(20)


「…ん…イイ匂い…」


頭からかぶっていたはずの布団の隙間を縫って私の鼻先をとても甘い匂いがくすぐった。


その甘い匂いに混じって香るカモミールティーのさわやかな香りに刺激されて、ゆっくりと目を覚ました私。


朝食だろうか。


目の前にはきちんと身なりを整えたリズが、カップに紅茶を注いでいるところだった。


「えっと…リズ、これは…?」


眠い目をこすりながら尋ねる私に、リズはカップに注いだ紅茶を差し出しながら答えた。


「おはようございます。ご主人様マスター。朝食をお作りするのも、列記としたわたくしめの契約中の仕事にございます。」


そう言ってリズは私達に向かって深く一礼をした。


まだ覚めきらぬ頭を抱えながら、促されるままに席につく私とラミカ。


ラミカにいたっては、全く完全に目すらも開いていない状態で動いているモンだから、その姿はさながら夢遊病患者のようだった。


「あなたもゆっくりと休めば良かったのに。」


用意してもらった紅茶に口をつけながらそうリズに声をかける私。カモミールの柔らかい香りが優しく私の舌と脳を刺激した。


「疲れた主人に最高の朝食を準備する。これも私の大切な仕事の1つだからな。」


そう言ってリズは私とラミカの前に皿を並べた。皿に盛り付けられていたのはベリーがたっぷりと載せられたフレンチトーストだった。


「おいしそ~ぅ!」


思わず眠気も吹き飛ばし、瞳を輝かせる私とラミカ。リズのフレンチトーストを一口頬張った瞬間、その甘さが口いっぱいに広がった。


「ところでこれを食べたらもうすぐ出発になっちゃうんだけど、リズはちゃんと疲れはとれたの?」


フレンチトーストを口へと運ぶスピードを決して緩める事なく尋ねる私。


「あぁ、むしろこんなに眠っていいのかっていうくらい眠ってしまったよ。アスターナで暮らしていた頃から私達は木の根元で寝たり、落ち葉にくるまって寝たり、土の中で寝たりするのが習慣だったからな。」


「…まるでほとんど死体ね。」


自慢気にそう語るリズに向かって、ラミカは頬杖をつきながら、怪訝そうな表情でそうこぼした。


アスターナの人々って一体どんな生活をしていたんだろ…私自身もふとそんな疑問を横切らせながら、残りの朝食もたいらげてしまう事にした。


◇ ◇ ◇


「あ~あ、リズの作ったフレンチトーストが食べたぁ~い…。」


早朝だというに、全く光の差し込まない薄暗いこの城の一室では、退屈そうな表情でパスタをフォークでブスブスと突き刺しているジャクリーンの姿があった。


「こら、食べ物に当たらない。仕方がないでしょう。彼女は今別の契約者のところにいるんですから。」


そう言って作りたてのサラダを並べるリオン。そのサラダも色鮮やかで、こだわり抜いた新鮮野菜ばかりで作られている事はもはや一目瞭然である。


そんなサラダを見ながら顔をしかめ、リオンに見えないように舌を出すジャクリーン。


「…リオンは私に野菜ばかり食べさせるから嫌。」


「だったらリズを奪われないように上手くやれば良かったでしょう。彼らの目論見もくろみにまんまとしてやられるだなんて、あなたらしくもない。ウカウカしていたら、私まで彼らに奪われかねませんからね。」


そう言って彼女の横にパンプキンスープを並べるリオン。


「そんなの分かってるわよ。だからねリオン、この際私とガッツリ契約しない?」


そう言って今度はまるで少女のような笑顔を見せる彼女。


「今はまだ契約中でしょう。」


そんな彼女の笑顔に目をやろうとする様子すらなく、リオンはちゃっちゃとテーブルの上を手際よく片していった。


「だからぁ~、私とこのまま永遠に契約しましょって言ってるの。」


「それってプロポーズですか?

嫌ですよ、あなたみたいなワガママな人…」


「ちっがぁーう!!

仕事上での契約に決まってるでしょ!!」


淡々と返すリオンの言葉に、テーブルを勢い良くバンバンと叩きながら抗議するジャクリーン。


「それならすでに次回の満月の日までの契約金をいただいていますが…」


「その満月の日を過ぎても、誰とも契約なんてせずに、ずっとずっと私の元で働いて欲しいって言ってるのよ。」


両手を自分の頬の横で組み、普段とは違うやけに大人びた優しい声でニッコリと微笑む彼女。


「しかし…満月の契約を破るワケには…」


そんな彼女の様子に何かを悟ったのか、急に慌て出すリオン。


「そぅ?…これを見ても果たしてそう言い切れるのかしら…?」


そう言ってジャクリーンは懐の中から一つの壷を取り出した。


それを見た瞬間、瞬時に険しい表情へと変わり始めるリオン。心なしか顔色も少し青ざめている。


そんな彼の姿を見るだけで、彼が今後ジャクリーンとの契約を交わすか否かは、火を見るよりも明らかな事なのであった。

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