12話
カフェの代金は雪彦が全部支払ってしまった。自分の分は払うと抗議してみたが、いつも夕食をご馳走してくれるお礼だと言って受け取ってくれなかった。次の兄とのデートのときに大樹に支払わせておけばいいか。
「雪彦さんっ、荷物自分で持ちますから!」
「気にしない気にしない。年上には甘えるもんだよ」
本が入った紙袋を持とうとすると雪彦に軽くかわされる。高校の文化祭といい今回のことといい、ここ最近こういうのが増えている気がする。結局家まで持たせてしまった。
「愛衣」
名前を呼ばれる。声がしたほうから悠馬が自転車を走らせてきた。
「悠馬? どうしたの?」
目の前でブレーキをかけて止まる。自転車に乗ったまま悠馬は「明日、製本するって、部長が言ってた」とだけ告げた。
「あれ、風ちゃんから電話は?」
「出なかったとか言ってたぞ」
愛衣は携帯電話を持っていない。そのため部内の連絡事項は風夏が家に電話することになっている。電話したが応答がなかったそうだ。
「帰る途中に見かけたから、声かけただけだ」
自転車のかごには分厚い本が山になって積んであった。図書館の帰りだろうか。
「そう。ありがとう」
「いや…………邪魔したか?」
悠馬は雪彦をじっと見た。雪彦も突然現れた悠馬を、首をかしげてみている。
「そんなことないわ。影崎雪彦さん。兄さんの同級生よ」
紹介しながら愛衣は困惑していた。雪彦のことを同級生と言ったが、大樹の恋人と言ったほうがよかっただろうか。
「ふーん、大樹さんの……」
家同士の付き合いが多いため悠馬も大樹と接点があった。悠馬は納得したのか雪彦に頭を下げると「じゃあ明日」と片手をあげて自転車で走り去った。
「……同級生?」
「幼馴染なんです」
家に入ると愛衣は真っ先に自分の部屋へ戻り、原稿用紙の束を一つ引っ張り出してきた。分厚いそれは百枚以上にもなる愛衣が初めて完結させた長編作品の原稿。引き出しから茶封筒を出して、それに入れて階段を下りた。
「雪彦さん」
雪彦は大樹の部屋にいた。顔色を窺い、額に掌を当ててベッドの傍に腰を下ろす。心配はしていないような素振りで、髪を引っ張ったり鼻をつまんだりしている。ちょっかいを出しながら起きるのを待つその姿は、猫だった。
「兄さん、起きないですか?」
「起きないね」
原稿を背中に隠しながら愛衣も雪彦の隣に立ち、大樹の様子を窺った。朝は赤かった顔色は、良くなっていた。
「んあ? おー、おかえり」
「気分はどう? 兄さん」
「まぁまぁだな……朝よりは楽」
汗をかいているから、あとで着替えさせなきゃ。冷蔵庫から水枕の替えを持ってきて、取り換えさせた。
「夕食の支度をしてきますね。雪彦さんも待っててください」
「あ、いいよ。今日は遠慮しておく」
雪彦は立ち上がり、部屋を出て、玄関へと戻っていく。
「お邪魔したね。今日はありがとう」
「いえ、お礼を言うのは私の方です」
靴を履きながら雪彦は「大樹にお大事にって言っといて」と伝言を残した。
「あの、これ」愛衣は茶封筒を突き出した。「初めて書き上げたものです。文章も設定も拙いものですけど……」
ここまで作品を読まれることを緊張したことなんて、今までなかった。何を緊張しているのだろう。雪彦は両手でそれを丁寧に受け取った。ずっしりとした重さに「すごい量だね」と苦笑いする。それでも五十枚程度の量だ。
「いつ読み終えるかわからないけど、読んだら感想はちゃんと言うよ」
にゃー。
桃子がやってきた。愛衣と雪彦の間をするりと抜けて愛衣の足もとにすり寄った。雪彦が抱き上げると、一瞬暴れたものの、すっぽりと雪彦の腕の中に納まった。すっかり慣れたものだ。愛衣にしか懐かなかった桃子なのに、珍しい。
「また来るからな」
桃子を下ろして、雪彦は玄関を出て行った。
にぁー。
立ち尽くしていると、今度は吹雪もやってくる。桃子と一緒に足元をぐるぐるとうろつき始める。
にぁー。
にゃー。
二匹が鳴いてご飯を催促し始める。特に吹雪は、主の大樹が朝から寝込んで、朝ごはんを食いっぱぐれたせいで、いつもより催促が激しい。
「わかった、わかったから、ちょっと待ってて」
吹雪と桃子の頭を撫でてから、キッチンに戻り準備を始めた。
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