第2章 撥
【第1章 鏡編から実に48年後のお話】
「
夫を病気で亡くした時、周りの人によく言われた。理由は、生まれたばかりの娘を一人で育てることになってしまっても取り乱さず、気丈であるから。
そんなことない。私は強くない。夫が死んでしまったのは一つの事実で、生まれたばかりの娘を一人で育てなくちゃいけないのも一つの事実だ。否定する暇も、大声で喚く暇もない。ただ現実が毅然とそこにいるだけだ。
23歳の私は、赤子を抱えてそんなことを思っていた。
夫が死んで17年。娘が生まれて17年。
40歳になった私は、この前亡くなった母(鏡)の後継ぎとして、射裏村の長に選ばれた。
村長がやることと言えば、せいぜい村に侵入しようとしてくる輩を跳ね返すことぐらいだ。なんでも母が村長だった時代は、日に何人も侵入してくる輩がいたと聞く。都市伝説が廃れた今では、たまに道に迷った人が誤って村に入るのを防ぐぐらいである。時代は変わるものだ。
「お母さーん」
山から娘が帰ってきた。ミニスカートが風に吹かれてめくれそうになる。
「
「だって勿体ないじゃん、今頃他の子は……」
「うちはうち、他は他。この村に生まれた以上、しきたりには従わなくちゃいけないんだって何度も言ったでしょう」
「………」
娘はふて腐れた顔で部屋に入って行った。全く、中学校を卒業して二年が経つというのに、自覚が足りない。あんたがどんなに不満でも、この村では中学校を卒業したら、成人するまでは独断で村から出るのは禁忌だ。携帯を持つことも流行の服を買うことも、禁止だ。全てはこの村を守るため、大昔に初代村長が決めたことなのだから。
ああ、もうすぐ集会の時間じゃない。行かなきゃ。
「雲、夕ご飯はレンジで勝手にチンして食べて」
返事はなかった。へそを曲げているんだろう。面倒くさい。…雲一人でよかった。あと二人いたら、私の精神は持たなかっただろう。
「それでは集会を始める。まずは、明日行われる『計画』の件だけど――」
視線が一斉に私に向けられる。『計画』を実行するかどうかは村長の私に委ねられるからだ。私はいつものテンプレート通りに、
「……『計画』は実行する。より良い日ノ本ノ国へ!」
と言った。その瞬間、拍手が湧きあがる。みんな口々に「より良い日ノ本ノ国へ!」と叫ぶ。
大人も、元服を迎えた子供も、みんな嬉しそうだ。
「村長さま!」
一人の少年が私に話しかけた。この前元服を迎えたばかりの子だ。
「ああ、君は初めて『計画』に参加するんだっけ?」
「はい! 僕、まだ何をしていいのかよく分からなくて…」
「大丈夫。初めてはそんなもんよ。武器は何を?」
「兄のお下がりの斧です」
「斧なら、あまり力を入れて持たないこと。次の日手が痛くなるからね。そして何も考えないこと。いい? 私たちは《終わらせる》だけよ」
「はい! ありがとうございます!」
少年の顔がほころぶ。彼は走って同じ年代の子たちの輪に飛び込む。村長に助言してもらうなんて、あの年代の子たちにとっては無上の喜びなのだ。みんな彼を褒め称え、羨ましがっている。…別に私は神でもなんでもないんだが。まぁ、村長=神のという考えが色濃く残る村だから、それが常識なんだ。
集会が終わり、私は村から程近い山の頂上にいた。月がとても綺麗な夜だ。明日には満月になるだろう。
ふと隣に佇む墓を見る。母の名前が掘られたとても質素な墓だ。生前からこの山の頂上が好きで、ほとんど寝たきりになっても登ろうとまでしていた。母が二十五の時に亡くなった母の弟と、よく登っていたという。
今日は良く晴れてて、東都の夜景がよく見える。全く、こんな遅くまでネオンの明かりが見えるなんて。こんなんだから日ノ本ノ国は駄目なんだ。やはり私たちが粛清しなくてはいけない。大昔の先祖のように。
私は間違った生き方なんてしてないでしょ、母さん。
「雲! 起きなさい」
午前四時。『計画』を執行する日の朝は早い。雲を叩き起こしたけど、あの様子じゃちゃんと起きるのに三十分はかかる。朝に弱いのは夫に似たんだろう。
「お母さん、本当に『計画』……やるの?」
「やるに決まってるでしょ。昨日の集会で言ったのに」
雲はうんざりした顔で、
「……人を殺して何が日ノ本ノ国の為になるの?」
と、言った。
「雲、そんな表現を使っては駄目でしょう。《終わらせる》と言いなさい」
