12.0話 カーくんと店長さん

12-00 カーくんと店長さん

 暗い灰色の雲が、一日ずっと空を覆っていた。

 昨日となにも変わらない天気だ。ガラス越しに流れていく木や電柱を視界の隅に映しながら、オレは意味もなくその空を睨んでいた。


「なにを見ているんだ、力一りきひと?」


 隣から声がかけられ、ハンドルを握っている店長へと視線を移す。


「別に……」


 右腕をドアに置いて頬杖をつき、意味もなくフロントガラスへ目を向ける。

 膝の上に置いた左手の指を軽く動かして、握っている硬い感触を、一度確かめた。


「バイトが終わって急に給料の前借りをせがんできて、なにかあったのか?」


 車は海の見える国道を、駅に向かって走っていく。

 夕日が沈んでいくはずの海は厚い雲に覆われて、淡い朱色すら見えない。


「計画性を持てといつも言っているだろう。焦っても後悔するだけだぞ?」


 店長は前を見ながら、オレに言った。

 いつもの叱ってくるような声じゃない。どこか諭すような、心配するような声。

 車に乗せられて行く途中も、店に入った時も、同じことを言われた。


「すんません……」


 オレは目を伏せ、小さく返事をする。

 行く途中も、店に入った時も、同じ返事しかできなかった。

 それ以上なにも言えず、店長もなにも言わない。赤信号で、車が止まった。


「……そうか」


 一言、呟く声が、耳に入る。

 目線を上げ、隣を窺う。

 店長の横顔は、どこか寂しげで……。なにかを諦めているような感じがして、見ていて、すごく嫌になった。


「なぁ、店長は、どうしてオレを働かせてくれたんすか?」


 オレは目をそらし、前を見て言った。なんでもいいから話を変えたくて、ずっと疑問に思っていたことを訊いてみた。

 信号が青になり、車が走り出す。ガラスに映った店長も前を見ながら、口を開いた。


「お前が働きたいと言ったからだ」

「そうだけど……。そもそも最初会った時、なんで声かけてくれたんすか?」


 店長と初めて会った日を思い出す。

 あれは、カワセミがななの家にやってきて少し経ったくらいの頃だった。

 ななが学校に行った後、オレは冒険気分で電車に乗り込んだ。あの頃はまだヒトの世界に慣れてなくて、切符を買うのを知らなかった。降りた駅で駅員と悶着を起こしていたら、同じ電車に乗っていたヒトが声をかけてきた。それが、店長だった。


「懐かしいな。オフをとって、ぶらりと電車に乗ったら、お前がいた。あの頃のお前はもっとやんちゃで、手が付けられなかったな」


 店長は遠くの景色を見るように目を細めて、可笑しそうに肩をすくめる。

 その表情に、さっきまでの寂しさは感じられない。ほっとしつつも、質問に答えてくれなくて、オレは唇を尖らせた。


「で、なんで声かけてくれたんすか? 電車賃払ってくれて、その後だって、飯おごってくれたり、いろんな店に連れてってくれたじゃないっすか?」


 左の手の中にある硬い感触を確かめる。

 あの時、店長は飯をおごった代わりに、オレを荷物持ちとして買い物に付き合わせた。そして、立ち寄った宝石店で、オレはコレを見つけた。どうしてもほしくなって、手に入れるためにはお金がいるって知って、店長に働きたいと言った。


「気まぐれだ」

「気まぐれ?」

「そうだ。そういう気分だったんだ」


 そう言って、店長は横髪を掻き上げ、耳に引っかける。

 気まぐれで初めて会ったやつの面倒を見るか、普通?

 店長は、お節介って性格じゃない。優しいけど、厳しくもある。困っていても、自分でなんとかしろと放っておく時だってある。

 でも、オレに対しては、なぜか甘い……。今日だって、約束した日よりも早かったから、金だけ借りてひとりで買いに行こうと思ってた。それなのに、オレの様子を見た店長は仕事をほっぽり出し、オレを車に押し込めて連れて行ってくれた。


「ただな……。お前を見ていると、昔のことを思い出すんだ」


 ぽつりと、隣から言葉が零れた。


「昔のこと?」


 首を傾げるオレに一目もくれず、店長は前を見続ける。

 しばらくして、意を決したように、口が開かれた。


「今日よりも雪が積もっていた日だった。仕事から帰ったら、家の庭に一羽の傷ついた鳥がいた。獣に襲われ、命からがら逃げてきたんだろう。片翼がやられて、弱り切っていた」


 突然の話に、オレは息を呑んだ。頬杖を解いて、店長の顔をじっと見つめた。


「私はそいつを家に保護した。保護といっても、タオルを敷いた段ボールに入れただけだがな。ネットで調べたら、自治体の担当部署に連絡すればいいと書かれていたが、もう夜中だ。病院もおそらく開いていない。そもそも害鳥扱いされている鳥だ。引き取って治療してもらえるかは、正直わからなかった。とにかく明日まで様子を見ようと思ったが、朝が来る前に、そいつは息を引き取った」


