第3章 雲

【第2章 ハツ編から実に2年後のお話】


 とおくからきこえてくるのは だれのうた

 とおくからきこえてくるのは だれのこえ

 ひがのぼっても ひがしずんでも

 たえることなく なんどもきこえる

 そらよ くもよ うみよ おしえておくれ

 あのうたが あのこえが だれなのかを


 日記をつけてて、ふとこの唄を思い出した。まだ自分が幼かった頃、お母さんが泣き止まない私の為に歌ってくれた子守唄。どうして今思い出したのだろう。

 お母さんを葬ってから、もう二年経った。あと一年で成人。私は正式に村長になることだろう。

 あの最後の『計画』の日、私は最低なことをしてしまった。きっと、話せば分かってくれる人はいたはずなのに、誰彼構わず―――。

 だから、村のみんなには本当のことは言ってない。お母さんは自分の手で葬ったと言ったけど、他のみんなは連絡が取れなくなって、生死不明だとしか。

 一番残酷なのはお母さんじゃなくて、私だ。


 「クモ姉ちゃん、お客さん帰ったよ」

 一人の少女がひょっこり顔を出した。

 「ごめんね、わざわざ雪に送らせちゃって」

 「いいの! 東都ちょっと見てみたかったから」

 ついさっきまでこの村には、史上に無い訪問者が訪れていた。通常、東都の人間がこの村に近づこうとすると、結界や私の力で跳ね返される。だけど、彼らはその力を破ってこの村に辿りついた。推測でしかないけど、普通の人間ではなかった。年は私より少し年下ぐらいで、一人は腕にギプスを巻いて、もう一人は足を引きずっていた。病院から抜け出してきた、と言っていた。

 予想外の東都の人間の訪問に、私たちは大喜びした。普段行く機会のない東都の話をみんなで聞いた。見たことも聞いたこともないものもたくさん教えてもらった。例えばすまほ、いやほん、ゆにほおむ。この村に生まれた以上、きっと生涯触れることはないだろう。

 そして今朝、「さすがに病院の人も心配してるから」と彼らは村を早々に出て行った。たった一泊だった。でも、たくさんのことを聞けたのはいい経験だ。私が東都の入り口まで送って行こうとしたが、すかさず雪が代わってくれた。今現在、私にはきょうだいはいないが、雪は唯一妹みたいに思える子だ。“抗い”の素質もあるから、きっと私の次の村長はこの子だろう。


 「ただーいまっ」

 私が日記帳を閉じると同時に、聞きなれた声がした。小走りで玄関に行くと、藍さんが立っていた。

 「藍さん! 半年ぶりですかね、お久しぶりです」

 「久しぶりね、元気そうで何より」

 藍さんは連れていた小さな女の子をひょい、と持ち上げた。重そうだ。

 「ショウイチ。おととい3歳になったのよ」

 「ショーね、しゃんしゃいなの。しゃんしゃい」

 指で三を示そうとしているが、薬指があらぬ方向を向いている。難しいよね。

 「ショウちゃんもう3歳になったんだね」

 「しゃんしゃい!」

 藍さんに似た真っ黒な髪が朝風になびく。


 反野一族の分家である尋島一派は、闇のような色の髪、若干青がかった瞳が特徴的だ。彼らは集落などを作って集団で住んだりはせず、日本各地に散らばっておるという。たまに本家である反野集落に顔を出してくれる程度の仲だ。不仲という訳ではない。

 「あ、駄目! 危ないでしょ」

 藍さんが慌てた様子でショウちゃんの手から何かを分捕る。ショウちゃんは驚いて泣き出した。何だろう?

 「これ、最近気に入っちゃって」

 藍さんの手にはきらりと光る、サバイバルナイフ。三歳の子供が持つには物騒すぎる。

 「夫の所有物だったの。ショウが2歳ぐらいの時のミッションに出かけたっきり、音信不通。それだけが戻ってきた。どうせ今ものうのうと生きてるんでしょうけど」

 ショウちゃんは泣き止まず、わあわあ泣いている。ナイフから少なからず、「父」という存在を感じているのかもしれない。

 「本家はみんなで生活してるから、羨ましいなー。分家は個人行動が基本だし、海外ミッションもあるから」

 人を《終わらせる》ことに関しては、本家よりも分家の方が執着していると、いつかお婆ちゃんが言ってた。一緒に暮らしていると、家族まで《終わらせ》かねない。だから集落を作らず、全国各地に点々としているのだと。

