6話

 翌日、愛衣は朝から図書室にいた。恋愛について少しでも多く知ろうと思ったからだ。雪彦はバイセクシャルといって、男性も女性も恋愛対象になる性だと知った。それ以外にもたくさんの種類があると聞いて、調べてみたくなったのだ。

 恋愛について書かれてある本は、図書館には少なかった。せいぜい体の機能や仕組みについてだったり、生殖についての本はいくつか見つかったが、性そのものについての本は見当たらなかった。

「…………」

 愛衣は雪彦の言葉を思い出していた。確か、英語だった気がする。セクシャルマイノリティ。LGBT。そう、そんな感じ。

「……あった」

 一冊だけ、本棚の隙間にひっそりと隠れるようにあった。本を見つけたところで、ホームルームの時間が来てしまった。急いで借りると、図書館司書の先生が「あら珍しいわね。一之瀬さんがこういう本借りるのは」と言ってきた。

 笑顔でごまかす。自分は何とも感じないけれど、やはり大半の人には過剰反応されることなのだろうか。教室に戻ると、無意識に本の表紙を隠した。見られたくないという気持ちなのかしら。麻美が近寄ってくる。

「アイちゃん、どこ行ってたの? 朝からいなかったよね?」

 すぐさま本を背中に隠した。

「図書室」

「あのさ、そうやって自分は頭いいアピール、しなくていいと思うよ?」

 愛衣は呆れた。《図書室・本を読む=頭がいい・勉強できる》と本気で麻美は思っているのか。愛衣よりテストの点数が低いから、僻んでいるのか。いつも絡んでくるのに麻美の言動はよくわからないままだ。

「そんなことしてないわ。私は本を読むのが好きなだけ」

 愛衣は麻美を躱して自分の席に戻った。担任の大山佳澄先生が入ってくる。見つからないように机の下で本を開く。国語のノートの後ろのページに、忘れないように分かったことを書き記していく。

 こんな、濃い世界を見たのは初めてだった。ファンタジーで作りこまれている世界とはまた違う。リアリティがある。当たり前だ。これは現実世界での出来事で、創作物の中の専門用語ではないのだから。

 愛衣が知っていたのは同性愛、レズビアンとゲイだけだった。雪彦が言っていたバイセクシャルも、初めて知ったくらいだ。

 ヘテロ。バイセクシャル。アセクシャル。パンセクシャル……その他諸々。

 性自認。トランスジェンダー。クエスチョニング。エックス……エトセトラ。

 難しい漢字やカタカナばかりで、さすがに一発で理解することはできなかった。できなかったけれど、愛衣の中で拒否反応みたいなことは起こらず、すんなり受け入れることはできた。

 その後、何度も繰り返して読みふけった。放課後も文芸部員を待ちながらページをめくる。今度、市内の図書館に行ってこの手の本を借りてこようかしら。

「なーに読んでるの?」

 部長の風夏が後ろから覗き込んできた。

「あ、風ちゃん」

 ポニーテールにした長い髪が風夏の肩から流れている。くりっとした大きな目が本の内容を素早く捉えた。

「性についての本? 愛衣ちゃんこんなの読むんだ。あ、次の作品の資料だった?」

「まぁ……そんなとこ」

「へぇー、面白そう。愛衣ちゃん今まで童話チックな作風だったから、楽しみだな」

 テーブルに自分専用の赤いノートパソコンを広げて、電源を入れる。あと少しで打ち込みが終わるそうだ。そうしたら部員総出で製本作業が始まる。

「ねぇ風ちゃん。もし……もしもよ。自分の近くにこういう人がいたら、どう思う?」

「どうって?」

「女が好きな女とか、男が好きな男とか」

「んー……わからないかなぁ。私はそういう人じゃないから。びっくりすることは確かだろうけど……その時になってみないとわからないや」

 風夏が言ったことを簡潔にノートに書き記す。目の当たりにするまではわからない。そんな反応でもいいのか。

「なんでそんなこと聞くの?」

「え、あぁ、作品の参考にしようと思って……」

「そっかー。がんばれ。でもそういうのって一般的には否定される感じだよね」

 否定という単語が刺さった。風夏は愛衣のほうを見もしないで続ける。

「たとえば差別とか? 気持ち悪いとか異常だとかって思う人は多少なりともいると思うんだよね」

愛衣たち兄弟は否定しなかったが、ほかの人はどう思うだろう。大樹たちは、私たち以外に自分のことを告白したことがあるのだろうか。それで傷ついたりしてきたのだろうか。いろんな人がいて当然。そんなふうに父や母から教わってきた愛衣だったが、この時初めて同性を好きになることへの差別というものを認識した気がした。

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