マグダラのマリアと存在の証明について
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マグダラのマリアと存在の証明について
長崎は雨だった。
私は湿った石畳を一人歩く。空は目が痛い程真っ白に塗りつぶされて、そこに和洋中が入り混じった合成写真のような景色が広がっていた。中華街を抜けて、オランダ坂へ。孔子廟を横目に、グラバー園へ。修学旅行でも定番の観光地である長崎だったが、雨模様の平日とあってか、人通りはまばらだった。土産物屋の並ぶ通りはいかにも暇そうで、何をするアテもない店主たちは頬杖をつき、静かに雨だれの行方を追っていた。私は傘についた水滴を少し指で弾き、急こう配の坂道を登る。
緩やかなカーブに差し掛かったその正面、小高い丘の上の一際目立つゴシック様式の建物が目に入った。白い空に白い教会の激しいコントラスト、天を突く黒い風見鶏と純白のマリア像。それはひたすらに白の暴力であった。
講堂に足を踏み入れると、静の圧力に支配されていた。薄暗い空気にステンドグラスを隔てて仄かに光が差し込み、蒼い光が浮かび上がる。私は、水中にいるみたいだ、と思った。無人の礼拝所は耳が痛いほどに静かで排他的で、重く冷たい空気の中、無機質なマリア像がじつと私を見つめていた。さほど大きくもないが荘厳で威圧的な講堂を一通り見て回り、私は正面のステンドグラスと対峙する形で椅子に腰かけた。祭壇奥の十字架に架けられたイエス像は、蒼の空気を身にまとい、不思議な威厳を放っていた。右に聖母マリア、左に使徒ヨハネ。十字架の足元ではマグダラのマリアが跪いている。マグダラのマリア、罪の女、イエスの死と復活を見届けた女。罪人がなぜ聖人の一人に列挙されているのか、イエスの死と復活を近くで見届けることができたのか、そもそも彼女が何の罪を犯したのか、私は知らない。神も仏も信じない私には、知る由もない。私は目を閉じた。まだ時間はあった。冷えた身体と微かな疲労感とともに、圧倒的な純白の下の冷たい蒼の中で、私は自身の存在を消し、この世界の一部として溶けて沈んでいった。
無我の世界から私の意識を引き戻したのは、一つの異分子だった。何かの気配に慌てて意識を手繰り寄せ、ふと手元の時計を見やる。午後四時四十分、随分ぼんやりしてしまったようだ。うとうと微睡みながら、帰りの新幹線の時間を遅らせようなどと思案している私の目の前を、大きな帽子を
「美しいですか」
女の問いかけに、私は驚き硬直した。訝しげにあたりを見回すが、私と女以外には、誰も居なかった。女はこちらを振り返るわけでもなく、ステンドグラスのマグダラのマリアを見据えて動かない。気のせい、だろう。私は鞄の持ち手を少し汗ばむ手で握りなおすと、早く、この気味の悪い世界から元の喧騒へ帰ろう、と思った。
「マグダラのマリア。美しいですか」
今度は女が私を見ていた。特徴のない、血の気のない薄い顔をした、無表情の女がこちらを見ていた。焦点の合わない空っぽの黒い瞳の中で、逆さまの私が引きつり笑いを浮かべていた。ええ、まあ。私は短くそう答えた。今までは空気と一体化していた雨音が、急に煩く脳に響く。水中を思わせる蒼色はいつしか濁り、くすみを帯びて、湿った空気と共に私を不快にさせた。白はいつの間にか灰色に変わっていた。
「私も、かつてはそう思いました」
女は正面に視線を戻した。そうして、講堂はまた沈黙に戻った。私は鞄に手をかけた姿で硬直したまま、女の背中を見ていた。猫背気味の薄い背中越しには、何も見えない。
「私、ここへ来たことがあるのです。中学生の時に、修学旅行で。その時、とても感動したのです。この光景に。たしか」
