ブラコンの姉は僕の死霊です
岡崎厘太郎
プロローグ
母が姉を殺した日
自然と人工物が調和する魔法都市『バイトオーガン』はエルリエル帝国領と
いつもと同じ、いつもと変わらない暖かい日差しの中、僕は家の庭で姉である『カスミ・ヘルゴラント』と遊んでいた。
「じゃあ次はかくれんぼね!」
「うん!じゃあ僕が鬼をやる!」
「10数えたら探しに来てね。よーい、どん!」
いーち、にーい、さーん、しーい、ごー……。
「じゅう!よーし、探すぞー!」
まず僕は家の中を探す事にした。玄関からリビングへ向かい、足の長いテーブルの下や、テレビの裏を確かめた。そんなところにいるはずもないとわかってはいたが、おてんばな姉のことだ、意外な場所にいるかもしれないと普段は気にも止めないような場所まで探した。
台所、お風呂場、トイレ、二階に上がり、自分達の部屋、両親の寝室、物置、どこを探しても姉の姿はなかった。
「お姉ちゃん……どこぉ」
どうしても見つからない僕はとても心細くなったのを覚えている。
一階に戻ると、ふとまだ調べていない場所があると気付いた。父から絶対に入ってはいけないといつも言われていた地下室だ。
地下室は大学で錬金術を教える父の研究室にもなっている。危ない薬品や、貴重な書物などが置いてあるため、普段はカギがかけられ、近づくことも許されていない。
地下室へ伸びる階段を一歩一歩降り、地下室への扉の前に立つ。しかしいつもなら南京錠でカギがかかっているはずの扉にカギが付いておらず、扉が数センチ開いていた。
「あ!お姉ちゃんだな……!」
父がカギを閉め忘れるはずがない。母もここには近づかない。ならば、こうしてカギが開いているのは姉しかいないと、この時はなぜかそう思ってしまった。
それでも普段は絶対に入ってはいけないと言われている場所。姉を探すためとはいえ、好奇心よりも恐怖心が僕を支配する。自分の身長よりも少し高い位置にあるドアノブに背伸びをして手をかけ、ゆっくり扉を開けると、古い
真っ暗な部屋は数十センチ先も良く見えない。うっすらとテーブルや本棚が確認できるが、それ以上は本当に何も見えなかった。
「……お姉ちゃん?……いる?」
恐る恐る部屋の中に入ると、地下室の扉がいきなりバタンとしまり、目の前が真っ暗になった。
僕は慌てて、出ようとしたが、目の前が真っ暗で何も見えず、方向感感覚を失い、慌てていたせいか、手を伸ばしてもなかなかドアノブが見つからない。
すると、ドアの外、ずっと遠くの方から姉の声が聞こえた気がした。
「お姉ちゃん!僕はここだよ!助けて!」
しかし、先ほどの声は気のせいだったのか、僕の声は地下室に空しく響き、闇へと消えていくばかりだった。
段々と目が慣れ、ドアノブの位置が薄っすら確認でき、すぐに外にでた。数分くらいしかいなかったが、恐怖に打ちひしがれた僕は二度と地下室へはいくもんかと誓ったのだった。
家の中には誰もいないと確認した僕は、玄関から表庭にでた。
平日の昼間は車も人通りも少ない。バイトオーガンの中でも田舎町に属する僕の家は相変わらずのどかな風景が眼前に広がっていた。
ふと、裏庭から姉の声と、母の声が聞こえた気がした。
「あ!お姉ちゃん、僕に内緒でママと遊んでるな!」
かくれんぼの途中ということもあり、姉を驚かせてやろうと思い、僕は忍び足で裏庭に向かった。物陰に隠れながら、裏庭を確認すると、この時期いつも姉と遊んでいた大きなゴムプールの前で一人立ち尽くす母の後ろ姿があった。
「マ……」
母に声をかけようとしたその刹那、母はプールに何かを沈めているのがわかった。赤地に白のドット柄の服には見覚えがあった。それはさっきまで一緒に遊んでいた姉のそれであると直感した。
バシャバシャと抵抗する姉の顔を手でがっしり押さえつけ、母は姉をプールに沈めていたのだ。
僕は一体何が起きているのか分からなくなり、同時に怖くなり、後ずさりすると運悪くカエルのおもちゃを踏んでしまい、ピーと、おもちゃの音が辺りに響く。
僕は今でも思い出す。音に気づき振り返った母の目は赤黒い光を放ち、鬼のような形相で僕を睨む母の顔。アレは僕の知っている母ではなかった。
