番外編

10.5話 もうひとつの恩返し

10.5-01 ミサゴ家のお正月

【はじめに】

 暴力的表現のあるエピソードには*がついています。苦手な方はご注意ください。






  ※      ※      ※      ※






 これは、なながトキのことを好きになり、悩み始めた頃のお話――。


 電線から二羽のスズメが飛び立ち、積もっていた雪が落ちていく。

 雪化粧に覆われた港町は、新春の空気が静かに漂っていた。

 そんな中、賑やかな声が響く。


「剛ちゃん! あけましておめでとうさん!」

「おばちゃん、会長さん。あけましておめでとう」


 やってきた老夫婦に、剛と呼ばれたミサゴが玄関先で挨拶を交わした。


「ほんなら、今年も一緒に初詣に行こか!」


 おばちゃんが元気な声で誘う。

 ミサゴは申し訳なさそうに眉を歪めて、両手を合わせた。


「ごめんなおばちゃん、実は、今年はもうしてきたんや」

「そうなんか!? ほんじゃあ先に福笑いでもしよか? 羽子板も、すごろくもあるで!」


 担いできた風呂敷をおろして、物を取り出し見せ始める。

 毎年恒例となっている正月遊び。一人暮らしの正月は寂しいやろと、おばちゃんが半ば強引に夫を連れて遊びにやってくるのだ。

 いつもは快く付き合うのだが、ミサゴの曇った表情は消えない。


「ごめんな。今年、まだ掃除しとらんくて」

「なんやそれ! ほんならおばちゃんが今からいくらでも、」

「なーん、用事もあるんや」

「用事? あ、もしかして……」


 いぶかしげな目が、ミサゴに詰め寄った。


「正月早々、彼女と!?」

「違うわ!」


 思わずツッコミを入れてしまう。

 と、おばちゃんの腕が掴まれる。後ろで黙って話を聞いていた夫の会長さんが、腕を引っ張った。


「無理言うとるげん。帰るぞ」


 そう言うと、無愛想な表情をミサゴに向ける。


「袖の傷、どうしたんや?」


 ハッとミサゴが右の手首を隠すように掴む。時すでに遅し。おばちゃんの目線が、裂かれた右手の袖に移っていた。奥には、切り傷も見えた。


「どうしたんやそれ? どっかで切ったんか? 服も切れとるやんか?」


 おばちゃんがミサゴの身体を舐めるように見つめてくる。

 羽織っている迷彩柄のジャンパーがところどころ切れていた。中に着ている白いシャツにまで達している箇所もあった。怪我をしているのは、右の手首だけのようだが。


「いや……これは……、ネコが入ってきて、引っ掻かれてな……」


 しどろもどろに返事をするミサゴに、おばちゃんは怪訝そうに首を傾げた。

 一方の会長さんは聞くだけ聞いてなにも返さず、「行くぞ」と言って歩き出す。


「えぇ~そんな待ってや、気になるやん! 剛ちゃん! 新年から彼女と朝を迎えて修羅場になってるなんておばちゃんは許さへんで! 剛ちゃーん!」

「だから違うて言うとるやろーっ!」


 引きずられるようにして坂を下っていくおばちゃんに、苦笑いを浮かべながら手を振って言い返すミサゴ。

 二人の姿が見えなくなると、彼は苦笑の表情をスッと消した。

 玄関を閉め、普段はかけない鍵をかける。大きく息を吐いて、戸に背をつけた。


「ごめんなおばちゃん……。ほんまごめん……」


 自責の念にかられ、だれにも聞こえない声で呟く。

 頭を掻きながら玄関を後にし、居間を抜け、廊下を歩いてとある部屋の前までやってきた。寝室だが、普段は居間で寝ているため物置となっている場所だ。

 ミサゴは大きなため息をひとつして、襖の戸を静かに開けた。


「こんなのを他人ヒトに見られるわけにはいかんやろ……」


 そこには、背から翼を生やした美青年が横たわっていた。

 前髪は白く、腰までつく青灰色の後ろ髪が乱れて畳に広がっている。長い睫毛の下は閉ざされ、何日も食べていないのか色白の顔はやせこけている。細身の身体を包むロングコートもボロボロで、裾がところどころ裂けていた。


 そして、顔の前で組んだ手と、足と翼には、縄。


 ヒトの姿をした鳥は両手両足と翼を縛られた状態で、気を失っていた。

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