第5話 タカセは死んだ。

「お待たせー」

聞きなれた、それでも久しぶりの声に振り返ると、中学時代からの友人である紗希と美和子が連れ立ってやってきた。

「おー、お疲れ。んでおひさ」

由佳里はおいていたカバンを自分の方に引き寄せ、二人の場所をあける。

「あれ、彩加は?」

「講義延びてて遅れるって」

「そか。まあそのためのココ待ち合わせだしね」

ここは学部的に一番忙しそうな彩加の通う大学近くのドトールだ。

今は20歳になりそれぞれ違う大学や専門学校に通っている4人は、中学の時の同級生でいつもつるんでいた。今も全く違う道に進んだとはいえ、なんだかんだと顔を合わせてはくだらないことで盛り上がる、なんの気兼ねもなくそこに居られる間柄だ。

「しっかし同窓会の案内、送るだけでこんなに疲れるとは思わんかった~」

美和子が心底疲れたような口ぶりで机に突っ伏す。

「そんなに難関だったかい」

労うように頭をなでると、美和子は突っ伏したまま目だけをこちらに向けた。

「卒業して5年?それだけでこんなに住所とかって変わるもんかね」

「ま、高校卒業後の進路って、ものすごい数あるからねぇ」

紗希も少し疲れたように相槌を打つ。

美和子と紗希は、中学3年の時同窓会委員に選ばれた。

その名の通り、同窓会を企画する委員会だ。

在学中は大した活動もなく適当に過ごしていた二人が、20才記念同窓会をしたいという周囲の声に押され動き出したのが2か月ほど前。

一クラス分の現住所を把握、無事開催のハガキを全員に郵送するまでに1か月半、その返信が届くまでに約2週間というときが経ち、今日でやっと参加人数の確定から店決めまでを行うということで、委員でもない由佳里と彩加を巻き込んだ打ち合わせという名の女子会が開かれることとなったのだ。

「んで、全員分ハガキ返って来たん?」

「いや、由佳里、タカセって覚えてる?」

「タカセ…ああ、あの文学少年?」

「そ。いつも本読んでたあのタカセ。あいつだけまだ返ってこないんだよね~」

タカセは同級生の男子の中でも非常におとなしい、物静かな少年だった。

休み時間はだいたい本を読んで過ごす。

それでもガリ勉というわけではなく、声をかけてくる男子とは気楽に話しもするし笑い合っている姿も見た。

ただ、なんというか、非常に落ち着いていたのだ。

不安定が服を着ているような中学時代の男子生徒の中、その物静かな佇まいはなんというか少し変わっていた。

決して悪い意味ではなく、別世界、というような感じがしたのだ。

「どっか遠い大学にでも行ってるのかな」

「文学部だよね」

「哲学とかもありそう」

「確かに」

3人は同じような印象をタカセに対して持っていたらしい。

勝手に想像する今のタカセ像が同じようなものだったことに笑みがこぼれる。

「でも、あの妙に静かな雰囲気、嫌いじゃなかったな」

「分かる。ガサツな男子の中にいて、一人枯山水みたいだった」

「何その表現」

「でもなんか分かる」

共通の思い出があるっていいな、由佳里はなんとなくそんなことを思う。

大学の友達の中では得られない、家族と共にいるような感覚。

これはきっと、出会ったのが自分自身に正直でいろんなものを取り繕う技術もないころの、むき出しの自分たちだったからだと思う。そんな青臭い姿をお互い知ってるので、今さらカッコつけなくていい。単純に言えば、楽だった。

