反野一族物語シリーズ

ヒコーキガエル

第1章 鏡

 ここは東都。日本の全てが集結する大都会である。周りは狭苦しくビルに囲まれ、その中で人々が蠢いている。

 最近、東都はある噂でもちきりだった。この廃棄物が密集しあう汚い街に、村があると。緑の無い場所に、森があると。若者たちはふざけあって探した。専門家たちは真剣に情報を辿った。しかし、一向に村は確認されなかった。――その村は「イリノムラ」と呼ばれていた。


 「はーっ、朝だね~」

 一人の少女が、山の上で背伸びをする。天気はとても良くて、山から見下ろす東都の景色はとても綺麗だ。

 「キョウ姉さん、置いて行かないでよ」

 少女に続けて少年も山頂に到着する。

 「うだうだしてるアンタが悪いのよ」

 「……ひっでぇ」

 姉のキョウに呆れながら、弟のミンも背伸びをする。朝の風がひゅう、と吹いた。

 「風が笑っているね。今日は晴れる」「そうね」

 ここはシャウラ村。透明な風が通る緑の地である。


 二人が山を下り、集落へと戻ると懐かしい人影が見えた。

 「藍さま、旅からお帰りになっていたのですね!」

 鏡が駆け寄ると、茶髪の女性は鏡を抱きしめた。

 「キョウちゃん、大きくなったわね~。私の事、覚えていてくれたんだ」

 「勿論。私に“抗い”を教えてくださった人ですから!」

 二人が騒いでいると、集落のみんなも起きだし、藍の周りに集まり始めた。この藍、という女性は十年ほど前にシャウラ村のある人物の才能を開花させ、村を発展させた功績がある。開花した人物と言うのは何を隠そう、鏡のことだ。藍は一身の都合でしばし旅をしていた。

 「藍さま、私の“抗い”を見てくれませんか? どれほど成長したか」

 「分かった。あとで修行場で会いましょう」

 藍はそう言うと、他の人々と共に集会場へと入って行った。おそらく朝から酒盛りだろう。きっと酒が入っても、藍は藍のまま強いままだ。

 「鏡、ちょっと」

 お母さんが呼んでる。何だろう。騒ぎ立っているみんなの周りをすり抜け、お母さんの元へ行った。

 「何? ……また野次馬?」

 「そう。多分三、四人くらい。全く、イタズラをするために村に来るなんて嫌な輩だわ」

 「うん。分かった、追い払ってくるから」

 鏡は駆け出した。急いで村の奥の小高い丘へ。目をつぶり、全身を焦点に集中させる。…ああ、あそこだ。もう少しで村に入ってしまう。集中…集中…集中…。

 「「ここに来ないで、ここは…駄目」」

 きぃん、きぃん、きぃん、と居心地の悪い音が体中に響き渡る。続けて、地面が軋むような音も。

 丁度その時、鏡の前を小さな蜂が横切った。距離にして、五メートルは離れている。

 ――蜂は何かに弾かれるように、思い切り空に投げ出された。その衝撃で、ばらばらになってぽとり、と儚く落ちた。

 「ふぅ…やっと返せた」

 鏡は大きく深呼吸をして、虚空を見上げた。ついでに足元に転がった蜂の残骸も見下ろした。

 私の“抗い”の範囲がまた広がっている。これじゃ、何もかも弾いて壊しかねない。静まり返った心に、少しの恐怖が広がった。自分が生きてられるのも、きっと…。

 「キョウちゃん、強くなったね~」

 思わず振り向くと、藍さまが日本酒片手にあぐらをかいていた。いつから居たんだろう。

 「いえいえ、藍さまには及ばないです。これじゃあ、まだ全然村を守れない」

 「お堅いお堅い。まあ将来の長がしっかりしてる、てのは良い事よ。安心して村を離れられる」

 「藍さま…」

 どうして藍さまは、村長にならないのですか?