 「一緒に暮らしてても、良い事ばかりでは……」

 私はそれ以上言わなかった。一緒に住んでいたからこそ芽生えた殺意だってある。それがあの事態を招いた。

 「あー、あれからもう二年も経ったんだね」

 藍さんもそれ以上言わなかった。


 私はあの日、一人で帰ってきて藍さんに出会って、今までの事を全て話した。お婆ちゃんが死んだこと。お母さんが権力を行使して村を動かし始めたこと。『計画』は、無差別殺戮でしかなかったこと。そして、あまりにも多くの東都の尊い命を奪ってしまったこと。

 罪ばかりが、増えていく日々だったこと。


 お昼頃、私は洗濯物を畳みながらテレビを見ていた。ほとんどジャージしかない。ほぼ一人でしか住まなくなったから、洗濯物の量も激減した。

 「―――速報です、警視庁は無差別殺戮の容疑で、反野ヒロユキ容疑者を確保したと発表しました――」

 聞いたことある名前。

 雪のお父さんだ。『計画』に参加さずに村に残っていた、数少ない大人の一人。なんで、どうして?

 『計画』の時、お母さんは完璧に報道陣にばれない様細工をしていた。だから、警察に情報が行くわけない。洗脳したって言ってたし……。そもそも『計画』に参加していないはずのヒロユキさんがなんで捕まる? どこで顔バレしたんだろう? 私たちが《終わらせる》時は、絶対に他人には分からないようになっている。

 誰かが情報を漏らしたぐらいしか、考えられない。とすると、誰か警察の内通者が村にいることになる。

 別室のドアを叩く。藍さんも丁度同じニュースを見ていたようだ。ショウちゃんはすやすや眠っている。

 「雲ちゃん、心当たりはある?」

 「いえ、ありません。緊急集会をしなくちゃ」

 「大ホールは私が開けてくるから、早く村の人を」

 「ありがとうございます!」

 私は走り出す。頬に滴が当たる。見上げると、空は呆れるほどに快晴なのに…お天気雨だ。


 村全員が集まった。全盛期は二千人が住んでいたという射裏村だが、今では大ホールに収まるほどの人数にまで減ってしまった。百十人ぐらいか。

 「雲姉ちゃん……どうしよう、お父さんが―――」

 雪が泣いている。私は無言で彼女の頭を撫で、そして強く抱きしめた。彼女の身体は静かに震えていた。気が付くと雪のお母さんがそこに立って、私を見つめていた。私だって、どうしたらいいか分からないよ……!

 「みんな、ニュースはもう見たよね? ヒロユキさんが逮捕されてしまった」

 みんな、喋らずに黙って私の方を見ていた。マイクに手汗が絡みつく。やっぱり大勢の人の前に経つのは苦手だ。でもこんなんじゃ、お婆ちゃんみたいにはなれない。

 「……まさかと思うけど、警察との内通者はいないよね? みんなを信じたいんだけど……」

 居るわけないだろ! と怒号が上がる。だよね。ホール中がざわめき出す。あー、お母さんはどうやってまとめ上げていたんだろう。カリスマ性が欲しいよ……。

 殺さない方が案外良かったかなぁ、なんて。

 「そんなこと思わないで。過去を後悔しないで」

 吃驚して隣を見ると、藍さんが青い目で睨んでいた。

 「……声、出てました?」

 「マイクに入ってないけどね。気を付けて」

 「はい……」


 しょんぼりとした隣の少女に、ちょっと呆れる。人を比べることは悪い事なんだろうけど、やはり出来すぎた彼女の祖母の姿がちらつく。自分がどんなに大怪我をしても、死ぬ気で村を守ったあの子。半世紀が過ぎても、村では英雄扱いされているあの子。反野一族本家が薄命なのは、仕方がない事だけど―――。

 過去に後悔しているのは雲じゃなくて、私だ。


 結局、集会では何の手がかりも得られなかった。怪しい行動をしている人がいたら私や藍さんに言うこと、出来る限り大人も東都には行かないこと、殺人依頼が入っても長い間そこに滞在せずに、《終わらせ》たら、さっさと村に帰ること。すごく単純な取り決めだが、今はそれくらいしか出来ない。

 集会が終わってみんなが帰っていく中、雪に呼び止められた。集会の間ずっと泣いていたんだろう、目は真っ赤に腫れていた。本家の血筋だから、もうそれは燃えるように真っ赤な赤だ。

