11-09 ななの憂鬱

 バードウォッチングの帰り。雪の積もった田んぼ道を、折りたたみ傘を差しながら歩いていた。周囲には鳥も人もいなくて、わたし一人。時折強く吹く風に足を止めながら、だれかの足跡を踏んでいく。


「はあ……」


 白い息とともに吐き出されたため息は、雪の中に落ちていった。


 ――№465が、この町の近くで目撃されたのを最後に行方不明になった。

 ――九ヶ月も見つかっておらず、おそらくどこかで死んでしまったのだろう。


 たかさんから聞かされた話が、頭の中を何度も巡る。


『なぁ、お嬢ちゃん……』


 それに、帰り際、たかさんを見送った後に『野鳥公園』でミサゴさんにも言われた――。


『あいつらは、鳥なんや。この姿は仮の姿で、いるべき場所もここやない。せやから……っ』


 ミサゴさんはわたしの顔を見て、言葉を詰まらせた。片手がわたしに向かって伸ばされたけど、触れる前に止まり、腰の横へと下ろされた。


『ごめんな、厳しいこと言うて……。お嬢ちゃんを責めるわけやないんや……』


 やさしい声に、わたしはなにも言えず、うつむいたまま首を横に振った。ミサゴさんの手が、強く握りしめられたように見えた。

 その後、送っていこうかという誘いを断って、わたしは一人、家路についた――。


「知らなかった、なんて言えないよね……」


 独り言を言いながら、とぼとぼと雪道を進む。

 トキがどんな鳥か知っていた。足環があるのも知っていた。少し考えればわかったはず。少し調べれば気づけたはず。

 それなのにわたしは、目の前にいるトキが鳥だと忘れかけていた。いや、鳥だとは知っていた。でも……、鳥だって思うのを忘れかけていたのかな。だって、朝までトキのこと好きかもとか言って、浮かれていたんだから……。


「なにやってるんだろう、わたし……」


 強い風が吹いて、身体がよろける。頭を殴られた気分だった。

 相手は鳥。鳥類。恋愛対象じゃなくて観察対象。遠くからそっと観察すべき動物。

 そのうえトキは、特別天然記念物。国際保護鳥。絶滅危惧種。希少種。世界的にも数少ない、保護すべき鳥。本当は、わたしなんかの家にいていいものじゃない。わたしなんかが扱えるものじゃない。

 行方不明になっているのなら、なおさら……。


「早く、トキを戻さないと……」


 人の姿で居続けたら、ずっと行方不明のまま。わたしが見たと言っても、証拠の写真もないから信じてもらえないだろう。早く鳥の姿に戻して、№465が生きていると確認させないと。

