18話

 帰り道。愛衣は大樹の後ろを背後霊のようにのろのろと歩いていた。文芸部には行かなかった。この状態で行きたくなかった。こんな弱い姿を晒したくなかった。愛衣の中で気力がぷつんと切れてしまったようだ。魂は体を抜けて、宙をふらふらさまよっているみたいで、うまく歩けない。

「愛衣、大丈夫か」

 先を歩く大樹が呼ぶ。大樹も疲れているように見えた。

 大丈夫じゃない。声も出せないままふるふると首を横に振った。背負った鞄はそこまで荷物が入っていないはずなのに、重く感じた。顔を上げると、大樹が振り返って愛衣を見つめていた。愛衣もただ見返すことしかできなかった。大樹は眉を寄せて、それでも愛衣を安心させようとしているのか、口元にやさしい笑みを浮かべていた。

 ようやく、言葉が零れ落ちる。

「――――ごめんなさい」

 最初は息切れみたいな、かすかな囁きにしかならなかった。愛衣は震える咽喉から無理矢理声を出した。

「ごめんなさい、兄さん。でも私、あの人たちを許すことなんて、できない……」

 許せない。頬がまた熱くなり、雫が流れ、言葉の代わりに止めどなくあふれてくる。鉛色の空が今にも落ちてきそうな気がした。今なら、落ちてきても構わないと愛衣は思った。いっそこのまま、空に押しつぶされてしまえばいい。

「愛衣、おまえの言っていることは間違いではない。けれど、あの態度は駄目だ。少なくともお前は、クラスメイトに危害を加えた。それは紛れもない事実だ」

 大樹の手が愛衣の手を包んだ。大樹の手はとても温かかった。「愛衣の手はほんと冷たいな」と笑い、「雪彦も冷たいんだ」と付け足した。じんわりと、愛衣の冷え切った心までもを溶かしていくみたいだった。

「お前は芯が通ったしっかりした子だ。でも時には折れることもしなくちゃいけない」

 大樹は宥めたり、説得したりさせるのが上手い。ちゃんと相手の目を見て、適切な言葉を選り分ける。大樹がこうして話すときは、まるで愛衣の心に直接話しかけられているようだった。

「だって……あの人、兄さんと雪彦さんのことだけじゃないわ。お父さんとお母さんのことだって……」

 泣いているせいで上手くしゃべれない。しゃくり上げながら制服の袖口で何度も何度も頬を拭う。そのせいで目元が少しだけ痛い。きっと腫れている。

「後でゆっくり話してくれればいいさ」

 大樹が愛衣の頭をなでる。高校生が中学生の妹の頭をなでるのは、今時珍しいと風夏や悠馬によく言われる。けれど大樹はよくなでてくれた。これは父の恭平の癖らしい。それを真似していたら、いつの間にか大樹の癖にもなっていた。

「面と向かえば、愛衣はちゃんと話してくれることは知っている。今は感情が不安定になっているんだ」

 大樹は自分の荷物もあるのに、愛衣の鞄も持ってくれた。自分の鞄を背負って、弓道の矢が入ったケースを右肩にかけ、愛衣の鞄を左肩にかけ、最後に二メートルはある弓を担いだ。

「さ、帰ろう。嵐志たちが待っている」

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