10-08 ひとりと記憶

 年の夜、いや、今ちょうどダッシュボードの時計が〇時になったから、年の朝か。

 こんな時間まで起きているのは初めてだ。オレは揺れる車のシートに背中を預けながら、大きな欠伸あくびを一つした。


「まったく! 他人ひとの家だと思ってどんちゃん騒ぎして! いくらなんでも羽目を外しすぎだ!」


 左側の運転席では、店長がプリプリと怒りながらハンドルを握っている。

 店長の家は、一軒家で他にだれも住んでいないらしい。だから、バイト仲間の集まりにしょっちゅう使われている。

 今日も忘年会と称して、暇なやつらと騒いでいたんだが……。


『お前ら、今何時だと思っているんだ! とっとと出て行け!!』


 と、帰ってきた店長に大目玉をくらい、全員が家から追い出され、オレは首根っこをつかまれて車に押し込められた。


「夕食会をするだけだと言うからかぎを貸してやったのに。あのまま私が帰ってこなければ、朝まで騒いでいただろう? ったく、未成年もいるっていうのに……」


 店長はわざとらしくため息を吐いて、横目でちらとオレを見る。


「店長、言っとくけど、オレはもう成鳥オトナっすよ!」

「お前、今いくつだ?」

「えっと、五年ぐらい生きてぐっ!?」

他人ヒトから見ればまだ子どもだ! あと、そんな冗談を真顔で言うな!」


 不意に片手が伸びてきて、頭をグリグリでられる。すぐに手は離れたけど、最後にピンッと額をはねられた。


「それに、帰らなければ、ななちゃんが心配するだろう?」


 店長は手をハンドルに戻して言った。

 確かに、普段なら、遅くならないうちに家に帰る。けれども今日は帰ったって、鳥しかいない。ななには会えないんだ。


「どうせ気づかれないっすよ」

「どうした? ケンカでもしたのか?」

「そんなんじゃないっすけど……」


 余計な心配をかけさせないようにと、納屋に潜んでいることは、ななから口止めされている。言葉を濁して、視線を窓の外へ向けた。車は、ほかにだれもいない広い道路を走っている。


 もう少し行って、左に曲がってまっすぐ行けば、ななの家だ。なな、今なにやってんだろう。今日の夕方納屋なやからのぞいた姿が、頭によみがえる。お母さんに向けている顔は、いつもオレに向けている顔とは少し違った。どこか幼く見えて、そしてすごく、うれしそうだった。


 窓に映る店長の顔が、一瞬だけこっちを見た。突然、身体が右に傾く。


「あれ、店長? 家、こっちじゃないっすよ?」

「寄り道だ。ちょっと付き合え」


 店長は微笑ほほえみ、軽く片目をつむってみせる。右に曲がった車は、家の立ち並ぶ道を静かに進んでいく。

 前を向きながら、再び店長の口が開いた。


「今度の給料日、やっとが買えるんだろ? 私もその日休みだから、買い物に連れていってやる」

「マジっすか!?」

「あぁ。だから」


 住宅地を抜け、うっそうとした林の前で車がとまった。店長が降り、オレも外へ出る。離れたところに鳥居が見えた。


「神社っすか?」

「そうだ。お前の恋愛成就祈願だ」


 そう言って、店長は歩き出す。オレも後をついていった。

 ここらへんは、つがいのカラスの縄張りがあって、普段近づかない。けど、今は夜だから、気づかれないだろう。

 鳥居をくぐり、石の敷き詰められた道を歩く。ヒトはだれもいない。強く吹く風が、周りの木々をザワザワと揺らしている。


「あれ?」


 道の中程で、オレは立ち止まった。ぐるりと身体を回して、辺りを見回した。


「どうした?」


 先に歩いていた店長も立ち止まり、こっちに振り返る。


「オレ、ここ来たことあるような……」

「お前はいつもブラブラしているからな。立ち寄ったことがあるんじゃないのか?」

「いや……」


 縄張りがあるから、鳥の時も、ヒトの姿になってからも、こんな場所に来たことはないはずだ。けれども、なぜか知っている。見たことがある。

 例えば、建物の隣にある、あの大きな木。


「おい?」


 店長の問いかけを素通りして、オレは木のもとへ行った。木は、隣の建物と同じくらいの高さがある。足もとは土で、木の枝や枯れ葉が落ちたままに覆いかぶさっている。見上げると、たくさんの枝が出ていて、濃い緑の葉が茂っていた。


