8-07 「そんな、お留守番なのか!?」-⑦-
それは、一瞬の出来事だった。
なにも動かしていないのに、机が、テレビが、照明が揺れる。
窓ガラスと障子戸が、ガタガタと音を鳴らす。
「うわっ!?」
「きゃっ!?」
足もとも揺れ、オレは抱いていたカワセミを突き放して、手近にあるものへ飛びついた。目を固く閉じ、翼で身体を覆い、手の
「な、なんだ!? なんだよ!?」
「落ち着け。もう治まった」
そばでヤツの声が聞こえた。恐る恐る目を開けると、音は止んでいて、揺れも感じない。けど、胸が未だにバクバク鳴っている。ヤツのスカした声が、いつも以上に
「な、なんだよ! なんなんだよ、今の!」
「だから、落ち着け。地面が揺れただけだ」
「だけって、地面が揺れるわけねぇだろ!」
「たまにあるらしい。俺は施設で一度経験した」
ヤツはオレを見下し、
「それよりも……、そろそろ離れたらどうだ?」
「はっ?」
オレは目を動かして、辺りを見回した。
ついさっきと同じ状況で、オレは、ヤツの腰に腕を回していた。
「うわぁあああっ! だから、なに抱きついてっ!?」
ガンッ!!
慌てて離れると、背後にあったテーブルに頭の後ろをぶつける。
「だから、それはこっちのセリフだ。あと、むやみに動くな」
テ、テメェに言われなくても、わかってるよ。いてぇ……。
畳の上で伸びながら、頭を押さえる。ついでにムカつくから、ヤツの足も二、三回軽く蹴ってやる。
「カワセミも、もう離れろ」
「いやっ。いたいよー、カーくんがおとしたー」
「大した
「でもいたいよーっ。カーくんがおとしたーっ」
足をばたつかせて、泣きそうな声を出す。ヤツは困ったように息を吐いて、軽くカワセミの髪を
そして、二羽で
「カーくん、おとしたー……」
二対の非難がましい目が、
「あーもうっ、わかったよ! 悪かったよ、カワセミ!」
オレは起き上がり、頭を撫でてやろうと手を伸ばした。
その時。
プルルルルルルルッ!!
突然、大きな音が鳴り響いた。
「なんだ!? 今度はなんだよ!?」
半ばパニックになりながら、周囲を見回す。床は揺れていない。テーブルも動いていない。窓も音を立てていない。ただ、部屋の隅にある機械から、光が漏れている。
「お、落ち着け! ただの電話だ」
ヤツはさっきよりも声を強めて、オレに言った。
電話自体はたまに鳴るから、珍しいことじゃない。けど、さすがにこの状況で鳴ると、肝を潰すだろ。
「ど、どうすんだよ?」
電話は大音量で鳴り続け、止まる気配がない。
オレとヤツは眉を
「……ななかもしれないだろう? 出たらどうなんだ?」
「な、なんでオレなんだよ!?」
「ななに電話の使い方を教えてもらったのは、お前だろう?」
「テ、テメェだって、隣で聞いてたじゃねぇか!」
ななが修学旅行へ行く前、オレたちは電話の使い方を教えてもらった。緊急事態が起きた時は、ななのスマホへ電話するように言われていたし、ななからも、なにかあったら連絡するから出るようにと言われている。
もしかしたら、ななになにかあったのか。けど、ななじゃないかもしれない。
ていうか、腰が上手く、上がらねぇ……。
「……わかった。俺が見に行く」
しびれを切らしたように、ヤツが立ち上がる。ゆっくりと、音の鳴っている電話のほうへ近づく。
「カワセミ、歩きづらい。いったん離れろ」
カワセミは足にしがみついたままついていく。ヤツが言っても、掴む手を離そうとしない。
ヤツは部屋の隅まで行って、電話を
「『なな』から、らしいな……」
電話にはディスプレイがあって、そこにかかってきた相手の名前や電話番号が表示されるらしい。『なな』という字が出てきたってことは、相手はたぶん、なな。
オレは畳の上で四つん
「ほ、本当に、ななか? 取ってみろよ?」
ヤツは受話器に手を伸ばし、ゆっくりと持ち上げた。
上の部分を耳もとへ、下の部分を口もとへ当てるらしいが、その前に上の部分から、大きな声が聞こえてきた。
『もしもし!? もしもし!? トキ? カーくん?』
いつもの声と少し違う。けれども、オレの名前を呼んだ。
「よこせっ!」
すかさず立ち上がって手を伸ばし、受話器をひったくる。
上の部分を耳に押し当て、下の部分に向かって声を上げる。
「なな!? なな!? なななのか!?」
『カーくん? 良かったー。なかなか出ないから、心配したよ?』
間違いない。オレの名前を呼んでくれる声。ほっと漏れた
オレは、電話越しのななと同様、ほっと、心の底から息を吐いた。
『さっきクラスの人たちから聞いたんだけど、そっち、大丈夫だった?』
「大丈夫じゃないぜ、めちゃくちゃびっくりしたんだからな。ななのほうは、平気だったのか?」
『えっ? うん、こっちはなんともないよ。明日もたぶん予定通り帰れると思う』
「そっか」
てっきり、ななのほうもなにかあって、電話をかけてきたんじゃないかと思った。けどどうやら、ただこっちを心配してかけてきたらしい。
久し振りに、ななの声を聞けて、さっきまでの緊張もほぐれてきた。
『ねぇ、カーくん。トキとカワセミくんは、どうしてる?』
けど、ななの言葉を聞いて、さっきとは違う胸騒ぎが押し寄せる。
『特に、トキはどう? トキ、臆病なところあるし、黙って平気な顔して、無理するところあるから……。