「お待たせ!」

ぼーっとそんなことを考えていた由佳里の耳に飛び込んできたのは今日の待ち人。彩加の明るい声だった。

「おーアヤ、お疲れ~!」

「頑張るねぇ。おつかれさん」

延び延びの講義をみっちり聞いてきた彩加にそれぞれねぎらいの言葉をかける。

「ああ、疲れた。で、なんか決まった?」

「まだだよー。アヤ待ってたし」

「ごめんね、待たせた」

「だいじょぶだいじょぶ」

彩加はちょっとほっとしたような顔で紅茶を飲む。

待たせて悪いと思っているけれど、話し合いには最初から参加したかったから良かった、そんな感じだと思う。

みんなそんな性格を熟知しているからこそ話し合いを進めず待っていたのだ。

「で、返事全員から来たの?」

「ああ、さっきも言ってたんだけど、タカセって覚えてる?あいつからだけ何も来てないんだ」

美和子が言うと、彩加の目がぱっと見開かれる。

「アヤ、どーかした?」

「いや…そっか。そーだよね。…知らない、よね…」

なんとなく煮え切らない。

「何のこと?」

どことなく哀しそうな目になった彩加が気になって、由佳里はそっと彩加の背に手を置いた。

「実は…」

うつむいたまま、言いにくそうに彩加は言う。

「タカセ、死んだんだ。去年」

「はっ?」

今、死んだって言った?

「死んだって、あのタカセ?」

彩加以外の3人は、予想外の展開についていけなくて動揺する。

だって、私たちはまだ20才。大学とか専門学校とかに通って、将来に思いを馳せて、そんな年齢じゃないの?

「死ぬ…死ぬんだ、同級生なのに…」

紗希がぼーっとしたようにつぶやく。その言葉はまさに3人が思っていたそのままのことだった。

「タカセさ」

彩加がやっと目線をこちらに向けて話し出した。

「病気だったんだよ。あの頃から」

これまた衝撃の事実だった。

自分たちが青春なんてこそばゆい時代を過ごしていたときから病気を抱えていたなんて。

「運動大好きだったのにできなくなって…本ばっか読んで過ごしてたでしょ」

あの読書好きは、そういう理由だったんだ。

物静かなたたずまいも、きっとそこから来ていたんだ。

なんだか今さら切なくなる。

「なんとか高校は行けたんだけど、ギリギリの出席日数で卒業して、そこからはもう病院生活だったんだよ」

衝撃の事実が次から次へと出てきて、頭がショート寸前だった。

「なんで」

同じく衝撃を受けていたであろう美和子が小さな声でつぶやく。

「なんでアヤはそんなこと知ってんの?」

確かにそうだ。

誰も知らないタカセのこと。彩加は当然のようにたくさん知っていた。

彩加がそんなことを知っていることさえ、由佳里たちは知らなかったのに。

「うん…あたしさ、卒業式のあと、タカセに告白したんだよね」

「まぢか!?」

「マジマジ。大マジ」

今日は目の前でいろんな爆弾がさく裂している。主に彩加によって。

「アヤ、そんなこと一言も言わなかったじゃん!」

「恥ずかしいよ、恋バナとか」

確かに彩加はそういう話はめっぽう苦手だった。

思春期女子には珍しく、彼氏のいる同級生の話を聞かされて、一人で顔を真っ赤にしてうつむいていた姿が思い出せる。

「あ、確かみんなでマック寄ろうって言ってたのにアヤ来なかったね」

「そーだそーだ、さてはその時だな」

「…うん。その通り」

彩加は目の前のコーヒーをかき混ぜ続けている。たぶん、いろいろな思いが渦巻いているのだろう。

「告白して、即効振られて。でも、そのときタカセが体のこととか教えてくれて」

ごめんね、だから付き合えないんだ。

優しく告げられた事実に、彩加は何も言えなかった。

「そこから、付き合うことはなかったけど、なんかいろんなこと話せる間柄みたいになって。タカセ誰にも体のこと言ってなかったから」

たくさん話をした。お互いの高校のこと、中学時代の友人のこと、今現在の病気の状態、一度殻を破ったからか、タカセは彩加に非常に友好的で、心置きなく語り合える友人同士になったのだ。

