11-10 もしかして

 トキには車の走った跡を歩かせて、わたしは道の真ん中を踏みしめていく。

 目のやり場がわからず、足もとばかり見てしまう。言わないといけないことがたくさんあるのに、言葉も出てこない。


「…………」


 トキもなにも話さず、ただ、歩調を合わせて歩いている。

 視線を上げると、金魚鉢を抱える両手が見えた。

 手袋をしていないその手は、ところどころにあかぎれができて、かすかに震えていた。冷たい水の中で、食べ物を探していたからだろう。金魚鉢には、小さな貝が二、三匹入っているだけ。

 鳥にとっては厳しい冬。鳥のくちばしだったら、痛い思いをしなくて済むかな。鳥だったら、入っちゃいけない場所もなくて、もっと広く探せるかな。佐渡にいれば、ここより住みやすい環境で、たくさん食べ物もあるかな……。


「やっぱり……」


 ――トキは、ここにいたら、いけないよ……。


「なな?」


 見つめていた手が動き、わたしを呼ぶ声が聞こえる。

 また、ドキッと胸が跳ねる。今までの思考が吹き飛んでしまう。

 顔をそらそうとした。向けた視線の先に玄関が見えて、家に着いたんだと今さら気づいた。

 その時。


「きゃっ!?」


 ゴウッと音を鳴らして、強風がわたしたちの間を吹きすさんだ。


「ななっ!」


 傘が風にあおられて、飛ばされそうになる。とっさにトキが片手を伸ばし、わたしの手の上から持ち手をつかんだ。よろけた身体も、広げられた翼に支えられる。

 ビュウビュウと風はまだ治まらない。トキは手に力を入れて、傘を風上に向けた。その中で、わたしたちは風に耐える。

 ずっと手は握られている。ずっと翼に抱き寄せられている。

 

「もう大丈夫だ」


 トキの声が、すぐそばで聞こえた。風が治まったとか、もうどうでも良かった。胸が、張り裂けそうなくらいバクバク鳴っている。

 

 頼りない細い手で、ちゃんとわたしの手を握ってくれる。ミサゴさんと違って、ちゃんとわたしを抱いてくれる。温かくて、優しくて。金魚鉢を持っている手の甲が、わたしの胸に当たっていますよとか、鈍いところもあって、不器用なところもあって。


 ――あぁ、やっぱりわたし、トキのこと好きなんだ……。


「なな?」


 羽の間から、顔を上げた。トキと目が合う。


「っ!?」


 トキはわたしの顔を見た瞬間、目を丸くして、冠羽かんうを立てた。

 慌てたように手を離して、翼を離して、二、三歩と後退あとずさる。


「す、すまない……。俺は、その……」


 キョロキョロと首を振りながら、わたしを握っていた手で顔を覆う。

 わたしはそれ以上トキを見られなくって、また傘で顔を隠してうつむいた。

 頭で考えることと、心で想うことが交わらない。早く鳥の姿に戻らせないといけないのに、せめて怪我が治るまで一緒にいたい。鳥だとわかっているのに、想いは増していくばかり。顔が熱くて、目頭が熱くて、泣いてしまいそう。


「なな? どこか、痛むのか?」


 恐る恐るというように、前から声が聞こえた。

 わたしはただ、首を横に振った。


「怒って、いるのか?」


 首を横に振る。

 どうして、今、そんな頓狂とんきょうなことをくの?


「すまない……。すまない、なな」


 そういえば、トキ、さっきからずっと謝っていたけど、なんで?


「お前の思っていることが、俺にはわからないんだ。傷つけたのなら謝る。不満があるなら言ってくれ。嫌っているのなら……、それでも俺は構わない。だから――」


 待って? 傷つけたってなに? 不満って? 嫌っているって?

 わたしは顔を上げた。トキと、目が合う。


「だから、もうそんな、苦しそうな顔をしないでくれ?」


 顔から手を離して、トキはわたしを見つめていた。

 その顔は、真っ赤に染まっていた。そのひとみは、涙が零れそうなほど潤んでいた。

 まるで、鏡みたいって思った。自分の顔なんて見えないけど、今のわたしと同じ顔をしているって思った。


 ――もしかして、トキも、わたしを……?


「トキ、ごめん……」


 わたしは、傘の持ち手を両手でギュッと握った。

 トキも、金魚鉢を両手でギュッと抱える。

 そういえば、トキ、聞いてほしいことがあるって言っていたのに、わたしはちゃんと話を聞かなかったよね。

 怖くなって、互いに半歩、足を後ろに引いた。それでも勇気を振り絞って、一歩、足を前に出した。わたしとトキは、真っ直ぐに互いを見つめた。

 ちゃんと話そう。考えも想いも、全部トキに伝えよう。全部トキから受け取ろう。もう、ひとりじゃ持ちきれないよ。だから、全部話して、全部聞いて、それから一緒に考えよう。


「わたし――」


 想いを伝える、第一声を紡いだ。


 その、刹那せつな


 ガサガサッ!


 枝葉の激しくこすれる音が、どこからか聞こえた。

 トキの冠羽がピンッと立つ。身体を強張こわばらせ、翼を半開きにしたままわたしから目をそらす。

 風じゃない。視界の隅で、生け垣の一部が激しく揺れた。次の瞬間、なにかが雪の上に飛び出し、トキに向かって――。


 ドスッ!!


 トキの下っ腹にそれが直撃する。一瞬の出来事で、わたしは助けるひまもなく、トキも避ける暇がなかった。

 トキが仰向けに雪の上へ倒れる。手にしていた金魚鉢は斜め前方に飛ばされ、雪から突き出ていた岩にぶつかり、派手な音を鳴らして砕けた。


「うぅっ……」


 トキが倒れたまま、苦しそうにうめき声を上げた。その腹の上に、まるで正座をするように二本の足を折り曲げて乗っているなにかがいる。獣ではなく、人? 背中には、鈍く輝く翡翠ひすい色の翼が広げられていた。


「カワセミ、くん……?」


 見知ったはずの背中に、わたしは声を掛ける。

 カワセミくんはなにも答えない。トキの肩に両手をついて四つんいになり、うっすらと目を開けたトキの真上に、自身の顔を合わせた。


「つ~かまえた~!」


 かすかに見える横顔の、ひどく曲がった口から、さえずるように楽しげな声が聞こえた。

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