「ここ……」


 なにかが。なにかが、のどもとまできて、出かかっている。

 オレは、手近にある枝を掴んだ。


「おい!? やめろ!」


 店長の声が足もとから聞こえるが、構わず枝に飛び乗った。枝から枝に飛び移り、木を登る。てっぺんまで辿り着いて、葉の茂る小枝の間から顔を出した。

 辺りは暗くて、ほとんどなにも見えない。ただ、遠くにはさっきまで走っていた広い道路の明かりが見える。きっとそのもっと先に、ななの家があるはずだ。

 それに、この空気。かすかにツンとする、この木の匂い……。


「こら、力一りきひと! すぐに降りろ!」


 下を向くと、店長がこっちを見上げて、目をり上げている。

 けれどもオレは、まったく別のことをとらえていた――。


『もうちょっとだから、おとなしくしててね? ……ほら、着いたよ』


 黄色くて柔らかいなにかに乗せられていたオレは、硬い枝が集まる上にコロンッと放り出された。

 中にいる兄弟たちがうるさく騒ぎ散らかしていた。顔を上げると、大きなヒトの顔が、目の前にあった。


『もう落っこちないでね? じゃあね』


 そう言って、その顔は目を細めた。ほおを上げ、口もとを緩ませた。

 けど、すぐにそれは姿を消した。


『ゆうちゃーん、ランドセル持っててくれてありがとう』

『いいよ。それより、カラスさん、巣に戻せた?』

『うん! ケガもしてないみたいだし、たぶん大丈夫だよ』

『そっか。よかったね、ななちゃん』

『うん!』


 ――なな。ななって、名前。あの声。あの顔。

 あの、笑顔――。


「思い、出した……」


 オレは木から飛び降りた。下にいた店長が、鬼の形相で詰め寄ってくる。


「危ないだろ! リキ、」

「店長! 思い出した! オレ、思い出したぜ!」


 店長の肩を掴む。言葉が口をいて出る。


「オレ、ここでななに初めて出会ったんだ! ななに命を助けられたんだ! どうして忘れてたんだろ。オレ、ななのこと、生まれてすぐの時から知ってたんだ!」


 店長に言う、というより、沸き上がってくる思いをただただ叫んだ。叫ばずにはいられなかった。

 いつも厳しくしかってくる店長は、口をぽかんと開けて、固まっている。

 オレは肩から手を離し、建物に背を向けて駆けだした。


「お、おい、どこに行く!?」


 背後から、戸惑った声が聞こえる。


「思い出したこと、ななに伝えてくる!」

「ちょっ、お参りくらい、」

「いい! ここまで送ってくれてありがとな、店長!」


 振り返って手を振ると、額に手を当て、肩でため息をする店長の姿が見えた。


「……ったく。敬語を使え、力一!」


 オレは鳥居を飛び出して、来た道とは逆の、下り坂を駆ける。

 周りにはだれもいない。翼を広げて、夜空へ飛び立った。


「なな、なんて言うかな?」


 夜は暗いからめったに飛ばねぇけど、これなら林も道も飛び越えて一直線に帰れる。

 今すぐに、一刻も早く、ななに伝えたかった。

 あの時のこと、覚えてるかって。オレとななは、ずっと昔から繋がっていたんだぜって。これって、すげぇことだよな。テレビやマンガで見た、まるで運命の赤い糸ってやつみてぇだ。


「あっ、雪!」


 ふと、頭上から真っ白なふわふわが降ってきた。空中で立ち止まり、見上げる。いくつもの白い綿雪が、空から舞い降りてくる。

 今年初めての雪は、まるで祝福の紙吹雪。


「ななにも見せてぇな……。なな!」


 はやる気持ちを抑えることなんかできねぇ。翼をはためかせ、紙吹雪の中を進む。地面スレスレを飛んで、風を掴んでフワッと空高く舞い上がる。調子に乗って、クルリと一回転。

 家の明かりが見えた。あと、田んぼ三つ分ほどだ。


「なな」


 あと、田んぼ二つ分。

 自然と名前を、口に出す。

 なな、びっくりするかな。喜ぶかな。笑顔になってくれるかな。


「なな」


 あと、一つ分。

 ドキドキ。胸の鼓動が高鳴る。

 すると、運命か、明かりの灯った玄関の前に、なながいる!


