そうして雲は流れていく【第2章 撥 外伝】

教室はざわついていた。クラスメートはみんな、一人の少女の方を驚きの面持ちで見つめていた。

 「……だから、私、高校受験はしないからっ」

 大衆に見つめられているのを気にしながら、彼女はそう言い放った。信じられなかった。学校で一、二を争う秀才が高校受験をしないなんて。この事が、受験を控えた十一月の中学三年生にどれほどの衝撃を与えるかは、言うまでもなかった。

 「クモちゃん、どうして」

 一番仲のいい女子が彼女に話しかけた。彼女はつらそうな、悲しそうな顔をして女子を見た。きっと、理解してくれないでしょ、とも言いたげだった。

 「家の都合で」

 それだけ言うと彼女は席に着いた。その瞬間、チャイムが鳴った。複数の女子たちは、彼女を質問攻めにしようとしたらしいが、諦めて自席に着いた。

 担任が入ってきて、坦々と彼女の事について説明された。家の仕事を手伝わなくてはならないらしい。昭和とか、大正の時代の話なら納得できる。だけど、現代で、家の仕事を手伝わなくてはいけない故に進学を諦めるなんてことはありえるのだろうか? しかも彼女は秀才だ。私立高校に受験したら、学費免除されるのは明白なくらい頭がいい。僕なんて比べ物にならない位。

 彼女は申し訳なさそうに、座っていた。


 彼女が受験をしないということが明らかになってから、クラスの女子の態度は一変した。あからさまに、彼女に対しての嫌がらせをしているのだ。酷い時は僕とか、中心人物系な男子が止めた。それでも収まりはしなかった。自分たちは受験を控えて必死こいて勉強しているのに、あざ笑うかのごとく受験をしないなんて。頭いいから見下しているのよ―――、女子たちはいつもいつも彼女の悪口を言っていた。ああいう女って低能だな、と思った。そんな状況にも関わらず、当の本人はピンピンしていた。逆に何のリアクションも起こさない彼女に、女子たちが諦めて、結果的に嫌がらせは無くなった。


 帰り道で一緒になった。

 「やあ、反野さん。途中まで一緒に帰らない?」

 「人見君! いいよ、一緒に帰ろ」

 彼女は頭がよくて、運動ができて、誰でも分け隔てなく接してくれて、時々繊細で…とにかく、僕なんかと比べちゃダメな人だ。神と紙くらいの差。

 「人見君、ありがとね」

 「え、なんで」

 「だって、私が嫌がらせされてた時に、一番初めに止めてくれたのは人見君でしょ。すっごく助かったんだよ」

 「そんな……当然のことをしただけだし……」

 何の気も無しに、彼女の瞳を見つめた。

 吸い込まれそうなくらい綺麗な、真っ黒な瞳だった。

 「当然な……だけ、だし……」

 「? 何か言った?」

 「いや、何も」

 動揺を隠しきれなかった気がする。

 「反野さん、受験しないんだってね」

 「うん。家が忙しくてね」

 「そっか」

 代々続く一族の末裔なんだって聞いたことがある。僕みたいに普通の一般家庭人には理解できないような、大変なお仕事とかやってるのかなー。

 「人見君はムカつく?」

 「君が受験しないことに? ムカつかないよ。だって他人だし」

 「面白いねー、こんな近くで話しているのに『他人』だなんて」

 「僕って変かな?」

 「ううん。大人なんじゃないの。少なくとも―――」

 彼女はニヤッと笑って、それ以上は語らなかった。少なくとも、あの女どもよりは大人なんだろうな、僕。

 「じゃ、また明後日。明日は家の仕事があるから」

 「頑張ってね。また明後日」

 彼女の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。

 僕の思いが届くように、ずっとずっと。


 今日は模試だ。多分、結果は散々。受ける前から何となく分かってる。クラスのみんなは、ちゃんと勉強していると思うけど、僕は全くと言っていいほど勉強していない。宿題を解いても、問題集をめくってみても、なぜか勉強する気にならない。先生たちはそれを「怠け」と呼んだ。そして、出来ない生徒には困った顔をしながらも教えていた。僕は出来そこないではないけど、中の下だし、ド普通の高校しか目指してない。つまんない人。

 もやもや考えながら、大都会の中を歩く。

 百メートルぐらい先で、悲鳴が上がった。

 「?」

 とにかく僕は、そこに向かって歩いてみた。


 ただ、血しぶきがすごかった。

 そこは血まみれになっていて、コンクリートいっぱいが真っ赤に染まっていた。通勤途中のサラリーマン、OL、学生服を着た同い年くらいの少年、少女…。様々な人の死体がひどくボロボロになって転がっていた。