僕の事を気にする素振りもなく、プールへ振り返ると、いよいよ姉は動かなくなった。
僕は何が起こっているのか理解できず、ただただ立ち尽くすしかなかった。
すると母は突然大声で叫びだし、姉をプールから抱き上げた。
「……ああ!カスミ!なんてこと!そんな!嘘よ!」
母はとても取り乱しているようだった。さっきまでの鬼の形相が嘘のように、必死で我が子を抱きしめ、生存を祈っているようだった。
すぐに母は携帯でどこかへ電話を掛けていた。
十数分後、救急車と警察が駆けつけ、姉は救急車へ、母は警察と事情聴取を受けていた。僕はずっとその場で立ち尽くしていると、ポンポンと背中を叩かれた。
振り向くと、やさしい顔をした警察の人だった。彼は僕の目線に合わせ中腰になった。
「大丈夫?……お姉ちゃん、きっと助かるから……大丈夫だよ」
僕は、この時混乱していたのかもしれない。しかし、頭の中は妙にクリアだったような気がしたと覚えている。何が真実で、何が良いことで、何がいけないことなのか。二桁に満たない年齢だったが、僕ははっきりその事を覚えている。
「ママが……」
「ん?お母さんがどうしたの?」
「ママがお姉ちゃんを殺した」
「え?……今なんて?」
この日、母が姉を殺した。僕の目の前で。
◆
母の初公判の日、僕は証人として法廷に立つことになった。
当然、当時はそんなことわかるはずもない。ちょっと怖い顔した警察のおじさんが2、3人、精一杯の作り笑いをして、ある場所で、事件当日の出来事を話してくれるだけでいいと言われた。僕はその深い意味も知らず、ましてや、母を2度裏切る事になるなんて想像もつかなった。
でも、もし、大人になった今、同じ状況になった場合、僕はきっと同じ事をしただろう。これは犯罪だ。仕方のないことだ、と自分に言い聞かせて……。
普通の裁判なら子供だった僕の証言なんて信用に欠け、証拠にすらならないだろう。
しかし、何故かこの時は違った。僕が警察に言った一言がきっかけとなり、ただの事故で済むはずだったこの事件が、殺人へと動いていったのだ。
「さぁ、タクミ君、ここに座って。これがマイクだよ。しゃべる時はここにね」
自分の身長の何倍もある大きな机を前に僕は少し怯えていたと思う。
検事さんが僕にいくつか質問をした。
「あの日、君は何をしていたの?」
「お姉ちゃんと遊んでた」
「どんな遊びかな?」
「ヒーローごっこして、かくれんぼ」
淡々と質問が繰り返され、僕もただ聞かれたことに答えていく。
「その時おかあさんはどこにいたの?」
「わからない」
「家の中じゃないの?」
「どこにもいなかったよ。かくれんぼでお姉ちゃん探してたから」
「台所には?」
「いなかった」
この事を思い出す度に僕は迷う。真実は時に残酷なもので、知らない方が幸せなのではないかと。
「君のお姉ちゃんを殺したのは誰?」
「……ママ」
「本当に?」
「うん。ママを間違うわけなじゃん」
「じゃあこの部屋にママはいるかな?」
「いない」
「なんで?」
「刑務所にいるから」
検事さんは優しく僕の肩を叩くと、一指し指を僕の目の前に出す。その指をゆっくりと左に動かし、僕の視線を誘導した。
「じゃあアレは誰かわかる?」
視線の先には、母がいた。頬がこけた顔をうつむかせ、肩を震わせ、目が上下左右に泳ぐ母の姿だった。
「……ママ……」
母を見た瞬間、僕は大泣きした。そして、唐突に理解した。これは母を裁くための何かであり、僕はそれに加担したんだと。
「裁判長、この子はまだ幼い。信憑性に欠けるかもしれない。しかし、この証言台に立った勇気は称えるべきであり、その勇気には誠意で応えるべきだと私は考えます。私は、裁判長の誠意ある判決を期待致します」
そしてその年の冬、異例の速さで母は有罪判決となり、終身刑を言い渡された。
父はその翌年に失踪。僕は父方の祖父母に面倒をみてもらうことになった。
あの日以来、僕は母に会っていない。
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