 でも、翼の怪我は? そもそも怪我をしているなら、ちゃんとした病院や施設へ送るべきだよね。

 そこまで思考を巡らせて、足が止まった。


「どうしよう……」


 やるべきことは決まっている。けど、口からは頼りない声がこぼれた。

 前を見ると、もう自分の家が見える。田んぼ道が途切れて、アスファルトの道路に出た。真っ直ぐ歩けば、五分もかからず家に着く。

 早く帰らないと。そう思うのに、止まってしまった足がすくんで、前へ出せない。


「トキ……」


 だれにも聞こえない。そう思って口にした名前の意味を、心の中で探した。

 と、その時。


「なにを悩んでいる」

「きゃっ!? って、あなた……」


 突然、覚えのある声が聞こえ、わたしの全神経がそっちに向く。

 斜め前に立っている電柱の影に、一人の青年が腕を組んで寄りかかっていた。鋭い切れ目と、襟足えりあしで結んだ長い髪。『野鳥公園』で出会って、腕をつかんできた人だ。


「な、なんですか!」


 わたしはすぐに彼から離れ、声を上げた。こんなところで会うなんて、もしかして付けてきたのかな。待ち伏せしていたのかな。

 彼は電柱に背中を預けたまま、わたしを一瞥いちべつして目を閉じた。


「そんなに悩むくらいなら、最初から関わらなければ良かったんだ」

「……えっ?」

「途中で考えを変え、おれたちを振り回す。貴様らと関わったやつはろくな目に遭わない」

「えっ? ちょっと、なに言ってるんですか!?」

「黙れ」


 言葉を吐き捨てると同時に、彼は目を開けた。電柱から背中を離し、わたしに身体を向ける。


「貴様のせいで、おれがどれだけ狂わされたと思っている。おれは、貴様を絶対に許さない」


 だいだい色をした目が据わっている。なにを言っているのかわからない。わからないから余計、彼の目が怖い。わたしは二、三歩と足を引いた。


「なな? だれと話しているんだ?」


 来た道のほうから別の声が聞こえた。

 横を見ると、トキが金魚鉢を持って、道の隅に立っていた。


「そこに、だれかいるのか?」


 電柱で隠れているから、トキからは彼の姿が見えないらしい。不思議そうに首を傾げながら、こちらに歩み寄ってくる。


「トキ、あの……っ、あれ?」


 わたしは視線を彼に戻した。けど、さっきまでいた場所に、その姿がない。周りを見回しても、どこにもいない。足跡すら見当たらなくて、忽然こつぜんと消えてしまった。


「どうした?」

「あっ、いえ……。なんでも、ないです……」


 トキが心配そうな顔をして、そばに来る。どう説明していいかわからず、わたしはもう一度周囲を見ながら、曖昧あいまいな返事をした。

 目線を上へ向けると、トキと目が合う。


「って、あぁっ!? と、ととと、トキっ!?」


 わたしの顔をのぞき込んでいたトキが、驚いたように冠羽かんうを立てた。彼が怖くて頭がいっぱいだったけど、目の前にトキがいると改めて気づいて、顔が熱くなった。それを見られたくなくて、傘で隠す。

 なんで? ついさっき、早くもとに戻さないとって思ったはずなのに。トキは鳥だって、頭ではわかっているのに。この症状は、まだ治らない。


「……すまない」


 傘で遮られた視界には、トキの足だけが映っていた。その足が片方ずつゆっくりと後ろに引かれる。

 わたしは少しだけ傘を上げた。トキが離れたところにいて、わたしを見つめている。傘も差さずに突っ立っているから、頭や肩に雪が乗る。


「ト、トキ? 傘、貸しますから、差してください」


 わたしは声を絞り出し、目を合わせないように下を向いて、持っている傘を差しだした。けど、傘は取られない。代わりにトキの声が聞こえる。


「ななが濡れるだろう?」

「わたしは平気です。もうすぐそこですから」

「俺もすぐそこだ。それにもう濡れている」

「ダメです。トキが差してください」

「ななが差せばいいだろう」

「ダメなんです! 風邪引いたらどうするんですか!」


 つい、大きな声を出してしまう。トキなんだから、風邪なんて引かせられない。特天なんだから、体調管理には気を付けないといけない。大切に、扱わないといけない。


「……すまない」


 小さな声が聞こえた。顔を上げて見ると、トキはその場で俯いていた。傘を受け取る気はないらしく、足も手も前に出そうとはしない。

 トキはやさしいから、自分だけ傘に入るなんてできないんだろう。わかっていたはずなのに、無理強いをさせて、困らせていたのに気づく。


「あの……、一緒に入りましょう?」


 家まですぐそこなんだから、こんな場所で言い合っていないで、最初からこうすれば良かった。わたしは自分の上に傘を差し直して、少し高めに持ち上げた。

 トキが顔を上げ、わたしを見る。白い息を吐きながら、心なしか震えた声を出した。


「いいのか?」

「はい。は、早く、入ってください」


 そう言うと、トキがやっと足を前に出した。服についた雪を払い、そろそろと傘の中へ入り、わたしの隣に来る。

 左手が、トキの腕に触れた。以前も雨の日に、こうやって相合い傘をして帰ったけど、今はその百倍くらい緊張する。小刻みに揺れ出しそうな左手で、傘の持ち手を強く握りしめた。


 わたしたちは、ようやくそこから歩き出した。

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