 どうやら犯人は、悲鳴を上げた人を中心に殺しているらしい。やばい、警察に連絡しなくちゃ―――。

 そう思って携帯をカバンから出したとき、目の前の何かと目が合った。僕は驚いて尻餅をついて、大声を上げた。その人物はミニスカートにTシャツというラフな姿で(返り血を浴びてて全身はほとんど赤かった)、そして間違えなくこの騒動の犯人だった。彼女の手には凶器が見当たらなかった。ということは、素手で…。

 背筋がゾッとしたのも束の間、僕はまた新たなことに気付いた。彼女の目が、恐ろしいほど紫色に光っている。人間ではない、ゾンビとか、現実にはありえないであろう色にギラギラ光ってる。僕は叫び声も上げられなくなった。

 彼女と僕は、長い間見つめ合っていた。

 なぜ僕を殺さないんだろう。いや、殺されたくはないけれど…背中にべっとり、汗をかいてしまった。

 「………くん」

 彼女の口が微かに動いた。聞いたことのある声だった。

 「……人、見君……」

 どうして。

 どうして名前を知っているんだと声を荒げる前に、僕はある事実に気づいてしまった。

 「何で―――」

 彼女はひどく驚愕し、落胆しているようだった。

 「――何で、反野さんがこんなこと―――」

 それ以上は何も言えなかった。なんか、心の真ん中が締め付けられているようだった。なぜか、ひどく悔しかった。


秀才の女の子が進学できない理由。

 家の都合。


 「何で君がこんなことしているんだよ!」

 恐れおののくことを悟られまいとして、声を荒げた。

 「人見君……本当にごめん……」

 紫色の瞳から、大粒の涙が溢れだした。

 「どぉしてっ、人をこんなに……、殺して……」

 早朝のオフィス街に、僕の叫び声がこだまする。

 「代々うちは殺人鬼の家系なの」

 「っさつっ……!?」

 再び、声にならなかった。

 「でも……だからってしょうがないで済む話じゃない! 君は――人殺しじゃないか!」

 彼女は全てを受け入れるように頷いた。僕は膝から崩れ落ちた。

 「私」

 彼女の血にまみれたTシャツが風になびいた。

 「もう、こんなことしたくないの」

 そう言って、彼女は僕に抱き付いた。他人の血が制服についちゃうんじゃないかとゾッとしたが、既に血は乾いてて、そんな心配は必要なかった。


 僕と彼女の、秘密を共有する日々が始まった。



 翌朝学校に行くと、彼女はいつも通り登校してて、いつも通り席について、難しそうな本を読んでいた。いつも通り、がとてつもなく恐ろしかった。

 「おはよう、反野さん」

 僕が思い切って話しかけると、

 「人見君、おはよ」

 と、彼女は微笑しながら返してくれた。まるで、昨日のことなんて忘れてるみたいに。

 「……ねぇ、昨日の事……」

 僕が小さくそう言うと、反野さんは

 「二人だけの秘密にしておいて」

 と、小さく笑った。

 昨日紫色に光っていた瞳は、吃驚するほど真っ黒になってて、本当に昨日の事は夢幻なんじゃないかとも思った。

 「分かった」

 ここで分かったって言っておかなかったら、僕の命があぶない。半ば強制されているようだった。



 それから何回か、彼女の殺人現場に遭遇した。その度に僕はやめなよと彼女に言ったけど、家の昔からのしきたりには抵抗出来ないと悲しそうだった。

 でも、僕は彼女に明らかな変化をもたらしたみたいだ。

 「私ね、夢が出来たの」

 「夢?」

 「強くなって、強くなって、家のしきたりを変えるの」

 「おお」

 夕焼けに映える君の横顔がとても綺麗だった。だから僕も、彼女につられて言ってしまった。

 「じゃあ僕は、君とずっと一緒にいたいな」

 彼女の瞳が大きく開いて、僕をじっと見て、口元が緩んで、彼女は照れ笑いをした。

 彼女の殺人現場に出くわしてから二か月、僕と彼女は付き合い始めた。



 中学校の卒業式、君は僕に別れを切り出した。

 しきたりで、中学校を卒業すると外に出るのはほとんど禁止になるから、一度別れよう。

 「そして、私がしきたりを変えたら、また君の元に戻ってくるよ。それまで待っててくれる?」

 セーラー服に、涙がこぼれた。

 「待ってる。ずっと待ってるよ」

 僕が確かにそう言うと、彼女は大声で泣き出した。太陽が沈んで、月が出そうになる時間まで一緒にいた。

 「君を信じてる」

 僕は彼女の手をそっと離した。離れたくなかったけど。すると彼女は優しく笑って、僕のほっぺに静かにキスをして夜の街並みへ消えていった。

 初恋だった。



 それから二年、僕は高校二年生になっていた。部活にも入らず、彼女も作らず、世間で言う「非リア充」という部類だったけど、彼女をずっと信じて待っていた。彼女と会うのが例え十年後でも、五十年後でも、構わないほどに僕は彼女の事が好きだった。会いたかった。街角でいきなり、「人見君」と僕の肩を叩くかもしれない。図書館で隣の席になった人が彼女かもしれない。淡い期待はその度に裏切られたけど、それでもめげなかった。本当、本当に、僕は反野雲という彼女のことが好きだった。



