11.5話 トキと助っ鳥

11.5-01 真実と嘘の後に

 降りしきる雪の中、息を切らす声が聞こえる。


「ハァ……、ハァ……、ハァ……」


 何度も足をとられ、転びそうになりながらも、ひとりの青年がどこへ行くとも知れず田んぼ道をひた走っていた。


『トキは鳥です! あなたは特別天然記念物なんです! 国際保護鳥で、絶滅危惧種で、希少種で、わたしの家なんかに、いていい存在じゃないんです! そんなに外の世界が嫌なら施設に帰ればいいじゃないですか! 勝手にここを、あなたの居場所にしないでください!』


 心には、ついさきほど浴びせられた言葉が突き刺さっている。


『ななは、俺がここからいなくなればいいと思っているのか……?』

『そんなの……当たり前じゃないですか』


 どんなに頭を振ろうとも、その悲しい声は何度も何度も脳裏で自動再生される。そのたびに、負ったばかりの心の傷が悲鳴をあげる。

 息を切らす声が、しだいに嗚咽へと変わり始めた。熱くなった目頭からにじみ出た涙が目尻に溜り、溢れ出ようとした。


 その時。


 プッ、プーーーーーーーーーッ!!


 けたたましい騒音に、彼はハッと横を見た。

 二つのヘッドライトがこちらを照らしている。いつのまにか、車道の真ん中に飛びだしていたらしい。大きなトラックがクラクションとともに突っ込んで来る。


「うわっ!?」


 反射的に身を引いた。鼻先を巨大な車体が通り過ぎていく。風圧で身体が押され、さらに足を後ろへ引いたが、そこに地面はなかった。彼は足を踏み外し、雪の斜面を転がって、下の田んぼまで落ちていく。


「うぅ……」


 呻き声をあげ、起き上がろうと手を雪につけるが、それ以上力が出ない。寒さと疲れと心の傷が、立ち上がる気力を奪っていく。そのまま指一本動かせず、真っ白に覆われた田んぼの片隅で倒れ込んだ。

 

 もう、どうなってもいい……。


 にじんだ視界の中、ぼんやりとそう思った。意識が薄れていき、まどろみに身をゆだねた。


 ザッ、ザッ、ザッ。


 どのくらいそうしていただろうか。不意に前方から、雪を踏みしめ、なにかの近づいてくる音が聞こえだした。

 まさか、飢えた獣か。頭に一瞬恐怖が横切ったが、それでも身体を動かす気にはなれなかった。


「まったく、無様な姿をさらしているわね」


 聞こえてきたのは、獣の唸り声ではなく、どこか棘のある女性の声。

 彼は虚ろだった目を開いて、前方を見た。

 そこにあったのは、オレンジ色のハイヒール。視線をあげると、すらりとしたスカートに覆われた長い足があった。さらに視線をあげると、まるでどこかの舞踏会にでも行くかのように水色のドレスを纏った女性がいる。髪は黒くて長く、後ろで結ばれてポニーテールになっていた。


「こんなところで寝ていたら、凍えてしまうわよ」


 豊満な胸の下で腕を組みながら仁王立ちをして、切れ長の目から覗く黄色の瞳が彼を傲然ごうぜんと見下している。どう見ても冬の田園に似合わない女性の背には、淡い灰色の翼があった。


「聞いているのかしら、トキ?」


 自分の名前を言われ、彼はぱちりぱちりとまばたきを繰り返す。それから目を丸く見開き、口を開けた。


「だれだ……?」


 カクンッと、目の前の女性がズッコけるように身体を傾けた。そのままわなわなと震えだし、顔を上げたかと思えばキッと彼を睨んで、一声。


「グワァァアアアアアーーーッ!!」

「タァーーー!?」


 まるで恐竜のような雄叫びに、トキは情けない悲鳴を上げて跳ね起きた。ななに叱られた時のように、条件反射でその場に正座をしてしまう。

 改めて、女性の姿を下から上までまじまじと見つめた。自分よりも背が高く、淡い灰色の翼に、あの鳴き声……。


「アオ、サギ……?」


 トキは再び目を丸くして、声を震わせた。外見は違えど、目の前にいるのは、いつも食べ物を捕っている最中にたかってくるサギたちの一羽だった。


「レディをそんなにじろじろ見るんじゃないわよっ」


 女子の姿となった鳥は腰に手を置き、ツンッと澄ました顔でそっぽを向いた。

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