「な! ……な?」


 オレは、見てしまう。

 物陰から、ななのそばにが近づいた。


「……トキ?」


 家の真上で、オレは止まった。

 トキが、ななの腕を掴んで、引き寄せる。

 トキが、ななを、抱く。


「アイツ……っ」


 オレは奥歯をみ締めた。さっきまで考えていたことが、全部吹っ飛んだ。今すぐ急降下して、ヤツを引き離そうと思った。

 その時。


「やめてっ!」


 ななの大声が響く。ヤツを突き放し、二、三歩後ろへ下がった。うつむいて、苦しそうに胸に手を当てている。口を動かし、なにか言っているみたいだけど、ここからじゃ聞こえない。

 ななは口を閉じると、逃げるように玄関へ飛び込んだ。


 オレは迷った。音を立てて閉められるドアと、置物のように突っ立っているヤツを見比べた。ヤツに掴みかかって、問い詰めることはできる。けど。


「ななっ」


 翼をはためかせて、家の裏へ、ななの部屋がある場所へ急ぐ。


 ヤツのかすかに上げていた片腕が、すとんと垂れたのが、横目に映った。



   *   *   *



 オレは裏庭に回り、柿の木のそばにある窓の前に降り立った。鍵は開いていた。窓を開け、ななの部屋に忍び込んだ。

 直後、階段を駆け上がる音が響き、ドアが勢いよく開かれる。


「……っ!?」


 部屋に飛び込んできたななが、オレにぶつかる。

 俯いていた顔が、ハッと上がった。


「カー、くん……?」


 ななは目を丸くして、気の抜けた声を出す。

 けど、その目は暗くてもわかるくらい潤んでいた。頬も濡れている。鼻水まで垂れている。


「なんで……?」

「泣いてんじゃねぇか」


 それだけ言って、片手でななの腕を掴んで引き寄せた。もう片方の手で、頬を濡らす涙をぬぐってやった。

 触れていくうち、ななの、疑問を向けていた顔が、くしゃくしゃに崩れていく。唇を結んで、それでも嗚咽おえつの声が漏れる。鼻をすすって、目をつむって、それでも涙がとめどなくあふれ出る。

 オレはそんなななの顔を、何度もそっと拭ってやる。


「アイツに、なんかされたのか?」

「みて、たの……?」


 オレは口と手を止めた。

 次の瞬間、ななは、耐えきれず糸が切れたみたいに、オレの胸へ倒れ込んできた。

 オレはその震えた身体を受け止めて、両腕でしっかりと支えてやる。


「違う……、違うんだよ……?」


 ななはオレの肩に顔を埋めて、声を絞り出す。泣きじゃくりながら、必死に首を横に振る。ヤツを、かばう。


「じゃあ、なんで泣いてんだよ」


 オレはななをギュッと抱きしめた。片手ではななの背中をさすり、もう片方の手ではななの服のしわを握りしめた。

 ななはなにも言わず、というか言えないのか、むせび泣く声だけを漏らした。しだいに落ち着いてきて、ぽつりと言葉をこぼす。


「カーくん……、聞いてくれる……?」

「うん」


 ななはいつもこうだ。気持ちがこらえきれなくなって、大泣きして、オレの前で全部吐き出す。柿の木の下で、ななは鳥のオレに向かって、いつも気持ちを打ち明けていた。柿の木の上から、オレはそんなななの気持ちを、いつも聞いていた。


「どうしよう……わたし……、わたし……」


 今のななも、オレに、オレだけに、そっと心の扉を開けてくれる。


「わたしね……、トキのこと、好きになっちゃったかも」


 入り込んできた白い雪が、暗闇くらやみに解け、消えていった。

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