シャウラ村の長は代々、女性がやることになっている。この村は女性が実質実権を握る村である。太古の日本のように。


 「藍さまは…ずっと旅をし続けるのですか?」

 「ダメ?」

 「いいえ、その…村長にはならないのですか? あなたが村一番の能力を持っているってことは、みんな知っているんですよ」

 「えへへぇ、だって私、もともと本家じゃないし」

 「ほ、本家じゃなくたって、村長になった方は大勢いますよ!」

 「そうだけど、性に合ってなくてねー。キョウちゃんに村を守ってもらった方が何倍もいいよ」

 「……」

 村のみんなは、あんなにもあなたを慕っているのに。私なんかよりも、ずっとずっと慕われているのに。

 「ま、教育役はずっとやっていくつもりだし」

 藍さまは、軽くピョンとジャンプをした。近くにあった大樹を越え、空にも届いてしまいそうな大ジャンプ。ひゅーっと落ちてくる。私めがけて。

 反射的に、構えを取る。目をつぶり、藍さまが落ちてくるまでの時間を計算する。あと四秒…二秒…。

 「「跳ね返れ!」」

 バチィィン、と鈍い音がする。痛い。出力は最大限だった。これでも、藍さまに及ばないんだ。

 跳ね返された藍さまは、宙返りをすると地面に音もなく着地した。

 「いや、ほんとに強くなったね、前は手加減してても十分に跳ね返しきれて無かったけど、あたしの本気を跳ね返すなんて」

 「そんな、まだまだですよ、私」

 鏡は苦笑いする。藍は、はは、と軽く笑った。


 鏡が所用で丘を離れている間、藍は自分の靴の裏をこっそりと見た。スニーカーだが、底の部分が焼け焦げてただれてしまっている。これではあと何日も履いてられないだろう。自分の足が怪我しなかったことが幸い、というか…。鏡の“抗い”はとてつもなく強くなっていた。“抗い”をの能力を開花させた十年前とは、けた違いに。


 十年前、その時の村長だった鏡の祖母が亡くなった。村にイタズラ目的で侵入しようとする輩たちを跳ね返そうとして、力を使い切ってしまった。村には「跳ね返す能力」を持つ者が居なくなってしまった。そこで最もそれを開花させられる可能性のある鏡に、白羽の矢が立った。もともと能力というのは先天性であって、生まれてから身に付くことは無い。その当時の鏡も、今とは全く違う能力を持って生まれ育っていた。無理難題を、幼い七歳の少女に託した。半年に渡る絶食、非道すぎる鍛錬の日々。周囲は何度も止めた。自分をそこまで追い詰めてしまう彼女を何度も止めた。だが「村を守れるのは自分だけ」という幼い少女の堅い意志は砕けなかった。鍛え上げていた藍もそれに応じた。結果、開花に至った。

 「キョウちゃんは…無理しすぎなんだよ、何事も」

 藍は力なくはは、と笑って、底のただれたスニーカーから旅先で買った安っぽい下駄に履き替えた。

 「……厄介な村だよなあ、本当」

 ごめんね、キョウちゃん。私、この村が嫌いだから。やっていることは変わらないけど、嫌いなんだ。だから、十年前君にこの村の将来を託しちゃったんだ。罪を償いたくて教育役なんてやってるんだよ。

 だってもし自分の子供が生まれたら、こんな村で育って欲しくないんだ。やっていることは変わらない癖に。


 「警察?」

 藍が帰ってきてから一週間ほど。シャウラ村ではある噂が囁かれていた。

 「そうなんだ。キョウ姉さん知らなかったの? 近々この村に警察が来るんだって。学校でみんな言ってる」

 部落差別なんて、今の時代なくなったと思ってたのに。

 「憫、いじめとかあってないよね?」

 「当たり前だろ。いじめられてたら学級委員やってないよ」

 「だよね」

 大人ばっかりが気にしすぎているんだよ、全く。

 また“抗い”を使わなくちゃなぁ。

 鏡はため息をつきながら自分の部屋の電気を消した。もう中学校を卒業して二年以上経つ。中学校を卒業したら、この村のしきたりに従わなくてはいけない。同級生は元気だろうか? 先生は? 先輩や後輩は?

 色んなことを考えているうちに、眠ってしまった。


 村を少し離れた山の上に、一人、藍は佇んでいた。東都の夜景を見下ろし、考える。

 「………」

 藍は軽く地面を蹴って、天空へと大ジャンプをかます。そして彼女は天狗のように、木々の隙間を走り抜ける。

 ざざざざざざざざざざざざざざざざざざあ。

 鏡だけではなく、村も大きく変わってしまった。もう隠すことすら出来ないぐらい、逃げることも出来ないぐらい、村の力が弱まっていた。古くから世間に隠れて生きてきた村の寿命はきっと長くない。