そうですか、と答えるのが私にはやっとだった。立ち去るタイミングを完全に失った私は、所在無くそこに立ち、女の背中を見るしかなかった。そうしてまたしても沈黙に落ちてしまった空気の中、私が女に声をかけようか、黙って立ち去ろうか、迷っている数刻の後、唐突に、そして爆発的に、女が堰を切ったように喋りだした。
「
美の概念は、獣にもある。孔雀の羽も、獅子の
」
女は言うだけ言うと、口を噤んでしまった。私は、この奇妙で薄気味悪い頭のおかしな女の傍から一刻も早く立ち去りたい気持ちでいっぱいで、肌寒いのに、額からダラダラと汗がにじみ出ていた。引き攣る私の顔を、無表情の女がじつと見つめている。マグダラのマリアを見る目と同じ、何も見ていない目だった。はやく、女の問いに答えて、この異様な時間から逃げ出さなくてはと思うものの、いざ、美しいものと言われたところで、はた、自分が何を美しいと思うか、私は思い出せずに居た。私は何に感動し、心を揺り動かし、感銘を覚えたか。私は旅行が好きでいて、日本国内の名所と呼ばれるところは粗方訪れていたし、海外の著名な観光地にも、いくつも行ったことがあった。美術館によく通い、名作と呼ばれた作品もたくさん見た。純文学が好きで、優れた文章をたくさん読んだ。音楽も好きだ。煌めく石も好きだ。その他にも、数え切れない経験と好奇心で、私は成り立っていた。だが、この女を前にして、それらの美しいと思ったものが、急に何の意味ももたなくなったように思われて、私は頭が真っ白になった。普通の人より多くの美しいものを見て、知っていることに、少しばかりの優越感を感じていたはずなのに。何かを見て、へぇこれがとか、なるほど、面白いなどと言い、見たこと聞いたこと読んだこと手に入れたこと自体に満足感を覚えて、私は、ただそれだけだった。綺麗と言っても、素晴らしいと言っても、その夜、床に入ればそれを忘れて、数日も経てばその感動はすうっと消えてなくなる。するとはて、あれは本当に感動だったのだろうか、自分でもわからなくなる。便宜上、美しいとか綺麗とか感動とか、そういう概念は知っている。知ってはいるが、激しく何かを揺り動かされた訳でもなく、それを見て価値観が変わるわけでもなく、ありふれたあれやこれやのその程度のものを、この女に伝えて、果たして、美しいと思って貰えるかどうか、存在を確認するそれになり得るかどうか、私の感動は本当に感動だったのだろうか、私にはてんで自信がなかった。嘘だろうが、何でも言ってしまえばいいのだが、何故だか言えず、だが何かを言わなくてはと気は急くばかりで、私はもじもじと虚空を見て、ええと、ええと、と繰り返した。
「貴方も知りませんか」
女が残念そうに呟いた。
「何かを美しいと心から思う人間は、思っていたより存在し難いのかもしれませんね。そうなると、一体どれだけの人間が、美しいと心揺さぶられ、感動し、自己の存在を確信しているのでしょう。獣が美の概念を自然に持ち合わせる中、人間が美の概念を持つということは、それほどに難しいことなのでしょうか。かつて自分に存在したはずの美の概念も、知らぬうちに姿を変え、気付かぬうちに消えうせているし、そもそもそれは本当に美の概念だったか、それすらも曖昧になって、となると、人間は生き物として、非常に曖昧で脆い存在と言えますね。もちろん、貴方も。つまらぬ長話につき合わせて、どうもすみません」
女は音も無く立ち上がると、すーっと空気が薄れていくようにいなくなり、講堂はまた沈黙と調和を取り戻した。私は弾かれたように教会を飛び出した。もはや、一刻もこの場に留まってはいけないと思った。さあさあと静かに散る雨に気付かぬフリをしたまま、傘もささず、トルコライスになど目もくれず、私は福岡行きの特急に飛び乗り、はやく見知った誰かの顔を見て自身の存在を確かめずにはいられず、ただ、ひたすらガタガタと震えていた。
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