6-09 ミサゴさんと、始まりの社

 わたしたちは服に着替えて、海のそばにある森の中の遊歩道を歩いていた。

 両端にはロープが張られ、下は落ち葉、上は木の葉に覆われている。ロープの奥には、太くて大きな木が何本も生えていた。

 浜辺とは違い、昼間でも薄暗い。姿の見えないセミや鳥の鳴き声が聞こえ、落ち葉を踏みしめる音が足もとから静かに響いていた。


『話さなあかんことがある。せやから場所、変えよか』


 海にいた時、ミサゴさんはそう言って、まずは着替えようと言い出した。わたしはというと、直前に言われた一言にショックを受けて、泣きそうになっていた。だからなにも言えずに、ミサゴさんに従った。


「お、おい、なな……?」

「…………」

「なな? 機嫌、直ったか?」

「…………」


 ちなみに、倒れていた鳥たちはカワセミくんが起こしにいったらしい。服に着替えて、金魚のフンのごとく、後ろにくっついてくる。


「なな、だいじょうぶ?」

「あっ、うん。大丈夫だよ。なんでもない」


 手を繋いで歩いているカワセミくんが、心配そうにわたしの顔をうかがった。わたしは笑顔を作ってうなずく。でも内心は、全然大丈夫じゃない。

 ミサゴさんに言われたことを思い出す。どうしてわたしのこと、好きになれないんだろう。もしかして、嫌っていたのかな。無理に合わせていたのかな。いやでも、わたしの口走った言葉を告白と勘違いして、断っただけなのかも。でも、そうだとしても、どうしてあんな言葉……?

 疑問や不安が、次々に頭の中をき回していく。


「なな、なんでカワセミにだけ返事して、オレたちにはなんも言ってくれねぇんだよ?」

「完全に無視をされているな……」

「ったく、テメェが変な話振るからだぞ!」

「話を膨らませたのは、カラスだろう」

「うるさい……」

「「ひっ!?」」


 口から言葉がれて、小さな悲鳴が響いた。それから、後ろの雑音が聞こえなくなる。

 前を歩くミサゴさんは、なにも言わない。こちらにも振り向かない。声も掛けられず、わたしはただ、ミサゴさんの背中を、揺れる翼を、見続けることしかできなかった。


 すると、急に上から光が差し込んで、開けた場所へ出た。ミサゴさんの前に、大きな建物の側面が見える。あれは……。


「神社?」


 わたしたちは建物の横を通って、正面へ回った。狛犬こまいぬが座っていて、入り口には賽銭さいせん箱やつるされた鈴がある。社は黒いかわらで、荘厳としたたたずまい。ただの森だと思っていたけど、ここ、神社だったんだ。


「ここはな、今も町内で大事にされとるお社なんや。毎年、夏に祭りもあるんや」


 ミサゴさんはこちらへ振り向かずに、まるで独り言のように話をした。神社の前へ行き、手を合わせる。


「そうなんですね」


 わたしはそれくらいしか言えず、ミサゴさんの隣へ行って手を合わせた。カワセミくんもわたしを真似まねて、両手の平を合わせる。

 お願いすることなんて、思いつかなかった。でも、目を閉じてゆっくりと息を吐くと、ざわついていた気持ちが少しだけ穏やかになった気がした。

 目を開けて、手を下ろす。それを見計らったように、隣にいたミサゴさんはきびすを返して歩き出す。


「ここにはな、海を見守る女神様がまつられとるんやと。それで、言い伝えが残されとるんや」

「言い伝え?」


 神社の横に立っている案内板の前へ行く。手作り感のある木の板に、手書きの文字が書かれていた。色あせていて、なんて書かれているかわからない部分もあるけれど、ミサゴさんはそれを見ながら説明してくれる。


「昔、この神社の近くに、ひとりの神様が落ちてきたそうや。天におった神様やけど、少し悪いことしたらしくてな。その罰で、下界に落とされたんやと。それを見たここの女神様が、その神様を助けて、このお社に置いてあげたそうや。


 しばらくして、天からの許しが来て、神様はまた戻ることになった。けれどもその頃になると、神様と女神様は恋に落ちとったんや。できれば離れたくない。けど、神様やって天で任せられとる役割がある。だから、女神様は神様について、上へ昇っていったらしい。


