組み、顎を乗せた。第一印象よりは僕に興味を持ってくれたという事だろうか。


「そうか。新倭だと『魔法』の事を『妖術』と言うそうだね。原初は同じだが全く別の進化と遂げた魔法技術だと聞くが……君も使えるのかね?」

「ああ、まあ、はい、一応……」

「はっきり答えろ神藤、看守長に失礼であろう」


 僕の不明瞭な回答に焦れたのか、僕を連れて来た女性は少し荒々しい口調だった。


「まあまあ、ジュリス部長。私は気にしていない」

「しかし……」


 ネルドマン看守長は顔に似合わず、優しいという印象に変わった瞬間だった。これこそ失礼かもしれないが……。


「履歴書を見る限り、君の技量を疑う余地もない。その若さで『三等帝国魔導博士』とは大したものだ。君の『固有技能ユニークスキル』も興味深い。しかし、ここでは想定外の事が起こり得る。君も覚悟があって魔導執行官ブリッツフォースになった、ということも重々承知の上であえて言わせてもらう……」


 5秒、いや10秒くらいだろうか。看守長が次の言葉を溜めた時間がやけに長く感じた。


「ナイトメアシティ周辺からこの施設に至るまで、凶悪犯罪者達の巣窟。常に危険と死が隣り合わせだ。犯罪者やつらは新人だろうがなんだろうが関係ない。新人だからといって手を抜くこともなければ、逆に絶好の標的となるだろう。自らの力を過信しすぎるな。しかし、自身は持て。そしてなにより、死ぬな。以上だ」


 改めてその言葉を聞くと"死"という概念が僕の心に鋭く突き刺さる。無敵の軍隊『魔導執行官ブリッツフォース』と言えども、年に数人殺される事件が起こるそうだ。それは施設の中だけでない。ここで働く以上、様々な組織から狙われる対象となってしまう。施設の外でも油断はできない。そして、仕事を辞めたあとも危険は続く。

 看守長との顔合わせが終わると、ジュリス部長は"待機室"と呼ばれている部屋に僕を連れて行った。部屋に入ると、一人の若い男性が長テーブルの一番奥のパイプ椅子に腰かけ、読書をしていた。


「待たせたな、ライアン」

「いえ、私も定時に到着したばかりです」

「そうか、こいつが先日話をした神藤だ。予定通りお前にこいつのをしてもらう。異存はないな?」

「はい。謹んでお受けいたします」


 ジュリス部長は振り向くと僕の肩にポンと手を乗せ、後のことは全てライアンから聞け、と一言だけ発すると、そさくさとその場を後にした。ヒールの音がかなり遠くになった事を確認すると、ライアンは一気に肩の力を抜いた。


「だはぁ~、いや~、俺苦手なんだよね、ジュリス部長って」

「なんていうか、ちょっと怖いですよね……」


 僕が苦笑いをすると、ライアンもつられるように苦笑いをした。


「まあ、今日は機嫌がいい方だな。大きな声じゃ言えないけど、ヒスってる時は手が付けられない」


 ライアンは一見すれば好青年というよな顔立ちで、看守よりコーヒーショップのウェイターが似合いそうな雰囲気だ。特にネルドマン看守長と比べてしまうと、屈強な男というイメージからはかけ離れている。まあ、僕も人の事は言えないが。


「えっと、自己紹介がまだだったね。俺はライアン・シュートレンジ。ヤンガーバーム出身だ。歳は26で、ここには一昨年から配属になった。一応、君の教育係で、ブリッツ第8部隊のリーダーを任されている。よろしく」

「神藤・タケル・ヘルゴラントです。バイドオーガン出身、歳は20です。よろしくお願いします」


 ライアンに差し出された手を握り、握手を交わす。見た目によらず、というと失礼だが、それなりに経験を積んだソレなのだろう。いくつか硬い肉刺まめがあり、皮膚も硬化しているようだった。今まで勉強しかしてきていなかった傷一つないやわらかい僕の手を握ったライアンはどう思ったのだろうか。


