第3話

 源太の店を出たのち、裕太は残りの配達を急いで終わらせた。

 エルフ族の薬師くすしステリッドに、田舎果いなかはての古村薬局から漢方薬を。

 獣人族の農家トマスに、田舎果の村岡種苗から野菜の種を。

 人族の家族に、田舎果の村人から古着を。

 ユウタは実家の配達の他に、こうした別の配達を一手に引き受けてアルバイト代を貰っている。

 とはいえ小遣い程度の金額なので、生活するための商売という訳ではない。

 それでも働いているということは、裕太にとって良い気分転換であった。

 落ち込んでいて家から出られなかった頃に比べれば、こうして汗を流している方が余計な考えに囚われずにいられる。

 さっきのイルマとの出来事のあとは尚更だ。

 最後の配達先を出てフィオナの店に着いた頃には、十二時を打つ村の鐘が鳴り終わっていた。

 田舎果からも客入りがあるようで、店の前には裕太の他に二台の車が停められている。

 周りを囲む木々は優しい風に枝を揺らし、小鳥たちが枝のなかで鳴き声を奏でた。

 フィオナはきっと厨房で仕込みの最中なのだろう。煙突からは煙が伸びている。

 店から流れてくる料理の香りが、裕太のお腹の虫を鳴かせた。

「あれ。回覧板……忘れてた」

 村長むらおさに渡すはずだった回覧板がダッシュボードに置かれたままになっていた。

 あとでもう一度届けに行こうかと考えていると、フォレストンに続く街道から登って来るものが見えた。

 白い馬で駆けてくる少年と、スクーターに乗るローブ姿の青年。

 並走している両者だったが、最後はスクーターが異常な加速をみせて馬を追い抜いた。

 ローブ姿の主は裕太に手を振ると、店の前でスクーターを緩やかに停める。

 長い耳に絡まるプラチナブロンドの髪を払い、金糸の刺繍が施された白いローブの形を整える。

 エルフ族のイルマと同じく整った目鼻立ち。

 彼の場合は、ひとを安心させるタイプの美男子といった感じだ。

「こんにちは、種一裕太。きみもフィオナの店で昼食かい」

「こんにちはセラさん。ええ、そうです」

 彼こそがフォレストンの村長セラこと、セラフィムだった。

 セラフィムはハイエルフであり、エルフ族の高位種にあたる。寿命はエルフ族よりも更に長い。

 裕太は幼い頃から彼を知っているが、見た目は三十歳くらいのまま変わっていなかった。

「ハッシュ!早く来ないと、先に店に入ってしまうぞ!」

 セラフィムに遅れて馬を停めたハッシュは、慌てて駆け寄って来る。

「村長ずるいぞ!最後のほうで魔法使ったろ!昼飯代を賭けた真剣勝負って言ったのに!」

 人族の少年であるハッシュは今年で十一歳になるが、遥かに年上であるセラフィムに対しても物怖じしない。そばかすのある顔が怒りで真っ赤になっている。

「なにを言っているんだハッシュ。私は勝つために最初から魔法を使っていたよ。これは真剣勝負だからね」

「ま、魔法は危ないから使っちゃいけない、禁忌のものなんだろ!村長がそんなんでいいのかよ」

「それは君たち人族のモラル感であって私には関係ない。ひとを傷つけない限り、私は魔法を使うことをなんら躊躇ちゅうちょしないよ」

「昼飯代をかすめ取られる俺の心は傷ついてもいいのかよ!」

「それとハッシュ。村長むらおさと呼ぶのはやめたまえ。私は村長になった覚えはないし、それは君たちの先祖が勝手に言い出したことなのだから」

「ひとの話を聞けよ!」

「とてもいいにおいがするね。今日のメニューが楽しみだ」

 ハッシュの熱量をさらりとかわし、セラフィムはひとりで扉のなかへ行ってしまった。

 もう疲れた、と言わんばかりにうなだれるハッシュ。

「――こうしていても仕方ないし、僕らも店に入ろうよ」

 いたたまれなくなった裕太が声をかけると、ハッシュはうろんな目つきで見上げた。

「ユウ兄ちゃん、そこに居たの。影が薄くて気付かなかった」

『八つ当たりされてしまった……』

 裕太もうなだれてしまう。

「冗談だって。相変わらずノリが悪いなぁ、ユウ兄ちゃん」

 頭の後ろで腕を組みハッシュが笑い飛ばす。

「ハッシュも相変わらずだよ」力なく笑みを返す。

「俺たちも早く入ろうぜ。ユウ兄ちゃん、フィオナに会いに来たんだろ?」

 ハッシュはにやつきながら裕太の曲がった背中をばんばんと叩く。

「痛って!そんなんじゃないって。フィオナとは幼馴染みなだけで――」

「はいはい、わかってるって」

「あ、ちょっと待って」

 ハッシュに強引に店に押されたところで、裕太はまた忘れかけていた回覧板のことを思い出した。

 ダッシュボードから掴み取って戻ると店の扉を開く。

 扉についたベルが『カランカラン』と響いた。



