13-07 トキの決意

 ミサゴさんはなにも言わずににらみ据えている。

 トキは小さく息を吐いて、伸ばしていた腕をおろした。そして身体をこちらへと向ける。


「なな、翼のことを黙っていて、ずっとだましていて、すまなかった」


 淡い黄色のひとみが揺れることなく、わたしの姿を映し出す。


「ただ、これだけは本当だ。俺は、ななに恩返しをしたくてこの姿になった」


 説得がましくなくて、ありのままの気持ちを伝えるように。トキはわたしだけを見つめながら、丁寧に言葉を紡いでいく。


「初めてななに出会った時、網に絡まった俺をななはやさしく助けてくれた。飛び立った俺を追いかけもせず、そっとしておいてくれた。あの時の俺は、怖いことばかりでどうしていいかわからなくなっていた。そんな時にななのやさしさに触れて、俺は心が温かくなったのを感じた。あのヒトに恩を返したいと、小さな思いが芽生えた」


 片手が左胸におかれる。熱を感じるようにわずかに握って、微笑みを浮かべた。


「そうでなければ、こんな姿になれなかっただろう」


 ほおが淡く色づいていき、潤んだ瞳がゆっくりと閉じていく。


「ななのやさしさが、俺にはうれしかった。ななといるうちに、もう少し、いや、もっと、ななのそばにいたいと思うようになった。家にいれば、雨風や天敵から身を守れるという考えも確かにあった。だが俺は、他のどこでもない、だれでもない、ななのそばにいたいと思っていた」


 胸におかれた手が、ぎゅっと握られる。開いた目はりんとした眼光を宿し、横へ移される。


「はたから見れば、ヒトにすがっているだけかもしれない。ミサゴから見れば、ななに甘えているだけかもしれない。俺の思いが良いか悪いかなんてわからない。俺にとってはどっちでも構わない。ただ、これだけは言える――」


 トキはわたしを守るように前へ出て、ミサゴさんと向き合う。


「俺はまだ、ななと共にいたい」


 静かに、はっきりと、決意を固めた声が、わたしの胸の奥に届く。いつのまにかトキの冠羽かんうは伏せていて、指の震えも止まっていた。きれいな朱鷺とき色の翼をもつ背中が、いつもより大きく見えた。


「トキは、わたしに甘えてなんかいないですよ」


 沸き上がる思いが、自然と言葉になる。

 トキが首をひねり、少し驚いた顔をこちらへ向けた。


「だってトキは、わたしにもたくさんやさしくしてくれました。わたしのことを思って、自分の考えもちゃんと言ってくれました。わたしも、トキがいてくれてうれしかった――ありがとう、トキ」


 丸く見開いた目に、わたしは微笑んだ。それから自分の胸に手をあて、一呼吸おいて、まっすぐに見つめる。


「それと、ごめんね。あの時わたし、トキを鳥だとしか見ていなくて、ひどいこと言った……。けどわたし、本当は、怪我が治ったのはうれしかったけど、お別れしなきゃいけないのが辛かった。本当はわたしも、まだトキといっしょにいたいって思ってる」


 気持ちがあふれて、上手く伝えられたかわからない。それでもトキは、瞳をまっすぐに見つめ返し、やさしく目を細めた。まるでわたしの気持ちをすべてわかっているみたいに、小さくうなずいてくれた。

 トキは再び前を向き、ミサゴさんと向かい合う。


「これが俺の答えだ。ミサゴ、俺たちの時間を決めるのはお前ではない、俺たちだ」


 黙って話を聞いていたミサゴさんは、感情を出さない顔でじっと見つめる。

 トキも微動だにしない。

 向き合ったまま、ゆっくりとミサゴさんの目が閉じた。


「その答えが、いつかお嬢ちゃんを傷つけてもか?」


 抑揚のない問いに、トキの肩が小さく跳ねる。


「傷つけねぇよ!」


 力強い声が響いた。カーくんがトキの隣にやってきて、肩の上にひじをのせる。


「トキだけじゃねぇ。オレだって、なんて言われようがななのそばにいるからな! ゼッテェ傷つけねぇ。なにがあっても、オレはななたちといっしょにいる! なにがあっても、オレはななを笑顔にさせてやる!」


 反対側にはカワセミくんが、トキの足へすり寄り、ミサゴさんを見上げた。


「手遅れだよ、ししょー? もうちょっと早くボクに言ってくれれば、上手くいけたのに。もうなに言っても、みんなの気持ちは変わらないよ? もちろん、ボクの気持ちも」


 わたしの前に、みんなが並び立つ。

 トキは、両側のカーくんとカワセミくんをそれぞれ見る。それからわたしへと視線を送り、目を伏せた。


「いつか、傷つけるかもしれない……」

「って、なんでテメェはそんな冷てぇこと言うんだよ!?」

「先のことはわからないだろう」


 詰め寄るカーくんに、トキが困った表情で返した。


「だが」


 トキは片手を胸の前で固く握り、顔をあげてミサゴさんに向き直る。


「ななが俺を好きと言ってくれた。俺はその想いにこたえていきたい。いつか不幸にさせるかもしれないのなら、その前に、たくさん幸せにさせるだけだ!」


 ドキッと、胸が高鳴った。そのまま鼓動が速くなっていき、身体が熱くなっていく。声が出なくなって、動けなくなってしまう。

 トキ、今、なんて……?


「……お前らの言い分はようわかった。けど、ワシは鳥や。ヒトの言葉をいくら並べられても、はいそうかて、納得はできん」


 ミサゴさんの顔には半分あきらめが浮かんでいるけれども、その瞳はまだ冷たくトキたちを見つめている。

 いやいや、どうして、なんで……?


「あぁ。覚悟はできている」


 トキはわたしに背中を向けたまま、ミサゴさんへと真剣な声色を返した。カーくんやカワセミくんも身体に力を込めて身構える。

 ちょっと、勝手に話を進めないで、わたしは……?


「ねぇ」


 震える声を絞り出し、手を伸ばしてトキのそでまんだ。

 こちらへ振り返った顔が、申し訳なさそうに眉尻まゆじりをさげる。


「なな……。すまない。俺たち鳥には、鳥のやり方がある。ななにとっては見苦しいかもしれないが、少しだけ我慢してほしい、」

「そうじゃなくて!」

「ん?」


 鳥のやり方なんて、今はどうでもいい!

 わたしは袖を引っ張って、きょとんとする顔へ詰め寄った。


「トキ、なんでわたしがトキのこと好きって知ってるの?」

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