「意味一緒なのに。それに汚れた人間を殺す、って謳ってるけど…私達だって汚れた人間じゃない」
「雲! 村長の娘が何を言ってるの! 私たちは東都とかにいる人間とは違うのよ。天照大神の直系の子孫、反野一族の自覚を持ちなさい!」
私が思い切り睨みつけても、娘は目を逸らさなかった。少し幼さの残る瞳の奥に、紫色が見えた。そこからは怒り狂う感情が溢れ出ていた。
「「早く準備をしなさい」」
娘相手に“抗い”を使うのは母親として失格だろうか。私の“抗い”によって精神を軽く引き裂かれた雲は、その場に座り込んだ。苦しそうに私を睨んだ。
私の“抗い”は母のそれとは違う。母は物理的な攻撃を跳ね返すが、私は精神的な攻撃を跳ね返す。
まるで油が、水を撥くように。
日が昇る頃。私たちは世界一高い電波塔の一番上に集結していた。ここなら、一般人は絶対に入り込めない。いいものを作ってくれたものだ。…『計画』が執行しやすくなった。
「……で、今日のノルマは一人二十人ね。全員で三十人いるから30×20で600人。ちょっと多いけど、大丈夫。私達なら出来るわ」
老若男女、みんなが頷く。
「全ては、より良い日ノ本ノ国の為に」
電波塔から急降下し、みんなが四方八方に散らばる。雲も不機嫌そうな顔をしていたが、東の方角へと消えて行った。これなら大丈夫。一番気乗りしてない雲だが、こなすノルマ数はあの子が一番多いのだ。将来有望だ。
早朝のビジネス街に降りて、手始めに男性を
「「何が怖いの? 何に怒ってるの?」」
一気に周りにいた四十人ほどに“抗い”を返す。苦しみ悶える様は、汚らしい人間に合っている。
こんなに《終わらせ》ても、報道されることは一切ない。裏には裏の仲間がいる。私なりの正当手段だ。やはり『計画』を発案した本人だし、そこまで手が回らなくちゃ駄目だし。
母さん、私、間違っていないよね?
一方、射裏村ではある人物が訪問していた。
「……鏡さまですか? 先日お亡くなりになりましたが……」
私を出迎えてくれた少女は、不思議そうな顔でそう言った。……しまった。ちょっと戻るのが遅すぎた。
「そっかー、死んだんだ」
「はい。……あの、どちら様ですか?」
「んー、藍って言うんだけど、知らないでしょ?」
少女は首を傾げる。
「まぁー以前その……鏡「さま」と交流があってね。娘さんとかはいらっしゃらないのかな?」
「ああ、撥さまなら、ちょっと『計画』に」
「……『計画』? 何、それ」
「それは――、すみません、教えてはいけないんです」
私が旅に出ている間に、村が変わっている。鏡の時代は今にも壊れそうなボロっちい雰囲気だったけど、今の村は全てがまとまり強くなりつつある雰囲気を感じる。よほど実力のある村長なんだろう。
「……ならいいや」
私が踵を返すと、少女の安堵の吐息が聞こえた。『計画』がよほど重大なものかが窺える。私は振り向いた。
「……村長本人から聞かせてもらおうかな?」
少女が一瞬だけ露骨に嫌そうな顔をした。結局、私は撥さんが帰ってくるまで村に居座ることにした。どうしたことか、村には大人の姿が見当たらない。というか年頃の子供もいない。幼い、年長でも中学生くらいのしかいない。みんな私が背負っている赤ん坊に夢中だ。
「お姉さん、この子なんて言うのー?」
「ショウイチって言うのよ。かわいいでしょ」
「かわいいー!」
赤ん坊に夢中になっている君たちもかわいいけどな。
さて正午、集合時間。再び電波塔に全員が集結する。みんなノルマはクリアできたようだ。初めて『計画』に参加したあの子も得意げにその子の兄と話している。うまくいってよかった。
「撥さま、雲ちゃんが見当たりません」
「え、うそ」
「連絡も取れません」
最後の最後に何をやってるの、雲は……! まさか失敗なんてしてないと思う。思いたい。いや、しちゃ駄目だ。
「お母さん」
声のする方へ振り向くと、雲はすました顔で突っ立っていた。全く心配かけて、と愚痴をこぼした。
その瞬間、自分の身体が歪んだような錯覚を起こした。――でも瞬時に理解した、雲が私の身体を引っ張り回していると。
「やめなさい!」
思いっきり彼女の手を振り払う。私は東都の空に放り出された。でも体勢を変えて、すばやくビルの屋上に着地した。あの子は何を考えている?
