6-08 海と、愚痴と憧れと
「カワセミ! もっと早く空気を押し出せ!
「はい!」
カワセミくんとミサゴさんは、砂浜から離れた場所にある岩のそばで特訓をしていた。辺りは先ほどまでの砂浜と違い、潮の満ちた
「よく魚を見るんや! 自分の捕れる大きさの魚を
「はい!」
岩より沖のほうは、急に水深が深くなっていて、魚の姿も見えていた。パシャン、パシャンと、カワセミくんが水の中へ飛び込む音が響く。
「そうや、ええぞカワセミ! その調子で、どんどん飛び込め!」
「は、はい!」
海から飛び上がったカワセミくんが、肩で息をしながら返事をした。そしてまた、海の中へと視線を向ける。ホバリングが前より上手になっている。まったくブレずに、空中の一点で止まっている。
頑張って特訓して、いつの間にか成長していたんだ。あんなバカなことしていないで、ここでずっとカワセミくんの応援をしていれば良かった。
はぁっと小さく、ため息を吐く。
「どうしたんや? お嬢ちゃん?」
背を向けて立っていたミサゴさんが振り返り、わたしへと視線を落とした。
わたしとミサゴさんは、同じ岩の上にいる。わたしは特訓を邪魔しないよう、声を掛けずに岩まで登ってきて、体育座りをするように座っていた。
「べ、別にどうもしてません。カワセミくんの応援に来ただけです」
言いながら、自分の太股を抱えて、口もとを膝に当てる。
するとまた、さっきよりも近くで、ミサゴさんの声が聞こえた。
「あいつらと、ケンカでもしたんか?」
「っ!?」
図星の一言に、顔を上げた。ミサゴさんは膝を折っていて、わたしと目が合うと微笑んだ。そして、視線を砂浜のほうへ向ける。
砂の上に、人の形をしたなにかが二つ倒れている。その周りにはサギとカラスたちが集まって、上に飛び乗ったり、ツンツン
わたしはフンッとその光景から目をそらした。
「お嬢ちゃん怒らすとか。相当なことしたんやな?」
ミサゴさんはこちらへ向き直り、また優しい笑顔を浮かべてくれる。
思わず、目頭が熱くなった。
「そうなんですよ! ひどいんです、ひどすぎます! デリカシーの欠片もないんですよ、あんな鳥、最低です! もう知りませんっ!」
ミサゴさんは表情を崩さずに、首を傾げる。
「そんなにひどいことされたんか?」
「されました! ていうか、今日に限ったことじゃないんですよ! 毎日毎日、大変なんですから! トキはなに考えてるのかわかんなくて急に変なことするし、カーくんは鳥のくせにすっごく慣れ慣れしいし、トイレも冷蔵庫も掃除機も、全部一から使い方教えて、でも変な使い方して……。こっちは学校だってあるのに、もうっ、本当に、ホンットにっ、大変なんですからっ!」
その場で両手をブンブン振って、両足をバタバタ
「そうか。一人で全部抱えて、大変やったんやな?」
吐き出した愚痴を、ミサゴさんはそう言って、受け止めてくれる。
胸を、キュッと締まるような痛みが走る。わたしは膝の上に顔を埋めて、コクコクと何度も
「ごめんな、大変な時期に、顔見せられんで。これからは相談でも愚痴でも、なんでもワシに言うんや。一人で抱えとったら、毒になるからな?」
……ミサゴさん、優しすぎるっ。
今まで、鳥たちのことを相談できる相手なんて、カーくんのバイト先の店長さんくらいだった。でも店長さんは、カーくんが鳥だということはたぶん知らない。それにトキやカワセミくんのことも知らない。だから、こんなに愚痴を言えたのは初めて。
もう、あんな鳥たちじゃなくて、ミサゴさんが家に来てくれれば良かったのに……。
「けどな、お嬢ちゃん? カワセミから聞いたで?」
ミサゴさんはわたしに諭すように、話を続ける。
「あいつら、お嬢ちゃんのこと、大切に思うとるんやと」
その言葉に、わたしはハッと顔を上げた。
ミサゴさんは、また砂浜のほうを眺めていた。
「ヒトのこと、少しは知っとるみたいやけど、あいつらやってヒトの姿になったばかりなんや。まだまだ未熟で、わからんことも、勘違いすることも、たくさんあるやろ。それでも、お嬢ちゃんのこと大切に思うとる。想うとるからこそ、ヒトの姿になって、お嬢ちゃんのそばにおるんやないか?」
さっきとは違う思い出が、頭をよぎっていく。トキは悲しい時にそばにいてくれた。カーくんは毎日美味しいご飯を作ってくれる。わたしのために、みんなで協力して花壇も作ってくれた。毎日毎日、本当に楽しくて、一人で寂しかったわたしのそばに、うるさいくらい
わたしは……。
「し……知りませんっ!」
フンッと、再び顔を膝に埋めた。
まるで、あまのじゃくみたいだ。頭では、ミサゴさんの言うことはわかっている。さっきのことだって、きっと勘違い。トキもカーくんも、わざと言ったわけじゃないってわかっている。
けど……、でも! どーしてもっ! 許すなんて、素直に言えないっ!
