*6

 大きな音量で音楽を流した車。乗っていた人は、事故を起こした自覚がないのか、わたしのほうを振り返りもしなかった。

 どこもかしこも痛くて、それでも動けたから、ずるずると這うようにして電柱までたどり着いた。携帯を取り出して――そこからの意識はない。

 わたしの死んだ場所。なぜ気付かなかったのだろう。わたしの好きな花、お菓子、ジュース。それらを好きだと知っていた人たちが訪れてくれたのだ。

 一人ずつ、顔を思い出す。大事な人たちの顔のなかに、リョータの顔も浮かぶ。わたしの死を見届けてくれた人。そして、幽霊だって知りながら優しくしてくれた。

 その温かい思いを塗りつぶすように暗く冷たい感情に支配される。

 なぜ、わたしなのか。なぜ、助からなかったのか。

 あの車を運転した人物は、今ものうのうと暮らしているのだろうか……。

 雨の音だけが響く。家々は寝静まって、明かりは数えるほどだ。そのひとつの明かりの下にわたしはいる。でも他の明かりとは違う、わたしはそっちには帰れない。

 ゆるせない。ゆるせない。ゆるせない。

 その言葉に思考が支配されていく。どろどろと重く暗いものが溢れてくる。

「サエちゃん」

 光と雨が遮られて気付く。顔を上げると、温かい笑顔が映った。

「……リョータ」

「暗いし、雨降ってるよ。 戻ろう」

 リョータの頬を雨が伝っていく。傘をわたしに向かって差しているせいで、自分は濡れてしまっているのに、なぜか微笑んでいる。

 ――なぜ、笑っていられるの?

「わたし、幽霊なんでしょ? 傘が必要なのはリョータだけでしょ?」

「……そうだろうね。でも、ボクがこうしたいんだ」

 明かりの下にいるわたしと、影から差し伸べてくれるリョータ。初めて出会った日と同じだ。あの日は傘が無くて、二人で急ぎ足にリョータの家へ向かったけれど。

 雨が小降りになって、傘に弾む音が減っていく。

 許せなくて、苦しくて、凝り固まった気持ちが消えたわけではない。でも、リョータがくれるひとつひとつの優しさが、風のように内へと吹き込んでくる。

「サエちゃん」

 生きていたかったなぁ。生きて出会いたかった。

 この声に、差し出された手に、何度でも応えたかった。

「……思い出したよ、帰るところ」

 リョータのきょとんとした表情。そういえば、初めて会ったときのリョータがオバケでも見たように驚いていたのは、本当にオバケを見たからだったんだ。

 唐突な答え合わせで、わたしが小さく笑うと、リョータも微笑んで首を傾げる。

「ちゃんと帰れるから、心配しないでね」

 傘の下を潜り抜けると、くるりと一回転した。お気に入りのワンピースが揺れる。

「ありがとう」

 リョータの表情は少し歪んだけれど、最後は笑顔を作ってくれた。



 雨雲が夜空を覆いつくしていたから、街灯がなければ本当に闇の中だ。

 糸のように細くなった雨が、音もなく注ぐ。

 サエちゃんが「ありがとう」と笑うと、道の先から眩いくらいの光が溢れた。

 ――ああ、この先に往くんだ。永遠の別れなんだ。

 その背が光にかすんで見えなくなる。

 ボクは堪えてた涙を拭いながら、彼女を思った。

 もし、死後の世界があるのなら、あたたかな光に包まれていますように。

 立ち尽くすボクを、朝陽が照らした。


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