12-10 ななとしずく

 ……しずく?


 オオタカの口から出てきた言葉の意味がわからず、フリーズしてしまう。

 しずくってなに? 水滴のこと? なにかの名前かな?


「シズクって、なんの鳥? ワミミですか?」

「しずくはそんなバカを言わない」


 真面目にいたのに、またバカにされた。傷つく……。


「と、鳥じゃないならなんですか? 人ですか?」

「決まっている」


 オオタカが素っ気なく答えた。

 どうやら人の名前らしいけど、わたしはそんな人知らないよ。


「だれですか? その、しずくさんって?」

「貴様がしずくだ」

「いやいや、わたしはしずくさんじゃないです」

「しずくは貴様だ」

「わたしは田浜ななです!」

「うるさい。黙れ」


 ちょっと待って!? 話が噛み合わないんだけど!

 オオタカはわたしをしずくさんだと思っているのかな。でも、人違いしているわけではなさそう。無理やりわたしを、しずくさんにしようとしているような。


「オオタカの言ってるしずくさんって、どんな人なんですか?」


 ひとまず話を変えてみた。

 オオタカはこっちをにらんだまま、口をつぐむ。


「ど、どんな人かわからなかったら、しずくさんになりようがないじゃないですかっ」


 視線にビクビクしながら、なんとか話を聞き出そうと頑張った。

 オオタカは一度短く息を吐き、顔を上げる。


「雪がやまんな……」


 話をそらされた……。

 目をすがめ、降る雪を見つめるオオタカ。広げていた翼をその場で羽ばたかせて背中側についた雪を落とし、首をひねって羽繕はづくろいをしだす。


「あ、あの~……」


 翼の前縁ぜんえんを何度か噛むようにほぐし、それから羽根を口にくわえて付け根から先端へと滑らせる。届く範囲で一枚ずつ、器用にすいていく。

 ひざに羽根の先が当たってくすぐったい。ちょっとでも動いたり物音を立てたりすると、ピタッと止まってすぐ睨んでくる。わたしもピタッと止まって黙っていると、また羽繕いを始める。

 そんな姿を眺めながら困っていると、なにもしていないのに動きが止まった。


「しずくは、おれのすべてを狂わせた」


 オオタカが目を合わせず、独り言のように話し出す。


「おれはしずくを許さない」


 声は淡々としていて、表情もなにを思っているのかわからない。

 オオタカはそれだけ言うと、また羽根をくわえて繕い始める。


「許さないって……、なにかひどいことされたんですか?」


 質問してみた。途端、オオタカはまゆを寄せて、こっちを睨みつけた。

 ビクッと震えてしまう。けど、言葉はなにも返ってこない。


「だ、だったら、そのしずくさんって人に直接言えばいいじゃないですか?」


 思ったことをそのまま口にした。

 オオタカは数秒こっちを睨んで、すっと視線を横へ移す。


「しずくに、おれの言葉は届かない」

「届かないって?」

「あんなモノ、いないも同然だ」

「いないも同然って? ちゃんと説明して、」

「黙れ!」


 不意に怒鳴り声が上がった。わたしの肩に痛いくらいの力が加わる。鋭く細められた目が、再びこちらへ向けられる。


「貴様は黙ってしずくになっていろ。あの日から、おれがどれだけ苦しんだと思っている。どれだけ痛みに耐えてきたと思っている」


 さっきから話がほとんど通じていない。しずくさんがどんな人なのかも、なにをしたのかも、あの日がいつなのかも全然わからない。

 当惑するわたしに向かって、オオタカはお構いなしに言葉を浴びせた。


「しずくさえいなければ、おれはこんな想いを知らずに済んだ」


 握られた肩の痛みが、さらに強くなる。


「おれは……、許せないんだ……」


 最後に口からこぼれたのは、思いのほかかすかな、ささやき。


「オオタカ?」


 わたしのほおにポツリと、綿雪が落ちて解けた。

 オオタカは、しずくさんに狂わされたとか言っているけど、わたしを抱いて、翼で雪や風から守ってくれている。肩をギュッと握られて痛いけど、爪は食い込まず、服に当たる寸前で止められている。