 天窓から差し込む陽光で店内は明るかった。

 二十畳ほどの広さをもつ店内にはカウンター席があり、丸テーブルが並べられている。

 白いレンガの壁には額縁に入った鈴蘭などのドライフラワーや、木のつるで作られたリースが飾られている。どれもフィオナお手製のものだ。

 自然の中から材料を拾い、時折手に入る色鮮やかなビーズも使って作られた装飾品は、温もりのあるフィオナの店とよく調和していた。

 開店時間をまわって間もないというのに、殆どの席が埋まっていた。

 フォレストンと田舎果の住民が肩を並べて談笑している。

 フィオナのほうを見ると、彼女は厨房の方で忙しくしているようだ。

 とりあえず空いている席を探すと、窓際のテーブル席に座ったセラフィムが手招きしている。

「ここへおいで。三人で一緒に食べようじゃないか、種一裕太」

 円卓を囲んで裕太とハッシュは席に着く。

『チリリリン……』セラフィムがテーブルに置かれた呼び鈴を振った。

「はーい。少し待ってくださーい」

 厨房のフィオナは裕太の姿を見つけると、小さく笑ってみせた。

 裕太も手を挙げて笑ってみせる。

「種一裕太、それはもしかして私に回ってきた回覧板じゃないかな」

 ハッシュにセルフサービスの水を取りに行かせると、セラフィムが指さした。

「ええ、そうでした。どうぞ」

「どれどれ。……最近、誤訳が増えてきたように感じるな。徳次郎にクレームを出したくなるよ」

 回覧板に挟まれたチラシをぺらぺらとめくりながら愚痴る。

「村長、なにやってるの?」

 三人分のグラスを危ない手つきで運んできたハッシュが尋ねる。

「――私が皆から村長と呼ばれるのは、こういう役割を任されているからなのかな。見てごらん」

 セラフィムは赤や黄色のコピー用紙に印刷された回覧物をめくってみせる。

「あーごめん、村長。俺、字が読めないんだ」ハッシュが恥ずかしそうに頭をかく。

「ふむ、フォレストンの識字率の低さも考えものだな……。このクレームは――私が受けるべきなのかな」

 セラフィムは困ったような笑みを裕太に向けた。

「ここには、僕たち田舎果村のひとからのおしらせが書かれているんだ」

 イベントのおしらせ、特売品セール、お手伝い募集、探しもの等々。

「上に書いてあるのは僕たちが使う日本語、こっちの下に書かれているのがマルセシル語。フォレストン村で使われている言葉だね」

 裕太が指をさして説明する。

「私は田舎果から届いた回覧板を必ず最初に確認する。そして、マルセシル語の訳文について、誤訳を直すのが私の役割ということさ」

 セラフィムは袖から黒縁のメガネを取り出してかけると、同じく取り出した赤ペンで誤訳部分を訂正していく。

「僕らは子供の頃にマルセシル語を習うんだけど、間違うことも結構多いんだ。あちらの世界では普段使わないからね」

「間違った言葉で情報が広まると誤解が生まれる。誤解が生まれるといさかいが生まれる。諍いが生まれると、最後は断裂に繋がる。五百年前、当時の田舎果村の村長と交わした盟約のひとつが、お互いの言葉を正しく伝えることだった。その盟約を守るために、こうして赤ペンを握っているわけだ」

 言いながら、セラフィムはペンを滑らせる。

「ふーん。よくわからないけど、村長はユウ兄ちゃんたちと仲良くしていくために頑張ってるってこと?」

「平たく言えばそういうことかもしれない」

「へえぇ~」

 ハッシュは作業を続けるセラフィムの手元をまじまじと眺める。

「なんだね。気色の悪い」

「いやー。初めて村長のこと、偉いなぁって思ってさ」

「なっ――」

 彼ご自慢のメガネがずり落ちた、ように裕太は見えた。

「ハッシュ、セラさんから一本取ってやったね」笑いがこぼれる。

 ようやく厨房から出てこれたフィオナが尻尾を揺らしてやって来た。

「お待たせしちゃってごめんなさーい。今日のランチメニューです」

 白いエプロンに身を包み、頭には花の刺繍が入ったナプキンを被っていた。

 急いで三人にメニュー表を渡していく。

「お待たせされたとも。私はもうお腹がぺこぺこだ。そしてメニューは選ぶまでもないね」

 セラフィムは差し出されたメニュー表を手で制した。

「今日の昼食代はハッシュ持ちだ。だから、メニューの料理をすべて頼もう!」

「そっ、そんなに金持ってるわけないだろ!バカ村長!」

 前のめりになってテーブルを叩くハッシュ。

 訳がわからずキョトンとしているフィオナ。

 裕太は空腹を忘れて、お腹の底から笑ってしまった。

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