13-15 新たな時へ飛び立つ

 春休みに入り、バードウォッチングに明け暮れているわたしは、今日も朝から双眼鏡を首に提げ、近所の田んぼを散策していた。


「あそこにいるのはアオサギかな。電線にいるのはムクドリ、二羽いるからつがいかなー? あっ、もうヒバリも鳴いてるんだ」


 動くものを見つけては双眼鏡をのぞき、独り言を漏らす。

 それからわたしは、肩にかけているワンショルダーバッグからメモ帳とペンを取り出した。今日の日付と場所、見つけた鳥とその鳥がなにをしていたのかを書いていく。

 ささいなメモだけれども、積み重ねていけば鳥を知る大きな手掛かりになる。そう、たかさんから教わった。

 立ったまま書くのはまだ慣れなくて、字がちょっと曲がってしまうけどね。


「――よしっと。ほかには、なにかいるかな~?」


 メモ帳をいったんしまって、辺りをぐるりと見回した。

 田植えを控えた田んぼが広がり、水路からはせせらぎが聞こえる。あぜにはツクシが生え、タンポポやオオイヌノフグリやタネツケバナが咲いている。植物図鑑で調べたんだよね。

 どこにでもあるような田舎の景色かもしれない。それでもわたしにとっては、かけがえのない場所だ。

 織りなしてきた思い出を浮かべながら、ゆっくりと目を閉じた。


「トキ――」


 空を仰ぎ、首に巻いた薄紅色のマフラーに手をそえる。


「わたしね、夢ができたの」


 きっと今も、この空のどこかを飛んでいる彼に向かって、言葉を紡ぐ。


「この町でバードウォッチングをしてきて、いろんな鳥に出会えた。だからわたしは、この町や自然のことをもっと知りたい。そして、伝えていきたい」


 今までは、なんとなく好きだから、なんとなく鳥を見てきた。

 けれども、トキと出会って、カーくんやカワセミくん、ミサゴさんやオオタカに出会って、わたしは思った。鳥たちだけじゃなくて、ゆうちゃんやひらりちゃん、たかさんたちと一緒に鳥を見て、気がついた。

 わたしは、この町で見る鳥が好き。この町で一生懸命に生きている鳥たちが好き。わたしの「好き」を、もっともっと、たくさんの人に伝えていきたい。広めていきたい。


「それがきっと、大好きな鳥たちへの恩返しになると思うから」


 好きになること――愛することが、守ることに繋がっていく。

 わたしはそう信じている。


 ……まぁ、やりたいことは見つけたけど、具体的になにをするかとか、進路をどうするとかは、まだ全然決めていないんだけどね。


「いい夢だな」


 突然、声が聞こえ、わたしはハッと振り返った。

 小さな桃色の花弁が、春の風に舞っている。その中で、淡い朱色のストールが心地よさそうになびいていた。背中から生えた朱鷺とき色の翼が柔らかく揺れていた。


「ただいま、なな」


 優しい声で言って、彼は目を細める。


「トキ……」


 その姿を前に、上手く言葉が出なくなった。

 トキはそんなわたしを見て、微笑みながらそばへ近づく。

 わたしもトキへ歩み寄った。唇の震えをこらえ、息を大きく吸う。


「なんで戻ってきちゃったんですかっ!?」


 カクンッと、トキが斜めにコケそうになる。


「よ、用が済んだから、帰ってきたんだが……?」

「済んだって、まだ三日しか経ってないでしょ! ちゃんと佐渡に帰りました?」

「……いや」

「なんで実家に帰らないんですか! せっかく鳥に戻ったのにーっ!」


 わたしは声を荒げて詰め寄った。

 トキは困ったように身を引いて、目をそらす。


「そもそも、鳥の姿に戻ったのは、行方不明扱いから除かれてこいと、ななが言ったからだろう。それなら、ここでだれかに観察されればいいだけで、わざわざ佐渡まで行く必要はないだろう」


 ずっと気がかりだったトキの行方不明問題。トキ自身はどうでもいいと思っていたみたいだけれども、わたしにとってはどうでもよくなくて、ちゃんと生きていると佐渡の人たちや仲間のトキたちに知ってほしかった。だから一度鳥に戻って、元気な顔を見せてきてほしかったんだけど……。


「なんですかそれ! カーくんたちと一緒に順化特訓までやったんでしょ!」

「あれはあいつらに無理やり軟禁させられてしごかれていただけだ!」


 トキがピンッと冠羽かんうを逆立て、嫌な記憶を思い出したように吐き捨てる。

 鳥に戻るといっても、長い間飛んでいなかったせいでトキの体力は全然なく、ちょっと飛んだだけでぜーぜー息を切らしていた。だから野生でも生きていけるように、鳥たちみんなで協力して、ミサゴさんの家で泊まり込みの一ヶ月間集中特訓がおこなわれた。


「施設ではあんな訓練しなかった……。カラスと殴り合って、カワセミに猫まみれにさせられ、腹をすかせたオオタカから逃げ、あげくに海鳥の飛行技ダイナミック・ソアリングとか……覚えられるわけがないだろ!」


