第2話
フォレストン村の生活はマルセシル王国のなかにあって比較的、質素な暮らしぶりであった。
多くの村人は農業を営み、野菜やセイオン麦の栽培、オナガ牛とツノ豚を育てる牧畜によって生活の糧を得る暮らしをしている。自給自足を基本とし、足りないものは同等の食料などと交換。その他の日用雑貨などは、国の中央から時々やって来る商人から通貨を払って買う。
フォレストンが他の村と違うのは、異世界のとなり村、田舎果とも経済関係があるということだ。その殆どが個人同士の微々たる売買だが、フォレストンの一部の人間は異世界の物を欲した。裕太の実家である酒屋は、こうした一部需要のある顧客について小売りをしている店舗のひとつだった。
裕太は村の中央広場を過ぎ、この村で一件しかない鍛冶屋の前に車を停めた。
元は穀物倉庫として使われた建物であり、周囲に比べて背が高い作りで窓が少ない。
この鍛冶屋は村人が使う農器具の修理も請け負っている。
「こんにちわー。配達に来ましたー」
裕太は店先に立ち、奥に聞こえるよう挨拶した。
間口の広い出入り口は開け放たれ、作業場を見ることができた。
そこに置かれた機器はこの異世界のものではない。
入り口付近ではディーゼル発電機が音を立て、ガスボンベの傍には溶接機具があり、電動式の大きなノコギリ盤やエアーコンプレッサーもある。
ここには店主が所有するオフロードバイクがあることも裕太は知っている。
店主とは、裕太の兄・
いつもなら源太が出迎えてくれるのだが不在らしい。
作業場には仕事をしているイルマしかいないようだった。
イルマは源太の妻、つまり裕太の義姉にあたるエルフの女性だ。
イルマは濃いグリーンのツナギ姿に防護ゴーグルを掛け、ヘッドホンをしながら、グラインダーで金属シャベルの刃を研磨していた。
回転する砥石に刃が当てられる度に火花が散り、音が響く。
集中しているのか、裕太のことに気付いていないようだ。
『兄貴が居るのを期待したのに、僕って間が悪いんだよな……』
「イルマさん!こんにちは!兄貴はいますか!」
手を止めたイルマはぶっきらぼうにグラインダーの回転を止め、裕太を振り返った。
「たわけ!聞こえている!しばし待つがいい」
ぴしゃりと言われ、裕太はたじろいでしまう。
背中を向けたイルマは、再び作業に戻ってしまった。
裕太は、この異世界の義姉が苦手だった。
「――終わった。待たせたな、ユータ」
イルマは研ぎ終わった十本目の金属シャベルを壁のフックにかけ、ヘッドホンとゴーグルを外した。
ショートボブにした金髪から、少しだけ長い耳が見える。
ツナギの上半分を脱いで腰に巻くと、タンクトップを着た褐色の肌が露出した。
機器の熱がこもった室内での作業。きっちりと袖のボタンまで留めていたせいでイルマは汗でびっしょりだった。鍛えられた腕から汗が流れ落ちる。
彼女はエルフ族のなかでもダークエルフと呼ばれる人種だった。
ややキツイ印象があるが、エルフの特徴である整った目鼻立ちが美しい。
「ユータ、工作機械を前に集中している者の背後に立つな。要件ならば手を止めているときに言え。はっきり言って邪魔だ」
「はい、すみませんでした……」
つり上がった赤い目に凄まれて、裕太は小さくなることしかできない。実際には同じくらいの背丈なのだが。
イルマがフォレストンに来る前は戦士であったことを裕太は兄から聞いていた。
その気質からか、イルマはひとに厳しくあたる傾向があった。
「覇気のない返事だ。タネイチの家の息子は軟弱者だと言われるぞ」
裕太はイルマのこういった気質が本当に苦手だった。
「タネイチは商いの家だ。跡継ぎが軟弱者と広まれば、父上、母上たちの立場が悪くなる」
「はい……」
「そうなれば、風の精霊がお前の行いを世界樹の上まで
自分の祖父母たちが正座をしたまま、異世界の神とやらに怒られるさまを想像した。
「……あの、うちは一応ですけど仏教徒なので。その点については心配いらないかと」
腕組みをしていたイルマは目を丸くした。
「ああ、そうか……すまない。いずれにしても、はっきりしない態度は弱い者ととられる。ゲンタの妻である私が言うのもなんだが、少しは兄を見習って堂々としろ」
兄の名前を出された裕太は目を伏せてしまう。
源太は昔から自信に溢れ、どんな相手、どんな場所であっても偽りのない性格だった。
彼は田舎果でもフォレストンでも慕われる存在だ。
裕太はそんな兄を尊敬していた。
「……僕は、兄貴のようには成れませんよ」
作業場のなかを見渡す。