 運転しているから、店長はずっと前を見つめたまま。淡々と、まるで業務連絡をするように話をする。

 一度、息継ぎをするようにふっと息を吐いて、吸って、また続ける。


「別に悲しいとは思わなかった。もうダメだとは思っていたからな。むしろ、あのまま外において、獣の腹の足しになったほうが良かったかもなとも思った。そのほうが、自然のまま、だったのかもしれない」


 店長の目が、わずかに細められた。黒い瞳は、潤んでいるわけでもなければ、乾いているわけでもない。静かに、前を見て、遠くを見つめている。


「ただな。外にいた時のそいつは激しく抵抗して怯えきっていたのに、私が箱の中に入れてからは、もう動く力もなかったのかもしれないが、落ち着いて息をしていた。温かなストーブの前で、柔らかな毛布に包まれて。私が蓋を閉めようとしたら、黒いくちばしをこっちに向けて、『ガァ』と小さく鳴いた。そして、動かなくなった」


 車が止まった。視界の隅に駅が見えた。

 けれどもオレは、ずっと店長へ視線を向けていた。

 脇のレバーを動かした後、店長の顔が、オレへ向けられる。


「初めてお前に会った時、お前の黒い目を見て、そいつを思い出してしまった。六年前に出会って死んだ、可愛いカラスを、な……」


 そう言って、オレの目を見つめたまま、唇が弧を描く。


「店長……」


 オレは、店長の言っているカラスなんか知らない。けど、なぜか他人事には思えなかった。


「どうした? そんな鳥と一緒にするなと思っているのか?」


 店長が冗談っぽく言って、軽く鼻で笑う。

 冗談で終わってほしくなくて、オレは真剣に店長を見つめた。わかんねぇけど、言いたくなった。店長になら話せると思った。車の中、周りにはだれもいない。前のめりになって、背中に力を込めた。


「オレ……、っ!?」


 翼を見せようと思った、その時。

 身体になにかが覆い被さり、重みがかかる。

 店長が席から身を乗り出して、オレを、抱きしめてきた。


「もう少し違う出会い方をすれば、私はお前を…………」


 右肩から、独り言のようなささやきが聞こえ、途中で途切れた。

 背中に回された腕が、強く、オレを抱きしめる。柔らかくて、思った以上に熱い身体が、容赦なくオレにのしかかる。

 オレは翼も出せず、声も出せず、身動きさえできずに、その場で固まった。


「なあ、力一。私はお前に計画性を持てと言ってきたが、結局お前はできないままだったな」


 また、店長は業務連絡の声に戻って、淡々と話し始めた。

 胸がドキドキしている一方で、頭はなぜか冴えていて、素直に言葉が入ってくる。


「だからお前は、やりたいことをやれ。やりたくないことはやるな。それだけでいい。そうやっている時のお前が、一番生き生きとしている」


 店長は腕を解き、オレから身体を離した。肩に手を置きながら、座席に座り直し、オレの顔を覗き込む。


「今はどうだ? これからすることは、本当にやりたいことなのか?」


 店長の黒い瞳に、オレの歪んだ顔が映っている。

 左手に握っている硬い物が、皮膚に食い込む感覚がした。

 夢から覚めた気がした。現実に引き戻された気がした。

 首を縦にも横にも振れず、目を伏せる。


「それでも……やらなきゃなんねぇんだ……」


 声を絞り出し、言いたいかもわかんねぇ答えを吐き出した。

 昨日のことが、脳裏によみがえる。もう後には引けない。前だってなんにも見えねぇけど。進むしかない。


「そうか」

「ごめん……」

「謝るな。まだなにもしていないだろう?」


 呆れたような声が聞こえ、頭に馴染みのある痛みが走る。鷲づかみにされて、ぐりぐりと強く撫でられる。


「後悔だけはするなよ」

「うん」

「なにかあったら連絡しろ。あと、明日シフト入ってるからな。なにがあっても来な」

「うん」


 頭を二度軽く叩かれ、背中を一度強く叩かれた。

 その手に、背筋をピンッと伸ばされた。その言葉で、前を向けた。


「ありがと、店長」


 店長に向かって言って、オレは笑った。久し振りに笑えた気がする。

 店長もオレを見て微笑み、額を小突いてきた。


「敬語を使え」


 やさしい声に後押しされるように、オレはシートベルトを解いて、ドアを開けた。

 温かくなっていた頬に、容赦なく冷たい風が刺す。吐いた息が、白く染まる。

 ドアを閉めて振り返ると、店長はウインクをして、再び車を走らせた。ぐるりとUターンして、コンビニへと戻っていく。

 オレは駅の入り口へ身体を向けた。左手を胸の前まで持ち上げ、そっと開いた。


 手のひらにあるのは、銀色に輝くリング。


 もう一度それを握りしめて、胸に当てる。目を閉じ、深呼吸をした。


「よし」


 前を向き、ズボンのポケットにリングを入れ、オレは駅舎へと歩いていった。

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