 ちなみに、わたしは人慣れしないようにと出入禁止にされていた。トキは何度か特訓から逃げ出して、わたしの家に転がりこんで、また連れ去られていくことがあった。


「それで。昨日それらしいヒトに見られたが、俺が生きていることは証明されたのか?」


 トキは一度大きく息を吐き、話を切り替える。


「されました。今朝の地方ニュースにちょっと出てたんだから。ていうかこの写真も、なんでこんなに近づいたんですか?」


 わたしはスマホを取り出して、画像をトキの鼻先に突き付けた。

 昨日たかさんが送ってくれた、至近距離から撮ったという写真。観察した人がたかさんだったからよかったものの、他の人だったらもっと大騒ぎになっていたかもしれない。なにも知らないたかさんだって、興奮気味でわたしに連絡してきたんだから。


「しかたないだろう……。車の中にいてよく見えなかったから、撮っているのか確かめたかったんだ。二度手間だけはしたくなかったからな」


 トキはスマホから目をそらし、顔をしかめながら答えた。

 観察されるのが苦手だから、見られるのは一度だけと決めて頑張ったのだろう。


「だったら、わたしが観察してもよかったのに……」


 スマホをしまい、口をとがらせてぼやいた。

 特訓が終わってから数日して、トキは「さようなら」も言わずに、まるでちょっと食べ物を捕りに行ってくるように家から出ていった。鳥に戻ってとお願いしたのはわたしだから、心づもりはしていた。でも、ちゃんとしたお別れもしないで、鳥の姿も見せてくれなくて……。たかさんから写真をもらうまで、心配でしかたなかったんだから。


「あの姿をななに見せるのは……」

「見せるのは?」

「いや……。お別れみたいになって……、泣くだろう?」

「なっ!? 泣きませんっ!」


 もしかして、なにも言わずに家を出ていったり、鳥の姿を見せなかったり、すぐに帰ってきたりしたのは、わたしを悲しませないためだったのかな。


「まぁ、これで六ヶ月は行方不明扱いにならない。しばらくはこの姿でいられるんだ。それでいいだろう?」


 トキはなんでもないように言って、小首を傾げた。

 まさか、六ヶ月ごとに鳥の姿に戻るつもりじゃないよね。姿を変えるのだって、結構痛くて、強い想いが必要だって言っていたのに。


「もうっ、無茶ばっかりして! トキなんて、繁殖期が終わるまで佐渡にいれば良かったのにっ!」

「なぜそんなに怒るんだ……?」


 わたしはふいっとトキに背を向けた。後ろから困ったようなつぶやきが聞こえる。

 せっかくトキが帰ってきたのに、なんでわたしは怒ってばかりなんだろう……。まさか、愛想尽きて、やっぱり鳥に戻って佐渡に帰るって言いださないよね? いやでも、鳥としては、帰ってくれたほうがいいと思うけど。でも、でも……。


「なな?」


 優しく呼びかける声が聞こえた。

 振り返ると同時に、肩を掴まれ、身体を引き寄せられる。

 ふわっと、柔らかいストールが頬に当たった。


「言っただろう? 俺はまだここにいたいんだ。ななのいる、この場所にいたい」


 トキがわたしを抱きしめ、翼で包み込んだ。


「ななは、どうなんだ?」


 耳もとで、いたずらっぽくささやかれる。


「わたしは――」


 突っ立っていたわたしは、ゆっくりと腕をあげた。温かな身体に触れて、背中へそっと腕を回す。


「トキと一緒にいたいです」


 素直な想いを告げ、ぎゅっと抱きしめ返した。

 怒ってばかりで、まだちゃんと言っていなかった……。


「おかえり、トキ」


 熱くなった目頭から、涙が溢れる。結局トキに泣かせられる。

 それでも雫は、ストールが静かに吸ってくれた。頭にそっと手も置かれて、優しくでてくれる。


「そういえば、恩返しがまだだったな?」


 唐突にトキが言った。


「えっ?」


 首を傾げた矢先、トキが少し身を引いたかと思うと、右手をわたしの肩へ、左手を足の後ろへ持っていく。

 涙目を隠す暇もなく、身体が横に傾き、足が宙に浮いた。

 わたしをお姫様抱っこして、トキが微笑む。


「初めて会った時に約束しただろう? 元気になって飛んでいる姿を見せてほしいと」


 あのお願い、ちゃんと覚えていたんだ。


「で、でも、あれは、鳥の姿に戻って、って……」

「鳥にはまだ戻りたくないが、元気になって『一緒に』飛ぶ姿を見せることはできる」


 言うや否や、翼が大きく広がる。朱鷺色の羽が日の光を受けて輝く。

 トキが身を屈め、田んぼ道の土を勢いよく蹴った。


「きゃっ!?」


 わたしは落ちないように、トキの首に腕を回した。

 風を受けながら、翼が力強く羽ばたく。

 さっきまでいた道がどんどん遠ざかり、緑の生える田園が眼下に広がっていく。

 見上げると青空があって、空の高いところをまっすぐ見つめる瞳があった。


「トキ」


 うれしくって、声を漏らした。

 風に乗り、空を優雅にけながら、トキがわたしへ目を向ける。


「なな」


 立ち上がるように身体を起こし、羽ばたきが一瞬だけ止まる。


 豊かな緑を足もとに。

 きらめく海を背に。

 温かな太陽を前に。

 大好きなこの町の、空の中。


 わたしとトキは、互いに顔を近づけ、唇を寄せた。




 ――あなたと共に、生きていきたい。






     〈おしまい〉



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