「そんなこと言わんと。お嬢ちゃんやって、あいつらのこと気に入ったから、家に置いとるんやろ?」
「ち、違います。勝手に押しかけてきて、勝手に住み着いてるだけです。ていうか、好きな男子を連れ込んだみたいに言わないでくださいっ」
ミサゴさんの発言に、顔を上げず、身体を左右に振って否定する。
トキもカーくんもカワセミくんも、家に住み着いた鳥なんだ。同棲している恋人なんかじゃない。ペットと飼い主という関係でもない。あえて言うなら、シェアハウスしている人と鳥、かな? と、とにかくわたしは、彼らのことなんて……。
「好きやないんか?」
「す、好き、って……、そんなんじゃ、ないです……」
「ほんなら、嫌いなんか?」
「き、嫌いでも、ないですけど……もうっ、ミサゴさん、からかわないでくださいっ!」
途中から楽しそうに話し始めたミサゴさんに向かって、顔と声を上げる。けど、熱くなっている顔を見られたくなくて、すぐに
わたしは鳥が好きだ。好きだけど、別に彼らを異性として見ているわけじゃない。とはいえ人の姿だから、それっぽいことをされてドキッとすることはある。カーくんなんて距離が近いから、ドキドキしてしまう。
でも、結局のところ、彼らは人じゃなくて、鳥。それに……。
「わたしのタイプは、ミサゴさんみたいな人なんだから……」
優しくて、強くて、賢くて、格好良くて、それに鳥にも興味がある。こんな人が学校にいたら、たぶん人気者でわたしなんか手が出せないと思う。でも、いつかミサゴさんみたいな人と付き合って、バードウォッチングデートとかしたいな。そう、いつもミサゴさんと一緒にいながら、
「お嬢、ちゃん……?」
と、妄想していたら、歯切れの悪いミサゴさんの声が聞こえた。
顔を上げると、小さく口を開け、固まっているミサゴさんと目が合う。
「あっ!? ち、違うんです! 今のは、その、ミサゴさんが好きってわけじゃなくて、いえ、ミサゴさんのことは好きなんですけど、そそそ、そういう意味じゃなくて……」
顔から火が出そうな勢いで飛び上がり、取り繕うように両手を振る。
わたしのタイプはミサゴさんみたいな人だけど、ミサゴさんに対して告白とかお付き合いとか、そんなことは考えていなかった。ただ、憧れの人。こんな人と、いつか一緒になりたいなーと、ほんわか想像していただけ。ていうか、ミサゴさんだって、人じゃなくて鳥だったわけで……。
「あっ!?」
と、動揺していたら、不意に身体のバランスが崩れた。足を引こうと思ったら、岩の上で滑ってしまい、後ろへ傾く。踏ん張ることもできずに、海へと身体が引き寄せられる。
「危ない!」
ミサゴさんは立ち上がって、軍手をはめた手をわたしへと伸ばした。わたしも無意識に、手を伸ばす。
けど。
「っ!?」
あと、数センチ。一歩踏み出せば届くはずなのに、ミサゴさんは手を止め、虚空を
わたしの伸ばした手は、だれに触れることもなく、傾く身体は、そのまま海へ……。
「ななっ!」
その時、カワセミくんの声が聞こえた。と同時に、背中になにかが当たり、身体が止まる。カワセミくんがわたしの背中へ来て、身体を支えてくれた。
「んんん~っ!」
パタパタパタと翼を一生懸命羽ばたかせて、わたしの背中を押してくれる。斜めに傾いた身体が起き上がって、もとの岩の上へ立つことができた。
