10-07 ふたりで帰り道

 神社を出ると、急に風が吹き始めた。木々が揺れ、ザワザワと音を立てる。冷たい風を正面に受け、わたしとトキは思わず足を止めて身を強張こわばらせた。


「うぅ……寒いですね……」


 自分の身体を抱いて、腕を強くさする。コートの下はパジャマで、手袋もマフラーもしていない。すぐそこだから平気だって言ったけど、身体はすっかり冷えてしまった。


「なな、大丈夫か?」

「はい、だいじょう、へ……へっくしゅんっ!」


 こらえようと口に両手を当てるけど、くしゃみが出てしまう。

 すると、トキは自分の着ているコートのボタンを外し始めた。全部外して、襟もとを持つ。

 まさかと思って、わたしは慌ててその手をつかんだ。


「い、いいですよ! わたしは大丈夫です! トキのほうこそ、風邪引いたら困りますから、ちゃんと着ててください!」


 大きな声を出してしまう。トキのはめた温かな手袋に、ギュッと力を込める。

 肩までコートを脱いでいたトキは、わたしの言動に小さく身を震わせて、動きを止めた。頭の冠羽かんうがピンッと立つ。


「あっ……ごめんなさい……」


 わたしはトキから手を放した。目をそらし、アスファルトの道を見つめる。

 気にかけてくれたのに、怒るような口調になってしまった。「心配ばかりするな」って、また言われてしまうかも。


「は、早く、帰りましょう?」


 目が合わないように言って、歩き出す。早足に、歩いていれば、身体も温かくなるよね。気分を紛らわせるように、歩幅を大きくしようとした。

 その時。


「これなら、いいだろう?」


 ふわりと、背中をなにかに押された。ほおを柔らかいものにでられた。視界に映る、白っぽい羽。驚いて後ろを見ると、大きな翼が、私の肩を抱くようにして覆いかぶさっていた。

 わたしは首をぐるりと反対側に回して、右隣にいるトキのほうへ顔を向けた。


「ト、トキ!?」

「周りにヒトはいない。今だけだ」


 トキは、わたしよりも、周囲を気にして見回していた。わたしたちが歩いているのは下り坂。右手側は林で、左手側はがけになっている。前にも後ろにも、人や車の姿は見当たらない。


「あまり、温かくないかもしれないが」


 トキはこっちを見ないまま言って、翼でさらにわたしを包み込むように抱き寄せた。きれいな風切羽かざきりばねに押されて、わたしの身体は半歩、トキに近づく。


「い、いえ……あったかいです……」


 むしろ、熱いくらいです。

 鳥の翼に包まれて、さっきまで冷たかったほおは、湯気が出てしまいそうなほど熱くなっていた。

 見上げると、トキの顔がすぐそばにある。出会ったばかりの頃は、わたしが近づくだけでおびえていたのに。今は目が合っても、落ち着いて首を傾げてくる。


「どうした?」


 逆にわたしのほうが、どうしていいかわからなくて、目をそらしてしまう。


「ト、トキ、最近、近づきすぎじゃないですか? 人慣れしちゃ、ダメですよ?」

「心配するな。お前以外に、こんなことはしない」


 そんなこと言って……っ! もしもわたしに冠羽があったら、ピンッと立っていた。


「…………」


 なにも返事をすることができなくて、うつむきながら黙々と歩く。トキもなにも言わず、翼が離れないよう、わたしに歩調を合わせて歩いていた。

 胸の鼓動がうるさい。沈黙に耐えきれなくて、わたしは頭の中で必死に話題を探す。


「そういえば、トキ、願い事はなんにしましたか?」


 顔を上げ、普段通りの調子でいてみた。

 前を見ていたトキは、わたしへ目を向ける。口をわずかに開けて、すぐに閉じた。なにか思案するように視線を泳がせて、再び口を開く。


「なにも、思いつかなかった」

「そうなんですか? ドジョウがたくさん食べたいとか、お願いすればよかったのに」

「そうかっ。それにすればよかった……」


 トキはあごに片手をそえ、眉間みけんに力を入れる。真剣な表情に、わたしは思わずクスリと笑ってしまう。トキはまたこっちを向いて、まゆを開いた。


「ななは、なにを願ったんだ?」


 訊かれて、わたしは神社でお参りした時のことを思い出した。


「今年も、みんな元気で、……、いられますように」


 トキは口もとを緩めて、わたしを見つめる。


「そうか」

「はい! 健康が一番大事ですからね。トキの怪我けがも、早く治ってほしいですし」


 そう言って、首をひねり、トキの背中をのぞく。わたしを抱く左の翼とは反対側。右の翼は閉じていて、巻かれた包帯がちらと見える。


「なな……」


 呼ぶ声が聞こえ、首をもとに戻そうとした。すると、視界に入ったトキの表情に、違和感を覚えた。


「トキ?」


 トキの目が大きく見開かれ、唇がかすかに震えている。さっきまで優しい表情だったのに、今は驚いたような、訊いてほしくないことを訊かれてしまったような表情をしている。


「どうしたんですか? ……もしかして、具合、よくないんですか!? 怪我、ひどくなってるとか!?」


 悪い考えが頭をよぎる。思わず立ち止まって、トキに詰め寄る。

 最近、怪我のことにあまり触れていなかった。元気そうだから、大丈夫なものと思っていた。でも、もしかしてトキ、言いにくいことがあって、我慢していたのかな。

 不安を隠せないわたしの前で、目を丸くしたトキは……。


「ふっ……」


 吐息を漏らし、首を横に振った。


「大丈夫だ、なな。悪くはない」


 わずかに目を細めて、わたしをなだめるように、優しい声でトキが言う。

 その言葉に、強張っていた肩がすとんと落ちた。心の底からほっと息が出て、顔がほころぶ。


「そうですか。よかった……。ホントに、よかったです……」


 自分が早とちりして不安になっただけなんだけれど、安堵あんどの声が漏れる。わたしはトキから顔をそらして、再び歩き出した。うれしくて、でもちょっと恥ずかしくて。


 よかった……よね……。


 そして、小さな穴が、空いてしまいそうで……。声に出さず、唇を動かした。

 トキはまた、翼でわたしを抱いて隣を歩く。わたしたちは坂を下り、車のまったく通らない国道を渡って、田畑の間に走る道を進む。あとはここをまっすぐ行くだけ。先に我が家があって、玄関の前に灯った明かりが見える。


