10.5-03 会話をしてみよう

 次の日の朝。


「うっ……」


 部屋に入るなり、ミサゴは思わず声を詰まらせた。

 締め切った部屋を生臭さが満たす。襖の下には、手つかずの魚が転がっている。畳には、昨日置いた鴨肉の羽と骨だけが散らばっていた。

 しかめっ面になるのを堪え、壁際へと目をやる。微笑を浮かべ、優しい口調で問いかけた。


「げ、元気になったか?」


 青年は横たわっておらず、壁に背をつけて足を伸ばしていた。縛られていた縄はすべて引きちぎられ、床に散らばっている。手当てした足の包帯も剥がされている。

 青年はなにも言わず、ミサゴを睨みつけた。


「安心せぇ。ワシもお前と同じ鳥や」


 ミサゴはそう言って、自身の翼を見せて揺らす。

 それでも相手はなにも言わず、鋭い視線を向けているだけ。


「昨日のこと、覚えとらんのか? お前が山で倒れとったのを、ワシがここまで運んできてやったんやで?」


 ミサゴは彼の前に腰を下ろし、経緯の説明を始めた。


 昨日の早朝、山を歩いていたら、倒れた青年を見つけたこと。

 気を失っていたため、担いで家まで運んできたこと。

 足がひどく腫れていたため、手当てをしたこと。

 身体もやせこけていたので、自分が食べ物を用意したこと。


「……と、こんな感じや。あっ、縄で縛ったんは捕まえるためやないで? 運んどる途中で暴れんよう、いちおう結んだだけやからな?」


 途中、一度意識を取り戻した青年がパニックになって暴れだし、引っ掻かれたのは言わないでおいた。ミサゴは彼を黙らせるために、腹パンをして再び失神させたのもだ。


「それで、お前、オオタカやろ? なんでその姿であんな山ん中に倒れとったんや?」


 ミサゴは一番気になっていた質問を投げかけた。

 オオタカと呼ばれた青年は、やはりうんともすんとも言わない。ずっとミサゴを睨みつけている。


「……やっぱり、ヒトの言葉、ようわからんのか」


 ミサゴがはぁっとため息を吐く。

 その時だった。


「まずかった」


 聞こえてきたのは、低い男性の声。

 ミサゴが目を丸くして顔を上げる。

 オオタカが目を鋭く細めながら、口を再び開けた。


「しずくの部屋に落ちていたもののほうが旨かった」


 言っているのは、昨日あげた鴨肉についてだろうか。

 いや、それよりも。


「ヒトの言葉わかるんかい!?」

「うるさい黙れ」


 ミサゴの言葉に、オオタカが眉根を寄せて言い返した。


「やったら昨日もしゃべればよかったやろ? なんでピーピー鳴いてばっかやったんや!」

「覚えていない」

「覚えとらんて……ワシがどんだけ苦労して食べ物やったか」

「あれは落ちていただけだ」

「なにやて!?」


 ミサゴは顔をしかめ、絶句した。たかさんから鴨肉をもらい、それとなく野鳥を怯えさせない方法を聞き出して、気をつかいながら与えたというのに。


 なにか言い返そうと考えている間に、オオタカが自身の翼を前へもってきて羽繕いを始める。右の前縁をひと噛みして、動きを止め、眉をひそめて立ち上がった。


「風呂に入れろ」


 ……風呂ぉ?


「しずくの家ではいつも入っていた」


 もはやミサゴは話についていけずポカンと固まる。


「早くしろ」


 オオタカは右足を引きずりながらもさっさと歩いて襖の前に立つ。案内しろと言わんばかりにミサゴを上から睨みつけた。

 ミサゴは半ば放心状態のまま「あぁ」と生返事をした。立ち上がり、先を歩いて案内する。


 足の痛みに一瞬よろけたオオタカを介助しようとして引っ掻かれながらも、風呂場に着いた二羽。

 

「狭い」

「こんなもんやろ」

「しずくの家はもっと広かった」


 文句を聞き流し、湯船に湯を張りながら、ミサゴは軽く風呂場の使い方を説明した。最後にタオルと着替えの服を用意し、脱衣所から出て戸を閉める。


「怪我しとるところは、なるべく湯につけるなよ? その服はワシのやけど、貸してやるから代わりに着とけ。あと、自分の服は自分で洗濯して、」


 ガラッ。


 言っている最中に戸が少し開き、オオタカの着ていた服がミサゴに向かって投げ捨てられた。


「洗え」

「はぁっ!?」

「しずくはいつも洗っていた」


 バタンッ。


 すぐに戸は閉められてしまう。


「なんや、あいつ……」


 ポカンとなるのを通り越して、ミサゴの頭に苛立ちが芽生える。押しつけられた服からは、土と汗とおまけにフンの混じった嫌な臭いが鼻孔を刺激し、思わず鼻を摘まみたくなる。


 と、その時。


「熱い!」

「知らんわ!」


 風呂場から響いた苦情に、ミサゴは耐えきれずツッコミを入れた。

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