「バイドオーガン?確か国境沿いのでっかい魔法都市だよな?なんだっけ?あの結構有名な魔導大学……」

「アネスティオ魔導大学ですか?」

「そう、それそれ!神藤はそこの大学?専門は?」

「はい。専攻は魔法心理学科で、主に精神干渉魔法の研究をしてました」

「なるほどね、精神干渉魔法か。そりゃ監獄うちにぴったりの魔法だな」


 施設案内も兼ねて歩きながら僕の自己紹介は続いた。それを聞いてライアンも自身の能力についても話をしてくれた。彼は大学などは出ていないが、高校時代に魔法競技部に所属し、魔法三種目競技で全国2位に輝いたそうだ。得意分野は荷重操作系の魔法で、古武術の有段者ということだ。

 やはり犯罪者や暴徒を相手にする職業柄、"普通の人"の方が少ないのかもしれない。そう考えると、今まで勉強しかしてこなかった学者気質の僕に本当に勤まる仕事なのだろうかと不安を拭いきれない。


「しかしまぁ君も物好きというか……珍しいな。俺が言うのもなんだが、君は軍人なんて柄には見えないけど」

「はは……僕もそう思います。実際、護身用の格闘技ケンプファーしか身に着けませんし、実戦経験もないです。でも、どうしてもココじゃなきゃ駄目なんです!」


 僕は自分でも驚くほど大きな声を出してしまっていた。あまりにも真に迫るような僕に声にライアンは面食らった様子で、目を大きく見開いていた。


「えっと……理由は聞いても?」

「ええ……まあ……でも少し長くなりますが、いいですか?」


 ライアンは少し間をあけると、首を横に振った。


「いや、今はいいや。いづれ話す機会もあるでしょ」


 ライアンはそれ以上、僕の過去に降れるような質問はしなかった。

 1階へ降りて、入口から広がる大きなロビーに戻ると、ライアンは施設マップが表示されている電光掲示板の前に立つ。施設の全体像を指さしながら、大まかな施設構造を解説する。


「まずはそれぞれの施設の名称と特徴を覚えてもらう。一応、事前資料は貰っていると思うが、帰ったら復習しておいてくれよ」


 マップの中央にある三弁花のような形をしている施設が、今僕たちがいる中央棟で通称『ケルベロス』収容人数は700人。施設最大の建物だ。魔法犯罪者が収容されている施設であり、魔法封じの結界と独房内部は魔法のエネルギーでもある『マナ』を吸収する特殊な人工鉱石を用いて建設された、帝国唯一の魔法対策の施された施設。

 魔法使いを専用の拘束具無しで収容することは極めて危険である。魔法はその気になれば簡単に人を殺せる技術だからだ。魔法犯罪者は例外なく、火あぶりの刑、つまりは死刑に処される。更生プログラムはない。公での魔法行使は免許が必要であり、許可された敷地以外での行使、または無免許での行使は殺人より罪が重い。

 理由は簡単だ。魔法の強度や範囲によっては国家転覆を謀られかねないからだ。


 以降は通常棟と呼ばれ、それぞれ収容者に特徴がある。

 マップ左上にある三角形の建物は『ズンダ』と呼ばれ、主に10年以上の有期刑が科せられた者が収容される施設。基本的に凶悪犯として認知されている人物が各地から集められる場所でもある。左下にある四角形の建物は、有期刑20年以上、または魔薬中毒者が収容されている『ドーガー』。そして、マップ右下にある楕円形の建物が、終身刑や通常の死刑囚を隔離している『エコー』。僕の母はここにいる。


「ん?どうした?ちょっと顔色悪いぞ?」

「いえ、大丈夫です」

「まあ、初日だからな。気にするな!じゃあ次は同じ第8部隊なかまを紹介する。ついて来い!」

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