6-06 海と、弾ける羞恥心

「ななーっ!! 遊ぼうぜーっ!!」

「きゃぁあっ!?」


 騒がしい声とともに、背中に重みがかかる。待っていましたとばかりにカーくんが猛ダッシュでやってきて、わたしの背中に飛びついてきた。


「よくわかんねぇことクドクド話しやがって……。やっとななから離れやがった……」


 どうやら、ミサゴさんがいなくなったタイミングを見計らって来たみたい。ブツブツと愚痴を言う声が聞こえた。でも、すぐにまた甘えた声を出す。


「ななー? 早く遊ぼうぜー? あーそーぼーぜー?」

「ちょっ、ちょっとカーくん、やめてよ!」


 お腹をキュッと抱きしめて、身体をユラユラ揺らしてくる。いつもされることだけど、今日は水着。肌と肌が直接触れて、こそばゆい。


「ん? なんだこれ?」


 と、カーくんの動きが止まる。肩にカーくんの額が当たり、背中に柔らかさが伝わる。

 ヒヤッとして、首を動かし、後ろを見た。

 カーくんの口もとには、ピンクのひもがくわえられていた。それは、首の後ろで蝶々ちょうちょ結びにした、ビキニの紐の片方で……。


「いやあぁあああああああっ!?」


 わたしは自分の両肩を強くつかみ、カーくんを振り払って離れた。


「な、なな? どうしたんだよ?」

「カーくんダメっ! 引っ張らないでよ、このカラスっ!」


 カーくんは自分がなにをしたのかわかっていないらしく、目を点にしている。

 一方のわたしは、つい口調荒く、金切り声を上げてしまう。カーくんに背中を向け、解けそうになった首の紐を結び直す。気になる物があると、すぐにつついたり引っ張ったりするのは、カーくんの悪い癖。これだからカラスは……。


「わりぃわりぃ。だって、なながそんな服着るの、初めて見たからさ?」


 カーくんは悪びれる様子もなく、頭をきながら謝った。

 わたしは大きくため息を吐いて、気持ちを落ち着かせる。


「もう……。この水着、きわどいんだから、触らないでよね?」

「はーい」


 注意すると、素直な返事がきた。ミサゴさんが遠くへ行ってしまったからか、いつもの調子に戻ったみたいだ。

 ちなみにカーくんは、真っ黒で、膝上丈の短パンみたいな水着をはいている。もとから少し色黒で、引き締まった身体。筋肉が盛り上がってムキムキというわけじゃないけど、カーくんって細マッチョだったんだ。


「あれ? ところでトキは? 一緒に着替えてたんじゃないの?」


 わたしは辺りを見回しながらいた。一緒に森の近くの岩陰へ着替えに行ったはず。でも、トキの姿が見えない。


「ああー、アイツは……。まぁ、そんなことより、早く遊ぼうぜ? 邪魔者がいない今のうちに、ふたりきりで! な?」


 カーくんはわたしの手を取り、駆け出そうとする。どうやらミサゴさんがいないうちに、のびのびと遊びたいみたい。それでもわたしは、やっぱりトキが気になる。


「ま、待ってよカーくん? トキは、」


 どこにいるの? もう一度訊こうとした、その時。


「おい、カラス……」


 前方から、声が聞こえた。カーくんのちょうど真後ろに、いつの間にかトキが立っていた。


「なんだよ、もう来たのか? あれだけ『無理だ無理だ』言ってたくせに……」


 カーくんがまゆをひそめ、トキのほうへ振り向く。

 トキは、白色で、カーくんと同じ膝上丈の水着をはいていた。でも、様子がおかしい。右手で左肩を、左手で右肩をギュッと掴んで、身体の正面をこちらへ向けまいとひねっている。顔は赤く染まっていて、うるんだ目でカーくんをにらみつける。


「俺の服を、どこに隠した!!」


 冠羽かんうをピンッと逆立てて、感情をき出すトキ。

 わたしはその姿に、身を一歩引く。


「知らねぇよ。つーかテメェ、服あったらすぐに着替えるだろ?」

「当たり前だ! な、なぜ、俺が、こんな……無防備な……」

「ヒトの服はこんなもんなんだよ。恥ずかしいなら、出てこなきゃいいだろ」

「恥ずかしいわけではない! 身の危険を感じるだけだ!」

「だったら森の中でずっと隠れてろ! オレとななの邪魔すんな!」

「こんな姿で森にいて、獣に襲われたらどうする!?」

「ストップ、ストップ! ケンカしないで!」


 わたしはいがみ合う二羽の間に割って入った。ため息を一つして、まずはカーくんのほうへ向く。


「カーくん? トキの服、隠したの?」

「し、知らねぇよ。風で飛ばされて、木の上にでも引っ掛かってんじゃねぇか?」

「本当?」

「うっ……。だ、だってコイツ、水着になってすぐに『無理だ着替える』って言い出すんだぜ? せ、せっかくあの猛禽もうきんが用意してくれたのによ……。着ないと……も、もったいない、だろ……?」


 目を泳がせながらカーくんが言う。どうやらトキに水着を着せたままにさせるため、服を隠したらしい。トキにも海水浴を楽しんでほしかったのかな。いやでも、さっき「森の中でずっと隠れてろ」って言っていたよね……?