 懐かしい声を聞いたのは、やっぱりまた早朝だった。そして、彼女はまた血まみれだった。

 「人見君……?」

 いぶかしげに、死体の中の少女は僕に問いかけた。僕は大声をあげて――歓声をあげて、彼女の元に走った。

 「反野さん、久しぶり。……髪、切った?」

 「はは、人見君、タモリさんみたい」

 彼女の笑い声が少しだけ乾いているのが気になったけど、とにかく元気そうってのは分かった。

 「私、もうすぐしきたりを変えられそうなんだ」

 「ほんと?」

 「ホント。だから、もう少しだから。待っててくれる? …もしかして、彼女とか出来た?」

 「彼女なんて、いるわけないよ! ずっと一人ぼっち」

 「やっぱりね。人見君全然変わってないもん」

 「えー、カマかけたわけ?」

 「ごめんごめん、冗談だってば」

 返り血を全く拭わずに彼女は笑ってた。


 「!」

 彼女がすかさず上を見上げた。そして何かをきつく睨んだ。

 「どうした?」

 「……見られた。一族の人に」

 それが非常にマズイ事態であることを、お互い、理解していた。



 彼女にはもうすぐ一族を変えられるほどの力がある。

 僕はこの先、平平凡凡な人生しか送れないだろう。


 「殺していいよ」

 僕は君のことが好きだった。

 「僕を殺して、しきたりに苦しめられている一族の人たちを救ってあげて」

 君を愛してた。

 「君なら出来る。信じてる」

 君が初恋でした。

 「世界で一番好きな君に殺されるなら本望だし」

 そして、君がきっと最後の恋になる。

 「やだっ」

 人見君を失いたくない。

 「そんなの…絶対、絶対認めない」

 人見君が居なくなるのは耐えられない。

 「ずっと一緒にいたいのに」

 そう約束してくれたじゃん。

 「世界で一番好きな君を殺したくない」

 そう約束してくれたじゃん…。


 まだ、視線を感じてる。まだ見てる。

 彼女はすごく苦しそうな顔を見せた。二年前、僕に泣きついたあの時みたいに、苦しそうな顔。

 僕が楽にしてあげたい。例え、死んでも。

 彼女を孤独にしてしまうと分かっていても。

 今まで積み上げた積み木が、崩れ去ってしまうとしても。

 「反野さん」

 「人見君、逃げよう」

 「逃げないよ。君には未来がある」

 「人見君、もう私、一族のことなんていい! 逃げようよ! 二人きりで、どこかに」

 「僕も君もまだ未成年だよ。君の殺人鬼一族から逃げられると思う?」

 「そんな冷たいこと言わないでよ、やめて、やめて」

 「僕はリアリストなだけだよ」


 腕を広げた。

 「さあ、僕を殺して、未来を生きて」

 死ぬことは怖くなかった。ただ彼女が好きだった。


 「嫌だ、殺したくないっ…そんなの、決められないよ、無理だよ、無理だよ人見君」

 「無理じゃない。君らしく僕を殺して」

 「嫌だよおお!」

 「最後の約束ね。僕に出来るだけ痛みを感じさせないように殺してくれる?」

 彼女の瞳が紫色に光った。

 彼との未来。彼が居ない未来。彼との生活。彼の居ない生活。彼との人生。彼の居ない人生。

 そんなの、私に、決めさせないで!


 「ごめん、私は―――」




 「吃驚したわよ雲ちゃん。昔の同級生に会ったって」

 「……ええ」

 「まあ、問題なく《終わらせ》たからよかったけど」

 「……それは当然のことですから」

 「さすが、反野一族の跡取りね!」

 私の見ている風景が歪んだ。

 気が付いたら、私は一族の人を殺していた。

 人見君同様に。

 「人見君……私、どうすればいい?」

 動かなくなった彼の唇をそっと奪った。まだ暖かくて、柔らかかった。

 「君が好きでした。今も昔も、これからもずっと」


 私は、自分の運命から逃げられなかった。



 そして、物語は【第二章 撥】へ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る