(27)


…私には、三人の父がいるという―――…。


最も、そんな事は最近まで全く知るよしもなく、今まではカースラという小さな村で母親と二人で暮らしていた。


…といっても母親は仕事で各地に赴いている事が多く、私は物心がついた頃にはもう、一人で過ごす事が多くなっていた。


幸いな事にこの村の住民はみんな、とても人が良く、母親がいない日でも近所の人々が甲斐甲斐しく私の世話をしてくれていたので、私は今まで何一つ不自由する事なく、暮らす事が出来ていた。


「タリアちゃん、薪を割ったから少し分けてあげよう。今日は寒くなるからね、寝る時は暖炉の火に気をつけるんだよ。」


そう言って、薪を分けてくれたのは大きな斧を担いだ、猪の顔をしたおじさんだった。


「タリア、ちょっといいか?今日はアップルパイを作ったんだが、作りすぎちまってな。良かったら今日のお昼にでも食べな。」


そう言ってハスキーな声で少しぶっきらぼうにアップルパイの入ったカゴを私に押しつけて来たお姉さんは、舌の先が少し割れていた。


一見普通の人間に見えるが、多分この人もきっとなのだろう。


それに気がついたのは、小さい頃にこのお姉さんに手を繋いでもらった時だった。


私が村のはずれで迷子になって一人で泣いていた時に、差し出してもらったお姉さんの手が、ものすごく冷たかったから。


どんなに冬の寒い日でも、お母さんと手を繋いでいる時は、すぐにお母さんの手は温かくなったけど、そのお姉さんの手はいつまで繋いでいても一向に温かくはならなかった。


お姉さんの名前はエキドナさんといって、切れ長の瞳がとても印象的な、色白でものすごく綺麗な人。


彼女の腰まで伸びた濡れた様に輝く、黒く長い髪に、私は子供の頃からいつも憧れていた。


一度エキドナ姉さんに、勇気を出して「ウチのお母さんも皆と同じようにハーフなの?」と聞いてみた事もあったが、彼女には「…ありゃあどう見ても普通の人間だろ。」とすっぱりと否定されていた。


…最も、家に変な小さな虫が出たという理由だけで、驚いて火炎魔法をぶっ放してしまうようなお母さんの事を、私は「普通の人間」などと思った事は、生まれてこのかた一度も、ない。


そのくらいにこのカースラの村は、『ハーフであろう人々』で溢れかえっていたのだった。


「ん~、おいしそう!!」


私はエキドナ姉さんからもらったアップルパイを丁寧にカゴから取り出すと、その甘い香りを鼻いっぱいで楽しんで、そのままテーブルの上へとそっと置いた。


出来たてホヤホヤなのだろう。

お皿はまだ少し温かい。適度についている焦げ目はパリッパリで、それなのに中はとっても柔らかく、そして素晴らしく甘かった。


私は数年前から、一人で数㎞離れた街へと買い物に行くのが楽しみになっていた。


そこで買い集めた茶葉でお茶を沸かし、同じく市場の露店で見つけたお気に入りのティーカップに注ぎ、近所の耳の尖った小柄の婆ちゃんから借りてきた古い書物に目を通そうとした瞬間…


バンッッ!!


突如として激しい音をたて、入り口のドアが開かれた。


ドアを乱暴に蹴り開いて、無礼にもどかどかと大きな靴音を立てながら我が家の中へと入って来たのは、見慣れない三匹のトカゲ兵だった。


三匹共、胸元にえんじ色の龍の紋章を掲げている事から、すぐに彼らが王国正規軍であるという事は理解ができた。


そもそもこんな辺鄙へんぴな村に、純粋魔族であるはずの、王国正規軍が直々に出向いて来る事など、まずあり得ない。


私は手にしていたティーカップをテーブルへと戻すと、ゆっくりと立ち上がった。


「…泣く子も黙る王国正規軍様がこんな田舎の民家に一体何のご用ですか?あいにくこっちは優雅にティータイムの最中なんですけれども?」


何の挨拶もなしに、不躾に家の中へと入って来られたことに腹を立てた私は、不機嫌そうな表情で彼らにそう尋ねた。


すると三匹いるトカゲ兵の内、リーダー格と思われる一匹が一歩前へと踏み出し、腰にぶら下げていた何やら巻物のような書面をこちらに向けて開きながらこう言った。


「タリア・オルシエラ。貴様に我らがギルガンディス王より、本日城へと出向くようにとの召集令が下された。今から我々と一緒に来てもらおう。」


残りの二匹のトカゲ兵は、彼が話している間もずっと背筋をピンと伸ばして、敬礼をしながら黙って待機の姿勢をとっていた。


そう言ってそのトカゲ兵は、ギルガンディスが書いたであろう直筆の書面を、さらにずいっと自慢気に私の前へと近づけて来たが、残念ながら私は魔族の文字をほとんど読むことが出来なかった。


「…なんて書いてあるのよ?コレは…。」


眉を潜めながらそう尋ねる私に、今度はそのトカゲ兵が目を細めながらこう言った。


「…字も読めぬとは不憫な者よの…。

自分が今から刑に処されるとも知らずに…。」


「ちょっと!刑に処されるってどういう事よ!?私は何も悪いことなんてしていないわよ!?」


思いがけずにそのトカゲ兵の口から発せられた『刑』という重い言葉に、過剰に反応を示した私は、思わず大きな声で適度にオーバーアクションなんかを交えながら、思いっきり反論をした。


もちろん私は生まれてこのかた悪事に手を染めた事などおろか、母親からの厳しい教えで人に迷惑をかけるような事をしないと誓って過ごして来た人間である。


つまり清廉潔白、こんなものは明らかな冤罪であるに決まっていた。


「人間達が普通だと思っている事も、魔族側である我々からしてみれば御法度となりうる事も多々あるからな。…大方この辺の茶器や書物やなんかも、市場かどこかで盗んで来たものなのだろう?」


そう言ってまるで品定めをするかのように、私に無断でテーブルに置いてあったティーカップを手に取るトカゲ兵。


「失礼な!これは私が小銭をせっせと貯めて、やぁぁ~っと手に入れた物なのに!」


テーブルをバンバンと叩きながら、再び反論を始めた私は、そのままトカゲ兵達の目を盗んで、耳の尖ったお婆ちゃんから借りた書物をそっと自分の衣服の中へと隠した。


「…いいわ。城について行きましょう。どうせ王国正規軍の命令に拒否した時点でその場で斬首刑なんだし。あなた達では話にならないから、私が直接ギルガンディス王に話をするわ。」


そう言って私は自分の着けていたエプロンを乱暴に外すと、不機嫌そうに近くにいたトカゲ兵の胸元に押しつけた。


訳も分からず反射的にそれを受け取り、丁寧に折り畳むと、近くの椅子の背に私のエプロンをかけるトカゲ兵。


「その前に、せっかく作ってもらったアップルパイが勿体ないから、食べてから出発したいんだけど――――――――…」


私がそう言いかけた瞬間…


もう一人のトカゲ兵がお皿を持ち上げて、一口でアップルパイを平らげた。


「…これで、心置き無く城へと行けるな。」


そう言って、リーダー格のトカゲ兵は不敵な笑みを浮かべたのだった。

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