そこに並んだ設備の数々は、源太が自分の稼ぎで揃えてきたものだった。
となり村とはいえ、源太は住み慣れた田舎果とは違う異世界で生活をし、店まで持った。
「兄貴は僕の自慢です。でも、ちょっと眩しすぎるんです。僕はあんな風に成れないから………」
靴の先ばかり見つめているうちに、気持ちがしぼんでいく。
自分がどうしようもなく、情けなく思えて仕方なかった。
イルマはポケットから取り出した煙草に火を点けると、応接椅子に座る。
「お前の話を聞いていると、最初から投げ出しているように聞こえるな。――どうなんだ?」
「そんなこと、ありませんけど……」
「お前が何を悩んでいるのかは知らん。しかし、お前が子供のようにいじけている態度には腹が立つ。誰かと比べられて落ち込むくらいなら、強く変わってみせろと言いたい」
それから、息の詰まる時間が流れた。
イルマが三回、煙を吐いたところで、裕太が口を開く。
「イルマさん。エルフ族の寿命って、人族よりも長いんですよね」
「――なんだ唐突に」
彼女は脚を組み直す。
「エルフ族はだいたい三百年は生きる。百七十年ほどかけて大人になると、残りの人生は外見が変わらずに年老いて死ぬ。それがどうした」
裕太は傍にあったパイプ椅子にゆっくりと座る。
「僕たち、人族の寿命は八十歳くらいがせいぜいです。運良く長生きできて百歳くらい。エルフ族の三分の一。人族の命はエルフよりも短くて、そのなかで出来ることは限られています」
イルマは黙って聞いている。
「だから、今の自分に納得が出来なくて、そのままじゃいけないって思っていても。変わりたいって思っていても、そんなこと直ぐには出来ないんです。生活していくことに焦って、時間をすり減らして。あっという間に寿命が来る。どだい、長生きできるエルフ族のイルマさんに―――僕の悩みなんて分かりっこないんです」
絞り出すような、か細い声だった。
「……エルフだから分からない、か」
俯いたままの裕太を眺めながら、まだ残っている煙草をひと吹きして灰皿に押し付ける。
「それもそうかもしれん」
イルマは立ち上がり、裕太を見下ろす。
冷たいような、寂しいような瞳。
「たしかにお前はゲンタとは違うようだ。あいつは後先考えず、動いてから答えを出す。おまえは逆に、頭のなかだけで答えを出し過ぎだ。兄弟揃ってたわけ者だ」
外からアクセルをふかした音が聞こえてくる。バイクの音だ。
イルマは店先に歩き、こちらに向かって来る源太のオフロードバイクを確認する。
「ユウタ、これだけは言っておくぞ」
呼ばれた裕太は顔を持ち上げる。
イルマは背中を向けたままだ。
「逃げているうちは誰とも向き合えず、弱いままだ」
「私は弱い者が大嫌いだ。覚えておけ」
程なくして店主である源太のバイクが着いた。
裕太は軽トラックの荷台から、源太に頼まれていた荷物と、両親からの物資を降ろした。
その間、裕太は暗い面持ちのままだった。
源太は心配して声をかけたが、「大丈夫だよ」と裕太は少しの笑顔を見せて帰って行った。
「イルマよぅ。あんまり俺の弟をいじめるなよ」
オレンジ色のツナギを着たまま応接椅子に座り、源太はテーブルに足を投げ出す。
「たわけ。いじめてなどいない。――それと、臭い足をテーブルに乗せるな」
ガハハッと笑って返す。
「俺の嫁さんはきっついなぁ。あいつが大変だったってことも、少しは理解してやってくれ」
「それはわかっている。彼が心を痛めた理由も、今やっと回復し始めたことも。でも……」
「なんだよ?」
「彼を、ユウタを見ていると自分を重ねてしまうのだ。それに義理とは言え、ユウタは私の弟でもある。何とかしてやりたい。そう思うと、余計に言葉が抑えられなくなるのだ……」
「――そっか。イルマも、エルフにしては短気で不器用だからなぁ」
「うるさい、たわけ。お前が私に言えた台詞か!」
座ったままの源太の頭にげんこつが振り下ろされた。
「ウハハッ!それもそうだな」
「そろそろ昼時だ。今からだと簡単なものしか作れないが、焼きそばでいいか?」
イルマは奥にある台所で手を洗うと、源太を振り返る。
「昨日と同じ献立で申し訳ない限りだが」
「お前が作ってくれるものは何でも美味しいよ。愛してるぜ!イルマリカ」
キャベツと玉ねぎを手にしていたイルマは、顔を赤くして怒鳴る。
「うるさい!たわけ!………イルマリカって呼ぶな!」
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