 …そして、この一族の寿命も。


 数日後。

 早朝、いつものように山に登った鏡と憫は、あるものを目にする。大量のパトカーだ。この村に向かっているに違いない。

 「憫、私はここで“抗う”から、村のみんなにこのことを伝えてきて! …最悪の事態も想定してと」

 「姉さん一人で弾き返せないよ、あんな量!」

 「…私以外に出来る人はいないのよ。私がこの村を守らなくちゃ」

 憫は悔しそうな顔をしながらも、姉の願いを聞き入れた。何もできない無力の自分。男だということ。それがすごく悔しくて、苦しくて仕方がなかった。

 「はぁっ、はぁっ…みんなぁ、もうすぐ警察が来る! 今姉さんが、弾き返そうとしているけど、……最悪の事態に備えておいてって…」

 ざわめきが広がる。泣き出す小さな子。恐れおののく大人。…ここは自分がやらなくちゃ、ダメだ。

 「死ぬわけじゃ、無いんだよ! 姉さんが今頑張っているんだよ! 俺たちがそれに応えなかったら、悲しむぞ、キョウ姉さん!」

 彼の言葉に、少し混乱が収まった。

 「さあ、みんな準備を!」


 多すぎる。

 村をひっくり返して大捜索でもするつもりなのか。

 「ぐっ……手がぁっ、……痛っ」

 何度も“抗い”を使っているため、手は今にでも力に耐えきれず砕けてしまうそうだった。ものすごく痛い。

 「キョウちゃん、大丈夫? 私もいるから」

 「あ、藍さま……っつ」

 藍も隣に並び、“抗い”とはまた違った能力を使い始める。強風が山を通り抜け、雲を動かす。

 動かされた雲は膨れ上がり、やがて雷雨をもたらす。

 「とりあえず、かるーく何台か壊しちゃおうか」

 藍が思い切り拳を握り、ひねる。たちまち辺りは雷の轟音に包まれる。空は真っ暗に染まり、霧が立ちこみ、激しい雨と雷。最高のおもてなしだ、と藍は笑う。

 下の方で、何やら赤く光っている。ああ、雷にあたった車両が燃えているのだ。それでもサイレンの音は強くなる。量はあっちの方が多い。まだまだ。まだまだ。


 「突入!」

 集落ではすでに警察が突入をし始めていた。パトカーだけではなく武装部隊も来ていたとは。逃げ惑う人々。

 「戦える者は武器を! そうじゃ無い者は逃げろ!」

 憫が声を荒げる。彼の周りにも人が群がる。それを丁寧にかわし、確実に急所を彼は突く。能力は姉ほど恵まれていないが、武術体術なら村一番である。

 その、刹那。


 憫の身体を、銃弾が貫いた。


 「ぇ」

 驚く彼の視界に、白煙を吐いている拳銃、そしてそれを持つ警官が入る。ドサリ、力なく倒れた。

 嘘だろ、おれ、ここで、終わ、り?

 世界がいつもよりグルグル回っているような気がして、その後見えなくなった。

 …しまった。

 「ねぇ、キョウちゃ…」

 「分かってます!」

 憫に、銃弾が当たった。目をつぶりながら村の方に意識をもっと濃く移す。もうほとんど憫が動くような反応は感じられなかった。

 「キョウちゃん、もうここで抑えきるのは無理。村に行って戦いに加勢した方がいいんじゃ――」

 藍は鏡の顔を見た。そしてそれ以上言わなかった。

 鏡は、目を閉じて身体をボロボロにして、黙って涙を流していた。喰いしばった口からは血が流れた。

 弟を、この村を、守れなかった。

 鏡は静かに涙を拭い、そして走り出した。藍も続く。


 「あれは、AIだ! 指名手配中の女!」

 「やはりこの部落出身だったか。捕まえろ!」

 村に着いた。視線はみんな私に釘付けだ。今がいいチャンスだろう。誰もこの鏡のことなんて、彼女の怖さなんて知らないのだから。

 「「出てけ!」」 「「村から」」 「「早く」」

 いきなり“抗い”三連発をかますとは。

 武装部隊は葉っぱのように空に舞い上がる。そして雨でグチャグチャになった地面に叩きつけられる。グッチャグチャになって。

 「「弟を」」 「「憫を」」 「「よくも」」

 また三連発。叩きつけられ弾かれ、もうヒトの形は成してない。さすがの私でもこんな殺し方は出来ない。

 あ。

 銃弾が彼女向かって発射された。疲労しきっているんだろう、反応が少し遅れた。右腕を掠る。

 「キョウ、無理はダメ! 死んじゃうよ」

 私の物言いにも全く反応しない。…ああ、修行を極めた挙句開花をした直前の時をふと思い出した。


 紫色の眼が、新たに飛んできた銃弾を見据えた。


 銃弾は弾かれた。また空に放り出されるだろう。

 という私の分析は間違っていた。

 弾かれた銃弾は、もと通った道を反対方向へと飛んで行った。銃弾を発砲した、警官のもとに。

 警官は白目を剥いて倒れた。

 私は驚愕した。

 一つは、現在の彼女の射程範囲外で“抗い”をしたこと。しかも全身を集中させて跳ね返したのではなく、視線だけで。

 もう一つは、弾いたものが目的を失って別方向に飛んでいくはずなのに、また元来た道を戻ったこと。今までじゃ、実際じゃ、ありえなかった現象だ。

 とんでもない化け物が、目を覚ました―――。


 紫色の眼をした彼女は、何もかも跳ね返した。何もかも弾き返した。

 まるで鏡が、光を反射するように。


雨と雷雨が止んだころには、村は血なまぐさい臭いで充満していた。

 「憫…」

 鏡がそっと弟の頬を撫でる。ああ、よかった。

 「よかった…生きてる……憫っ…」

 鏡は弟を抱き寄せる。紫色から黒に変わった眼から、涙がすーっと流れていった。


 こうして、反野一族並びに村の存続は守られた。

 「あー、看板壊されちゃったのね」

 昨日、武装部隊が壊したんだろう。私は筆を執り、まず「ようこそ」と書いた。

 そして村の名前も続けて書いた。雑かな。

 「うん、いいんじゃない」

 藍さまが覗き込む。ちょっと恥ずかしかった。


『ようこそ、射裏村へ』

 ああ、読み仮名も書かなきゃ。

 上にシャウラムラ、と書く。

 下にイリノムラ、と書いた。


 東都のどこかにある、血なまぐさい村のお話。

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