 「お父さん、殺されちゃうのかな…」

 もう雪だって十五歳だ。幻を語っても、通じない。

 「……分からない」

 雪は小さな声でそうだよね、と言うと母親と共に帰って行った。ヒロユキさんを助けたい。けど、私がもし警察に捕まったら、村はもっと混乱する。そしたら、また東都の人を無差別殺戮してしまうかもしれない。駄目だ。


 村の近くの山の上、お婆ちゃんのお墓の隣。何も考えたくないときは、いつもここに来る。もう夕方だけど、東都のほうは随分明るい。もし自分が反野一族じゃなくて、東都の人間として生まれていたなら、それはそれは楽しい人生だったかもしれない。いや、それはそれ「で」楽しい人生だったかもしれない。今の人生だって、色々あるけど十分に楽しいから。うん、楽しいもん!


 日記を読み返しながらため息をつく。

 ヒロユキさんの逮捕から3か月、もう反野一族の半分以上は逮捕されてしまっていた。規則を作ろうと、東都に出ないようにしようと、捕まってしまう人は後を絶たない。村の場所もきっと、ばれてしまっているだろう…。

 ニュースの報道を見る限りでは、捕まった一族のみんなは反野一族のことを全く語らずにいるらしい。残された仲間を思っての行動だろう。感謝せずにはいられなかった。私にだって、できることはあるはずだ。

 「じゃあ、今日も集会を始めます。……今、何人残ってる?」

 いち、にい、さん……と数えて、……もう数え終わってしまった。ああ、もうこんなに減っちゃったんだ。

 「19人……だね」

 みんな泣きそうな顔をしていた。藍さんは俯いたまま。私もこぼれそうになる涙をこらえる。

 「今日はみんなに言いたかったことがある」

 深呼吸して、マイクを強く握り直す。

 「冗談じゃなくて、もうこの村は駄目かもしれない。どうして逮捕されてしまうのかも、分からない。内通者がいるかもしれない。こんな状況で、みんな、私についてきてくれて本当に感謝している。頼りないのに。私は弱いけど、反野一族としての誇りは持ってる。だから、絶対に一族の血を絶やさないよ。私が、絶対にみんなを守るから」

 みんな泣き出す。みんな席を立って私に抱き付く。こんなにも終わりに向かうことって、悲しいんだ……。


 現在無事なのは12人。この日、藍さんはショウちゃんを連れて村を出ていくと言った。そりゃそうだ、命の危険性がある本家に関わっても、良い事なんてない。

 「藍さん、いつかまた戻って来てくれますか?」

 「まあ、死ぬ前に一度は戻ると思うよ。でも、私が死ぬより先に、この村が無くなっていると思うけど」

 やけに雨の音がうるさかった。目の前の藍さんが歪んで見えた。藍さんは何も言わずに私を抱きしめてくれた。私は大声で泣いた。藍さんも少し泣いていた。私は村を変えられなかった。また運命を変えられなかった。

 「くもちゃ!」

 「ショウちゃん……」

 ショウちゃんはニコニコしている。何も知らないことは時に残酷だ。ちょっと無知が羨ましかった。

 「ショウちゃん、元気でね。またいつか会えたらいいな……また……いつか、きっと……」

 涙がまた溢れてくる。ショウちゃんは不思議そうな顔で私を見ている。きっと二度と、会えないだろうな。

 「雲ちゃん、村の長として最後まで誇りを持つこと。…村が滅んでも、天照大神の血筋は滅ぼしちゃ駄目」

 私が返事をする前に、藍さんはショウちゃんを連れて歩いて行ってしまった。私は引き止めず、ただ不思議そうな顔で何度も振り返るショウちゃんに手を振っていた。ごめんね、さよなら、元気でね。


 次の日の朝、村は完全に警察たちに包囲されてしまった。私たちは必死に抵抗した。反野一族の誇りを持ち、各々の“抗い”や力で戦い続けた。一人、また一人、警察に捕まって消えて行った。最後まで私と雪は抵抗し続けた。だが雪は警察の銃弾が左手に命中すると、何かを諦めたようにその場にしゃがみ込んだ。私は何度も彼女の名前を叫んだ、声が枯れて血を吹くほど。あっと言う間に雪の姿は見えなくなった。私の右腕を誰かが掴んだ。続けて左腕も固められた。捕まったその瞬間、私は慟哭して、そしてすぐに意識を失った。