「オオタカは、しずくさんを許せなくて、でもしずくさんに言葉が届かなくて、だからわたしにしずくさんになれって言ってるんですか?」


 わからないなりに言葉を繋げて訊いてみた。

 オオタカは急に黙って、わたしを刺すように冷たく見つめた後、視線をそらす。


「ダメですよ、そんなの」


 怖いし、なにを考えているのかわからないし、怒らせてここから落とされたらただでは済まない。それでもわたしは、オオタカが悪い誘拐犯じゃないと信じて、言葉を続ける。


「わたしにも今、どうしても会いたいひとがいるんです。人じゃなくて、鳥だけど。彼にどうしても伝えたいことがあるんです。けど、もうここにはいないかもしれなくて。そう思うと苦しくて……。でもだからって、別のだれかに想いを伝えったって、意味がないと思います。たとえ同じ種類の鳥でも、意味がない。だって、彼は彼しかいないから」


 トキはトキしかいない。トキという鳥は何百羽もいるかもしれないけど、わたしの知っているトキは一羽しかいない。だれでもなく、わたしはその、一羽のトキに想いを伝えたい。


「オオタカにとってのしずくさんも、きっと、そういう存在じゃないですか?」


 オオタカはわたしから視線をそらしたまま、これだけ話しているのに眉一つ動かさないで聞いてくれた。肩を掴む力は、すでに緩んでいる。しばらくなにも言わず、ゆっくりと目を閉じた。


「あいつの言ったとおりだな」


 ため息を吐くようにつぶやき、目を開けると同時に、こちらへ顔を向ける。


「しずくに似ている。その目」


 わたしの顔を見つめながら、どこか懐かしそうに言葉をこぼす。

 わたしが伝えようとした言葉には、一切触れない。


「今の話、聞いてました?」

「貴様の意見などいらん」

「ちょっとっ! オオタカーっ!?」

「うるさい。黙れ」


 ダメだ。このオオタカ、やっぱり全然話を聞いてくれない。

 そうこうしているうちに雪がやみ、風もやんでいた。灰色の空を写すため池のむこうに、真っ白な田んぼと海が見える。

 自分一人じゃあ、どうにもならないような気がした。トキが助けに来てくれれば……って一瞬思ったけど、オオタカ相手に敵うわけがなかった……。ここはやっぱり、ミサゴさんかな。でも、どこかで落としたのか、ポケットに入れていたはずのスマホがなくなっている。これじゃあ連絡の取りようがなくて、だれも助けに来てくれない。


「来たか」


 と、オオタカから声が聞こえた。なにかを探るように視線を右へ左へ移動させる。眼光が鋭くなり、わたしの肩がまた強く掴まれる。


「来たって、なにが?」

「おれはしずくを救えなかった。だから次こそは、おれにしずくを救わせろ」


 わたしの問いかけは聞かず、目も見ずに、勝手に話をする。

 直後、オオタカの背後で「バサリッ」と羽音が鳴った。


「きゃぁっ!?」


 不意に視界が回る。オオタカがわたしを抱えたまま身をひねって飛び立ち、なにかをかわした。

 一瞬だけ目前を、広げられた小さな手が通り過ぎる。


「チィッ!」


 舌打ちが聞こえた。

 オオタカは少し後ろに飛んだだけで、すぐもとの枝に足を置く。

 わたしは顔を上げ、通り過ぎていったものを目で追った。

 それは少し離れたところまで飛んでいき、くるりと身体をこちらへ向ける。翡翠ひすい色の翼を目にもとまらない速さで羽ばたかせ、空中の一点でホバリングをする。


「カワセミ……くん……?」


 わたしは、その鳥の名前を口にした。

 カワセミくんは答えない。ここまで一羽で飛んできたのか、肩を上下させて息を切らせている。顔を下げ、腰の横に垂れた両手をグッと握りしめている。


「やっと、見つけた……」


 うわずった声が、震える唇から吐き出された。

 次の瞬間、口角が裂けるように曲がる。いつもの可愛い笑みではない。前髪の隙間すきまから、光のない黒い眼光がわたしの上へと注がれる。


「オオタカァァァアアアアアアアアッ!!」


 激昂げっこうした獣の咆哮ほうこうが、山にこだました。

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