「ななは、優しいな」


 不意に声が、白い息とともに落ちてきた。

 疑問符を漏らして、顔を上げる。トキの目は、わたしを見ていなくて、道の端にある畑に向けられていた。わたしもそっちに視線を移すと、ビニールシートが外されて、鉄パイプだけになったハウスがあった。

 ここは、トキが網に絡まっていた場所。わたしとトキが、初めて出会った場所だ。


「俺は、ななに助けられてよかった。ななに出会えて、よかったと思っている」


 改まったように、トキが言葉を紡いだ。

 視線を戻すと、目が合う。外灯の下だから、表情がよくわかった。淡い黄色のひとみがまっすぐにわたしを見つめて、頬が淡く染まっていた。優しい三日月の形をした口もとが、小さく開く。


「ありがとう、なな」


 ささやき声とともに、トキは目を細め、微笑ほほえんだ。

 こんな表情を見るのは、初めて。

 心が、きゅんっとうずいた。

 でも同時に、胸が、ギュッと締められた。

 まるで、物語の中でお別れを言うセリフみたいだから……。

 わたしは、なんて返せばいいのか、わかんなくて……。


「…………あ」


 その時、わたしたちの間に、白いなにかが降ってきた。


「雪っ! トキ、雪ですよ!」


 話題をそらすように、子どもっぽく声を上げた。

 気づけば、もう家の前だった。わたしはトキから離れて駆け出し、家の敷地に入る。手を広げて、降ってくる雪を意味もなく捕まえる。手のひらに冷たい感覚が伝わって、火照った心を冷ましてくれるようだった。


「今年初めて降りましたね! 積もるかなー? あっ、でも、これ以上寒くなったら困るから、今は積もらないほうがいいですね」


 独り言のように、早口でしゃべる。

 わたしの後を歩いてきたトキは、敷地に入って立ち止まっていた。雪が降ってくる頭上をずっと見て、なにも言わない。

 わたしはその顔をろくに見ず、トキと向き合って、軽く頭を下げた。


「トキ、今日は付き合ってくれて、ありがとうございます! あったかくして休んでくださいね? それじゃあ」


 言って、玄関へ足を向ける。

 今日は、トキと一緒に初詣はつもうでができた。また一つ、楽しい思い出ができた。それだけで、十分だった。温かいベッドの中で、ぐっすり眠りにつけると思った。

 足を一歩、前へ踏み出そうとした。


 と、その時。


「ななっ」


 トキが、わたしのそでを引く。

 求めるように、すがるように。

 腕を掴んで、身体の向きを変えさせて。

 優しく、いや、無理やりといえるほど強く。

 わたしの身体を、引き寄せ、抱きしめた。


「っ…………」


 声が、出なかった。

 わたしは、トキの胸に、顔を押しつけられていた。トキの片手がわたしの頭を抱き、もう片方の手は背中に回されている。さらに翼も、身体に覆い被さっている。

 人よりも温かな体温が、服を通って肌に伝わってくる。それ以上に、自分の内側から熱が沸き上がってくる。早鐘を打つ心臓が、身体の隅々までその熱を送っていく。


「なな」


 耳もとで、トキがささやいた。顔を上げたいけど、トキに強く身体を押さえつけられ、思うように動けない。


「なな……」


 再度、トキはわたしの名前を呼ぶ。

 そんな震えた声を、出さないでくださいよ。

 そんなに強く、抱きしめないでくださいよ。

 これ以上、そばにいたら、わたしは……。

 わたしは……。


「なな……、聞いてほしいことがある、」

「やめてっ!」


 絞り出した声が響き、トキの言葉をき消した。

 一瞬だけ力の抜けた手から離れ、トキを突き放す。

 地面に視線をさまよわせながら、二、三歩と後ずさる。

 警告を鳴らすような心臓を押さえつけ、震える息を吐き出した。


「ごめん……。お母さん、起きると、いけないから……。また、今度ね……」


 やっとのことでそれだけ言って、トキの姿も見ずに、わたしは玄関へ逃げた。

 中に入り、ドアを閉めて、かぎをかける。靴を脱ぎ捨て、廊下を走る。階段を駆け上がる。頬に冷たいなにかが伝った。口から嗚咽おえつが漏れ出した。


 考えないようにしていた。けれども、もう、気づいていて、わかっていたんだ。たった一日いなくて、自分が残されることが、こんなにも辛いなんて思わなかった。

 鳥だってわかってるよ。怪我がよくなってうれしいよ。

 でも、どうしようもなくさみしいよ。どうしようもなく、別れたくないよっ!


 自分の部屋のドアを開ける。中に入り、ベッドに飛び込もうとした。


「……っ!?」


 けれども、わたしの顔は、目の前にいたに当たった。

 びっくりして、顔を上げる。かすんだ視界の隅で、窓の布が揺れた。


「カー、くん……?」


 視界の真ん中には、カーくんが。なにも言わずに、わたしを見つめた。

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