*3
目覚めると、サエの姿は無かった。部屋に残る空虚感にしばらく呆然としていたが、思い出して出て行ったのならいいと硬く凝ってしまった身体をほぐす。
ベッド脇の置き時計を見やる。そろそろ支度をしないと一限目に間に合わなくなりそうだ。慌しく支度する最中、シンクに二つマグカップが並んでいるのに気付いて足を止める。
がらんとした部屋で、唯一サエとの出来事が夢でないことを証明するものだった。
それから一週間がめぐった。
大学とバイトで目まぐるしく過ぎる日常に、身体も心も疲労困憊で、ずるずると足取り重たく帰路につく。住宅街は夕飯の匂いが立ち込めている。空腹の胃が締めつけるように訴えてきて、リョータにとっては拷問のようだ。
そして、街灯の前。明かりのなか、立ち尽くしているサエを見つけて瞠目する。
――帰れなかったのか。
「サエちゃん」
声をかけると、虚ろなサエの目に光が宿った。
「リョータ」
視線が交わってほっとする。このままどこかへ消えてしまうのではないかと思った。
「わたし、どうして」
サエは膝から崩れ落ちて、頭を抱える。ワンピースの裾に咲く花と似た、小さな花が足許で風に舞って転がる。
リョータは明かりの下へ手を差し伸べた。
「なにも思い出せないの」
「うん」
「リョータの家に居たはずなのに、気付いたらここに居て」
「……うん」
サエの微かに震えている手が触れる。反射的に手を引っ込めそうになるほどの冷たさだ。それでも離さないように力を込めると、サエは小さく笑った。
「リョータが来てくれてよかった」
「そっか」
サエははにかみ、肯いた。手を引くとサエは自然と隣に並んだ。
「帰る場所、思い出せたらいいね」
そう言ったリョータの表情は、丁度影になっているせいもあって暗く見える。
「うん」
サエが手を握り締めると、応えるようにリョータも握り返した。
先へと踏み出す足は、迷子が歩いているかのように覚束ない。道の暗さのせいだと、リョータは自分に言い聞かせるように急いだ。
ふたりで不揃いのマグカップにコーヒーを注いで、また他愛のない会話をして――リョータが目覚めると、サエは夜明けとともに消えていた。
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