「雲、あんたは雲みたいに何を考えているか分からない。何をしたいの? 何を、したいの!」
雲の瞳は完全に紫に染まっていた。母さんの能力をうまく受け継いだ結果だ。
……なんで私じゃなくてあの子に受け継がれているの? 村を滅亡の危機から救った英雄の子供には受け継がれなくて、なんで孫には受け継がれるの? 私がいくら頑張っても努力しても規律を守っても悪を正しても、誰も褒めてくれない。いつもいつも後ろについてくるのは母さんの威光だけ。そんなの嫌なのに、陰では悪口しか言われない。調子なんて乗ってなかった。ねえ、なんで? なんでみんな私を見てくれないの? なんで母さんしか見ないの? なんで? なんで?
私は間違っていない。私は間違っていないよ、ねえ?
「大の大人がぶつぶつぶつぶつ、気持ち悪いよ」
雲の瞳が一際明るい紫になる。
「それに、お母さんは間違ってる」
「間違っていない!」
なんで子供相手にこんな感情的になってしまう? 私は正しいんだ。母さんだってきっと認めてくれる。
「人を殺して何が綺麗になるの? こんなの、やめて」
「「雲、度が過ぎているわよ!」」
制御しないまま“抗い”をぶつけてしまった。雲の鼻と口と目から血が流れる。表情が歪む。
「お婆ちゃんは……、こんなの望んでいなかったよ…」
違う、母さんもこうなるのを望んでいたはずだ。日ノ本ノ国がこうであるべきなんだと!
「お婆ちゃんは、村に侵入してくる人は嫌いだったよ。ちゃんとした理由があって人を《終わらせ》てたよ。でも、こんな無差別殺戮まではしなかっ―――」
「「間違っていない! 私が正しいの!」」
ごふぅ、雲が血を吹いた。このままじゃ死ぬ。
でも私は間違ってない。ねえ、母さん。ねえ、遥か遠くの先祖、天照大神さま。私は間違っていないでしょう。
死にそうになりながら雲は笑った。何がおかしい?
「お母さん、村は私がなんとかするからね」
自分が再び彼女に掴まれ振り回されていると気付いた。いつのまにここまで? 今度は振り払えない。私の首元を掴んでいる手は、恐ろしいほど力がこもっていた。
「私は気付いたんだよ、お母さん。私たちが間違っていたんだ」
違う! 違う! これで正解でしょう!
「たとえ天照大神の直系の子孫でも、特殊な力を持っていても、私たちは弱くて汚い人間だよ」
違う! 汚くなんてない、神聖な一族でしょ!
「私もお母さんも、強くない」
チガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチ
「私が射裏村を、反野一族を変える」
オマエニナニガカエラレル、ナマイキナコムスメガ!
「「村の事は任せて」」
頭が軋むような音。同時に雲の言葉も頭の中に反響した。気持ち悪い感覚だ。
ふざけてないで、こんなことやめなさ
「あ、帰って来たよ!」
子供たちが騒ぎ出す。撥さんも帰って来たかな?
たった一人少女が歩いてくる。撥さん? 随分若いな。
「はじめまして、私は藍。あなたが撥さん?」
彼女はどこか鏡に似ていた。
「いいえ、撥は母の名前です。私は雲」
「雲……」
「はい。射裏村の新しい村長です」
彼女は力なく微笑んだ。心なしかとても疲れているように見える。
「それで、撥さんは?」
「……今頃、どこかの電波塔に突き刺さっていますよ」
あの時、今日が真の力を発揮したあの時みたいに、私の身体に寒気が走った。どうしてかな、恐怖を感じた。
「私がこの村の常識を変えるんです」
そう言って雲は目を細めて笑った。
……新しい時代の幕開けなのだろうか、これは。
東都のどこかにある、血なまぐさい村のお話。
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