 疑問はあるけど、カーくんの言っていることは一理ある。せっかくミサゴさんが用意してくれた水着なんだ。ここで海水浴を楽しまないのはもったいない。

 わたしは、トキのほうへ顔を向ける。


「トキ、これは水着で、海とかプールとか、水の中で遊ぶために着る服なんです。トキの水着姿だって、そんなに変じゃないですよ?」


 そう言って、足もとからトキの姿を見ていく。華奢きゃしゃな足に、くびれたお腹、ほっそりとした腕。足環の首飾りの下には、彫りの深い鎖骨が見える。色白の身体は、全体的に細い、というより、ちょっと心配になるくらい、ひょろい……。

 そして、真っ赤な顔と目が合う。


「な、なな!? やめろ! 今の俺を見るな! そんな目で見るな!?」


 そう叫び、ギュッと自分の身体を抱いて、肩を上げて縮こまる。絶対に恥ずかしがっているよね。まるで上の水着を波に流されて、パニクっている女子みたいだ。


「だから、変じゃないですから。というか、トキ、鳥の時は服なんて着てなかったじゃないですか?」

「違う! 鳥とヒトは、明らかに違う! 鳥の時は羽毛があった! 足にはうろこもあった! 顔以外、ほとんど肌は隠れていた! それなのに、ヒトはどうして肌がほとんど露出しているんだ! おかしいと思ったことはないのか! ネコもイヌも毛で覆われているが、ヒトだけどうして――!」


 いつになく饒舌じょうぜつなトキが熱弁を繰り広げる。

 その姿に、わたしとカーくんは身を三歩引いた。


「ねぇカーくん? 鳥って、人のことそんな風に思ってるの……?」

「いや、たぶんコイツだけだと思うぜ……?」


 カーくんやカワセミくん、ミサゴさんだって、なんの抵抗もなく水着に着替えていたんだ。気にしているのは、トキだけ。わたしも、人生初めてのビキニで恥ずかしいと思ったけど、トキの様子はさすがに……引く。


「うっ……!?」


 するとその時、潮風が吹いてきた。涼しい風が、わたしとカーくんの髪を揺らす。一方で、トキは身震いをして、ガクリとその場で膝を折った。


「さ、寒い……」


 顔は火照って赤くなっているのに、身体はブルブルと震えている。肌が露出していたら、直に風が当たっちゃうからね。ひょろい身体は、少しの風にも耐えられないみたい。


「ねぇカーくん、トキに服、返してあげてよ? このままだとトキ、おかしくなりそう……」

「もうおかしくなってるだろ……。こんなヤツほっといて、オレたちだけで遊ぼうぜ?」


 そう言って、カーくんは再びわたしの手を取る。わたしを引っ張って海のほうへと駆け出そうとした。

 けど。


 ガシッ!!


 カーくんの片足を、トキの片手が掴んだ。


「待て……、カラス……」


 膝を砂に着けたまま、トキが顔を上げる。半目で見上げるひとみの奥には、感情が何周か回った後の深いやみが見えた、気がした。


「服を、返せ……。いい加減にしないと、俺は……、本気でお前を……」


 精一杯の力で足を掴んでいるのか、伸ばした腕がかすかに震えている。

 一方のカーくんは、なにも言わずにわたしから手を離した。

 その手で拳を作り、プツンとなにかが切れたようにトキのほうへ振り返る。


「う・る・せ・え・な! わかったよ!!」


 言うや否や、トキの手を足から振りほどく。とすぐに、肩へと掴みかかり、そのまま砂の上へ身体を押し倒した。仰向けに倒れるトキの上に、カーくんは馬乗りになる。そして、トキの顔を真上から見下ろし、口角を上げた。


「そんなに寒いなら、オレがあったかくしてやるよ?」

「なっ!?」


 トキの赤かった顔が、一瞬で青ざめる。

 次の瞬間、二羽の周りでドタバタと砂埃すなぼこりが巻き上がり始めた。


「か、カラス!? やっ、やめろ!?」

「動くんじゃねぇっ! おとなしくしてろっ!!」


 抵抗するトキの悲鳴と、それをあざ笑うカーくんの怒声が聞こえる。

 わたしはその光景から目をそらし、身を五歩ドン引いた。

 しばらくすると、砂埃が収まる。


「完成したぜっ!」


 目の前に現れたのは、大きな砂山。その端には、トキの顔が出ている。どうやら、トキを砂に埋めたみたい。

 カーくんはパンパンと手に付いた砂を払う。砂山の真ん中に片足を乗せて、得意げにトキの顔を見下ろした。


「どうだ? これで肌は見えねぇし、あったかくなっただろぉ?」

「くっ……、う、動けん……」


 トキは首を左右に動かして、苦しそうにつぶやく。わたしはソロソロと、離れたところから様子をうかがった。


「トキ……、大丈、あっ」


 けど、大丈夫か尋ねる前に、またカーくんがわたしの手を握る。


「なな、コイツは砂と仲良くしたいんだってさ? オレたちは、邪魔しないように向こうで遊んでようぜ!」

「えっ? あっ、ちょっと?」


 カーくんは今度こそ、わたしを引っ張って走り出す。


「お、おい待て、カラ、」

「夏だ! 海だ! ななと海水浴だーっ!!」


 波の音とカーくんの歓声に、後ろからの声が掻き消される。

 砂に埋まったトキを尻目しりめに、わたしたちは海へと駆けて行った。

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