 射裏村が滅んだ瞬間であった。


 刑務所にぶち込まれた私は、自分の今までの人生をただ茫然と考えていた。無力なままに生きてきた。空を漂い、海に還り、風に流され、雨を降らせた。もうすぐ時間だろうか。みんなはもう上で待っている。

 「……反野死刑囚、時間だ」

 薄暗く中途半端に長い廊下を歩く。私の人生みたい。本当に終わりなんだな、と思うと何故か笑えてきた。

 「アハハ、アハハ、アハハ……所詮こんなもんか……」

 笑い出した私を、執行人は気味悪そうに見ている。目の前の縄を首にかけるように指示された。笑いは収まらない。アハハ、アハハ、アハハハハハハハ……。


 そういえば死刑執行するボタンは何個かあって、誰が床が抜けるボタンを押したか分からないようになっているんだと聞いたこ


ガタン

















 ……聞いたことがある。


 執行人たちが戸惑いの表情を浮かべている。私に恐怖を抱いている。ちょっとお母さんの気持ちが分かった。私はそのまま部屋を飛び出して、両手を縛っている縄を噛みちぎった。薄暗い廊下を逆走する。大声で笑いながら、笑いすぎて涙が出るくらい。


 私の真の“抗い”は、たった今覚醒したんだ。いつまでもどこまでも逃げる。運命からも逃げる。

 まるで雲が、空の端へ逃げてゆくように。


 体が軽い。警察官が打った銃弾を、何も考えずに反射的にかわす。川を越え山を越え、どこまでも逃げる。

 やがて、山に囲まれた小さな町に辿りついた。どうやって生きよう。再び走り始めたその時、何かと強くぶつかった。全身がじんじん痛い。何とぶつかったんだろうと体を起こすと、自転車がぐんにゃりと曲がって転がっていた。前かごは原型を留めていない。私はよほどのスピードで走っていたんだなと、その時初めて分かった。その十メートルほど先に、人が横たわっていた。息をしていなかった。心臓が動いていなかった。また《終わらせて》しまった。多分この辺りの高校に通う生徒だろう。日焼けしていて、髪が短くて、紫色のリュックを背負っている。頭から血を流し、目は開かれたままだった。私はそっと彼女の目を閉じさせてあげた。

 「死刑囚なのに、また殺しちゃったらまずいなあ」

 幸い周りには誰もいない。まだ7時過ぎぐらいなのに人通りがない。よほどの田舎なんだろうな。さてどうしよう―――そう思ったとき、自分の身体がまた何かに打ち付けられた。今度は痛いとは思わなかった。景色が九十度傾いている。倒れたんだ、私。人が死ぬくらいだから、もちろん自分にも相応のダメージがあったんだ。ちょっとヤバそうな気がする。……血筋を滅ぼさないでって、藍さんに言われたのに……。


 雲が目を閉じたその時、辺りは紫色に包まれた。

 倒れている女子高生と雲の間を、何かがくるくると回って、そして消えた。


 「痛っ! って何これ? 前かご潰れてるし、うわあ、パンク直したばっかりなのに最悪……」

 先に目を覚ましたのは女子高生の方だった。全身にかすり傷を負っているものの、さっきまであったはずの頭の深い傷は見当たらない。……本人は気付いていないようだが。

 「これじゃ塾間に合わないじゃん……、お母さんに電話しないと」

 電話を掛ける彼女の背後で、また微かに紫色の光が走る。彼女は気付いていない。天に召されゆく雲は、最期の“抗い”を使い、自分の意識の一部を地上に留めることに成功したのだと、誰が分かるだろうか。雲の身体は姿かたちなく、消え去っていた。死刑囚は消滅した。

 ほどなくして、彼女の母親の車が到着した。

 「こっちこっち」

 母親が手を振る彼女に気づいて、車を方向転換させた。遠方用のヘッドライトの光が彼女の目を直撃する。

 彼女は車中に乗り込み、母親にヘッドライトが眩しすぎると文句をつけた。家までしばらく時間がかかるので、彼女はすることが特になく、なぜか鼻歌を歌った。

 「それ何の歌?」

 「……分かんない。聴いたことあると思うんだけど」


遠くから聴こえてくるのは 君の唄

 遠くから聴こえてくるのは 君の声

 日が昇っても 日が沈んでも

 絶えることなく 永久に聴こえる

 空よ 雲よ 海よ 一緒に唄おう

 この唄を この声と いつまでも いつまでも



ヘッドライトの光が直撃したあの時、彼女の瞳が紫色に光ったことは…誰も、知らない。


血なまぐさい一族の話は、終わらない。

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