 けどな、それから神社の周りの村では、よう水害が起きるようになった。波が荒れて、魚が捕れん。船も流される。あげくに津波まで来たそうや。村の人たちは困り果てて、お社の前で、戻ってきてほしいてお願いしたそうや。


 それを聞いた女神様は、心痛めて、またこの場所に戻ることにした。神様を天に残して、ひとりで戻ることにしたんやと。すると、海はまた穏やかになって、水害も起きんくなった。村人たちも、たいそう喜んだそうや」


 案内板から目を離し、ミサゴさんは後ろを向く。神社の正面が向いている先には鳥居があって、そのさらに先には海が見えた。


「さっき、夏にここで祭りがある言うたやろ。そん時の夜に、舟を一そう、海へ流すんや。そこには女神様が乗っとって、年に一度だけ、天から降りてきた神様と逢引あいびきをする。村を守ってくれた優しい女神様のために、今でも続けられとる大切なお祭りなんやと」


 わたしたちは鳥居のそばまでやってきた。鳥居自体は地面の上に建てられているけど、そこから十歩ほど歩けば、もうそこは海。波打ち際は小石がたくさん転がっていて、穏やかに波が打ち寄せている。


「そんな素敵なお祭りがあったんですね。知らなかったです……」


 わたしは月並みの感想を、ミサゴさんの背中に投げかける。

 ミサゴさんはなにも言わずに、波打ち際まで歩を進めた。こちらに背を向けて、海と向かい合う。

 なにを思っているんだろう。話したいことって、この神社のことではなさそう。やっぱり、わたしのことを好きになれない理由だろうか。そう考えるとまた、心の隅にトゲの刺さるような痛みが走る。


「ここはな、ワシがヒトの姿に変化へんげした場所なんや」


 ミサゴさんの言葉に、わたしはハッと目の焦点を合わせた。

 ミサゴさんが振り返る。身体の正面をわたしに向けて、ようやく目を合わせてくれた。


「お嬢ちゃん、さっき言うとったな? なんでワシがヒトの姿になったか、聞きたいて?」

「はい」


 顔を見つめながら、頷く。

 ミサゴさんは、優しく、でもどこか悲しげなひとみをわたしへ向けていた。なにかを心に決めたように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「わかった。けど、今から話すことは、正直、あんまり楽しい話やない。それでもええか?」

「はい」


 内心では、わたしの話じゃないんだと、取り越し苦労に安堵あんどしている自分がいた。ミサゴさんのことをもっと知ることができると、好奇心がうずいている自分がいた。なにか秘密を打ち明けてくれる、頼ってもらえたのかなと、喜んでいる自分がいた。


「聞きます。ミサゴさんの話、ちゃんと聞きます!」


 気持ちが声に出て、わたしは鳥居から五歩ほど、ミサゴさんのそばへ行く。

 背後はもう海だから、ミサゴさんはわたしが近づいても身を引かなかった。ただ、わたしを見つめながら、ゆっくりと目を閉じる。


「そうか……。もしも途中で嫌になったら、耳ふさいでも構わんからな?」


 わたしのことを気遣う、優しすぎる言葉。

 わたしは、絶対に聞きますという意を込めて、首を大きく横に振った。ミサゴさんには見えていないけど。


「ししょー? ボクも、ししょーのはなし、きいていいの?」


 と、手を繋いでいるカワセミくんが、首を傾げて声を上げた。

 ミサゴさんは目を開けて、膝を折り曲げ、カワセミくんと視線を合わせる。


「聞きたいか?」

「うん! ししょーのこと、もっとしりたい!」

「そうか。聞いても聞かんでもどっちでもええ。少しは、反面の手本になるかもしれんからな」


 そう言って立ち上がり、わたしの肩越しへと目をやった。

 振り返ると、トキとカーくんがそれぞれ鳥居の柱に背を預けていた。どちらも口を出さず、というか出せないのか、所在なさげに目を泳がせている。

 わたしは前へ向き直る。ミサゴさんは肩をすくめて、小さく笑っていた。

 それから、後ろを向いて、海を見ながら話を始める。


「あれは、今から三年前の夏のことやった――」


 見えない表情を見つめながら、わたしはミサゴさんの話に耳を傾けた。

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