「だから、タカセが入院したことも、どんどん具合悪くなっていったことも、それこそ最期の最期も、全部知ってる」

由佳里たちはもう何も言えなかった。

彩加だけが知っていたこと、それを抱えてきた気持ち。そして今、看護師になるために大学に通う彩加の思いが痛いほど伝わってきた。

「アヤ、ツラかったね…」

由佳里はゆっくりその背を撫でた。

美和子は頭を撫で、紗希は手を握る。

「ツラいなんて…タカセに比べたら…」

俯いた彩加の目から、ぽろぽろ涙が落ちる。

「ツラさなんて、比べることないよ」

「そーだよ、大好きな人の最期、見守ったんだよ、ツラくないわけないよ」

「アヤはよく頑張った」

3人の言葉に、もう彩加は泣くことを我慢することができなかった。


「あー、泣いたわ…」

あれから10分ほど涙を流し続けた彩加は、散々3人に撫でまわされ、なんとか落ち着くことができた。

彩加が泣いている間、3人は何も話さなかった。

ただ涙を流す彩加を見守り、手を触れることで自分たちの温度を伝え続けることしかできなかった。

だからこそ、彩加もここまで泣き続けることができたのだが。

「タカセ見送ってから初めて泣いた」

その言葉に、紗希は握る手に力を込めた。

「やっと、タカセの死を受け入れられたのかもね」

「うん。そうかも」

泣きすぎて真っ赤になった目を細め、彩加は笑う。

「そうだっ!」

急に叫んだ由佳里に皆の視線が集まる。

「何、急に」

「今度の同窓会、男子どもに声かけて、タカセの笑い話いっぱいしようよ!」

「タカセの笑い話?なんか思いつかない」

「だから男子に声掛けるの。女子の中じゃ枯山水タカセだよ、思いつくわけないよ」

「なにその枯山水タカセって」

途中参加の彩加はその名前に吹き出す。

「ねえ、アヤ。いっぱい泣けた?」

「うん。御覧の通り」

「じゃあさ、次は、いっぱい笑ってあげよう」

「タカセを?」

「うん。というか、たくさんの笑いの中にタカセもいたんだよって、教えてあげたい」

由佳里が言うと、紗希も美和子も微笑んだ。

「いいかも」

「タカセが死んだのは哀しいし、彩加が失恋してたのもかわいそうだけど」

「おいっ」

彩加が軽く突っ込むが紗希は気にせず続ける。

「可哀そうだけじゃなかったんだって、伝えたいよね」

「うん。タカセの周り、可哀そうだけじゃそれが一番可哀そう。楽しかったこと、いっぱい思い出そう」

美和子も励ますように続ける。

「アヤ、そうしよ」

持てる限りのやさしさを込めて、由佳里は彩加に話しかける。

タカセは死んだ。でも、タカセは確かに生きていたんだ。

私たちと同じ時間を、同じ空間で。

笑って泣いて、楽しんで。

そんなことを、改めてタカセに伝えたいんだ。

「…そうだね。それがいい。タカセ、結構よく笑うヤツだったから喜ぶと思う」

彩加は3人に笑顔で答える。

「よし、そうなったら早速仕事開始!由佳里と紗希はお店探しと値段交渉、彩加はタカセと仲良かった男子とコンタクト取る。私は先生たちに参加交渉する。オッケイ?」

「ラジャ」

「うし!じゃあ本格始動のため、ごはん屋さん行こっ!」

「りょーかいっ」

4人はガタガタ椅子から立ち上がる。

「払っとくよ~」

「私トイレ行くから先出てて」

美和子と紗希が動き出す。

由佳里は、泣きはらしてはいるけれど、どこかすっきりした表情の彩加の手を取った。

「アヤ、たくさん話してくれてありがとね」

「ううん。こっちこそ、聞いてくれてありがと」

二人はそっと笑い合い、出口へと向かう。


タカセはもういない。

その事実は信じがたいけれど本当のことで、彩加は失恋して好きな人を失って。

それでも、私たち4人はここにいる。

せめて笑顔で語れたらいい。

タカセのこと。タカセを好きになった少女の事。

そして、私たちは今日も明日も生きていくんだ。

由佳里はなんとなく握った手に力を込めて、店の外へ出た。



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