カワセミくんは背中から離れ、ホバリングしながらわたしの前へ来る。
「なな、ケガしてない?」
「うん、大丈夫だよ。ごめんね、特訓してるのに、邪魔しちゃって」
ミサゴさんと話している間も、カワセミくんはパシャパシャと水に飛び込んで、特訓をしていた。あれ、でも思い返せば、途中から水音が聞こえなかった気もするけど……。
「ううん。ボクもだいじょうぶだよ。だって、なながケガしたらイヤだから。ボク、ななのこと、まもりたかったの」
「カっ……、カワセミくんーっ! ありがとう~っ!」
こんなに小さなカワセミくんに守ってもらえて、わたしは幸せだよ! 思わずカワセミくんを抱きしめて、頭をナデナデしてしまう。カワセミくんは照れくさそうにしながら、わたしの胸に顔を埋めた。
「あっ」
でも、
ミサゴさんは立ったまま、さっき伸ばそうとしていた右手を見つめていた。
「ミサゴさん……?」
「ししょー……?」
ミサゴさんは、わたしとカワセミくんの声で顔を上げ、手の力を緩める。
「あぁ……、お嬢ちゃん、ケガしとらんか?」
「は、はい。大丈夫です」
「そうか……」
そう言って、ミサゴさんは微笑む。けれどもその笑みはさきほどまでとは違い、どこか悲しそう。
その顔を見て、わたしはミサゴさんと初めて出会った時のことを思い出した。
あの時もそうだった。ミサゴさんはわたしに触れようとして、手を握りしめていた。辛そうで、とっても悲しそうな顔をしていた。
「ミサゴさん、どうかしましたか?」
わたしはカワセミくんを抱いたまま、ミサゴさんへ半歩近づいた。
けれどもミサゴさんは、いつものように、半歩わたしから遠ざかる。
「いや……。さて! そろそろ、切り上げよか?」
そう言って、そわそわしながら、わざとらしく話を変えた。
カワセミくんも違和感を持ったのか、首を傾げて、わたしの顔を見上げる。
翼を広げたミサゴさんに向かって、わたしは声を掛けた。
「あの、ミサゴさん。今度は、ミサゴさんが話してくれませんか?」
岩から飛び立とうと膝を曲げたまま、ミサゴさんの動きが止まる。
「わたし、さっきミサゴさんに鳥たちのことを話せて、すごくスッキリしたんです。だから今度は、わたしがミサゴさんの話を聞きたいです。人の姿になったこととか、どうやって暮らしているのかとか。あと、悩みとかがあれば、わたし、聞きますよ?」
もう、鳥だと正体がわかったんだ。だからミサゴさんのこと、もっと知りたい。今まで以上に、もっと仲良くなれる気がする。それに、さっき愚痴を聞いてくれたお返しってわけじゃないけど、少しでもミサゴさんの助けになれれば、わたしはすごく嬉しいから。
「そうか……。そうやな……。そう、なるわな……」
ミサゴさんは独り言を
「ちゃんと話さな、あかんやろな……」
そう言って、身体をこちらへ向ける。目を閉じたまま、わたしと向き合う。
「ミサゴさん?」
「お嬢ちゃん……、ごめんな……」
「えっ? べ、別に謝ることなんて」
「いや、違うんや……」
ミサゴさんはゆっくりと目を開けた。
わたしはこの時、ミサゴさんの心の内にあるものを受け止める準備を、まったくできていなかった。
「ワシはお嬢ちゃんのこと、好きにはなれん」
鋭利な
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