オレはもっとななと話したいのに。もっとオレのことを話してほしいのに。なんでななは、オレじゃなくてヤツのことを話すんだ。なんで、オレじゃなくてヤツのことを心配するんだよ……。
「おい、カラス」
不意に背中から、ムカつく声がかかった。
「はぁっ? なんだよ!」
受話器を握りしめ、ヤツを睨みつける。
ヤツは一瞬片眉を動かし、オレを睨み返した。けど、すぐに表情を戻し、落ち着いた調子で続ける。
「カワセミに、ななの声を聞かせてやれ」
そう言って、ヤツは視線を下へ向ける。
カワセミが、今にも泣き出しそうなほど目に涙をためて、こっちを見上げていた。
『カーくん? どうしたの?』
受話器越しから声が聞こえる。
オレはななに聞こえないよう、小さくため息を吐いてから答えた。
「カワセミが、ななと話したいんだってさ」
『カワセミくんが?』
「うん。……ほら、カワセミ」
オレは受話器を耳から離し、カワセミの耳へ当ててやる。
カワセミはオレの手の上から、受話器をそっと持つ。あまりにも力なくて、手を放すと落としそうだったから、そのままの体勢でオレは待った。
「な……、なな?」
カワセミの
「うん……。うん……。う、うん……」
カワセミはななの話を聞いているのか、コクコクと
ヤツはずっと、そんなカワセミの髪を撫で続けていた。その手に目が行き、気がつく。指先が小刻みに震えている。ちらと盗み見ると、頭の上の冠羽もピンッと立っていた。
ななが心配している通りだ……。
「あのね、なな。さっきね、カーくんがボクのことおとしたんだよ」
「あっ、おいカワセミ! そういうのは、言わなくていいんだよ!?」
オレはカワセミから受話器を取り上げる。手を伸ばしてくるカワセミの額を押さえて、ジト目で睨むヤツを無視して、またななに話しかけた。
「なな? さっきカワセミが言ったのは、わざとじゃねぇからな?」
『カーくん? もう、ちゃんとカワセミくんに優しくしてよね? 泣き声だったよ?』
「うっ……うん。わ、わかってるよ……」
『それと、トキにも替わってくれる? 話したいんだけど』
また、ヤツかよ……。せっかくななと話しているのに、ななはヤツのことばっかり……。
「なんだよ、なな……」
思わず、鋭い声が出た。受話器越しから、ななの間が抜けた声が聞こえる。
『カーくん……? あっ』
けど、すぐにその声色は、慌てたように早くなる。
『ごめん、友だちが来たからもう切るね? またなにかあったらかけるから、それじゃあ』
「あっ、おい、なな?」
言うよりも早く、電話が切れた。プープーという単調な音だけが、後に残る。
オレは受話器を耳から離し、もとの場所へと戻した。
「ななは、なんと言っていたんだ?」
ヤツが
「明日、たぶん予定通りに帰ってくるってさ。なんかあったら、また連絡するって」
「無事なのか?」
予想外の問いに、面食らう。てっきり、「お前ばかりななと話すな」とか、「なんで俺に電話をよこさないんだ」とか言ってくるかと思っていた。
「う、うん。あっちは、なんともねぇってさ」
「……そうか」
息を吐くように呟いて、ヤツは突然、膝を折った。
「トキ?」
「おい?」
ヤツは座り込み、
けど。
「カラス、カワセミと風呂に入れ。今日はもう寝るぞ」
ヤツはすぐに顔を上げて、命令するように言った。いつもと変わらない。平坦な声で、スカした顔をして、オレを見上げる。
なんだよ、びっくりして損したぜ。
「テメェに言われなくてもわかってるよ。行くぞ、カワセミ」
オレはカワセミの腕を掴んで、さっきみたいに抱き上げようとした。ヤツもカワセミを腕から放し、立ち上がろうとする。
カワセミは、オレのほうへ近づく、かと思いきや。
「カーくん、いやだっ!」
突然、オレの腕を振り払って、ヤツにしがみついた。
「きょうのおふろ、ボク、トキといっしょにはいるっ!」
「はぁ?」
「なに?」
カワセミはいつもオレと風呂に入っている。ヤツとなんか、今まで一度も入ったことがない。た、たまに、ななと入りやがるくらいだ。それなのに、なんで突然そんなことを言い出すんだよ。
カワセミは頬を膨らませながら、オレのことを睨んだ。
「だって、カーくんおとすもん……」
「まだ根に持ってんのかよ。謝ったから、もういいだろ?」
「いやだっ! カーくんいやっ! トキとはいる!」
「わがままを言うな、カワセミ。俺はお前と入りたくない」
「いやっ、いやっ! トキとはいるの! ホントはカーくんもトキもいやだけど、どっちかっていうとトキのほうがいいっ!」
「「正直だな!!」」
ななと話して少しは元気が出たかと思えば、駄々をこねだすカワセミ。
ヤツはため息を吐いて、オレに視線を向けた。
「仕方ないな……。カラスは先に入れ。俺とカワセミは、後で入る」
って、おい待てよ。そうするとオレ、今日一羽で風呂に入らないといけないのか? こんな日に一羽でいて、まだ揺れたらどうするんだよ!?
「やっぱりダメだ! カワセミは、オレと一緒に入るんだ!」
「いやだっ! カーくんとはいりたくないー! トキがいいー!」
「お前ら、だからわがままを言うな! 引っ張るな!」
オレはカワセミの腕を引っ張り、カワセミはヤツの服を引っ張る。
なながいないと、止める者もいない。それからしばらく、オレたちの押し問答は続いた……。
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