6-05 海と、ヒラヒラパタパタ

 胸全体を覆い隠すように三段のヒラヒラフリルが付いた、淡い桃色のブラ。肩紐かたひもではなく首に結わえるタイプで、うなじの下で蝶々ちょうちょ結びが揺れている。パンツのほうは、同じく淡い桃色で、花柄があしらわれている。これまた両サイドが細い紐で、蝶々結びが頼りない。

 わたしは今、人生初のビキニを着ていた。


「こ、こんな水着……、初めてなんだけど……」


 水着なんて、小学校の水泳の時以来。スクール水着しか着たことなく、ましてやビキニを自分が着るなんて思ってもいなかった。お腹も背中も、丸見え。恥ずかしい。すごく恥ずかしい……。

 そんなことを思いながら、脇腹わきばらつかみ、お腹を隠しつつ浜辺に戻ってきた。


「あっ、ななー! ヒラヒラしてる!」

「おぅ、お嬢ちゃん、えらい似合っとるな?」


 浜辺には、同じく水着に着替えたカワセミくんとミサゴさんがいた。

 カワセミくんは、以前わたしがホームセンターで買ってきた水色の海パンをはいている。わたしの家に寄って、取ってきたのかな。

 ミサゴさんは、バンダナと軍手は着けたまま、波のような白い縦ラインの入った黒の水着をはいていた。くるぶしの上まで長さがあって、ぴったりと肌にフィットしている。競技用の水着かな。

 そこも気になるけど、今、わたしが一番きたいのは……。


「み、ミサゴさん! な、なんですかこの水着!?」

「なにぃて? 水着は水着やろ?」

「それはわかってますけど、なんでこんな、だ、大胆な……」

「お嬢ちゃんくらいの年やったら、それくらい普通やろ? カワセミと一緒に、服屋でめっちゃ悩んでうたんやからな?」

「うん! ボクがえらんだんだよ! ヒラヒラしてたから!」


 カワセミくんが、下心のない純粋な目でわたしを見る。カワセミくんが選んでくれて、ミサゴさんが買ってくれた水着。サプライズプレゼントに、文句は言いたくない。

 けど、でも……。


「恥ずかしがらんでも、大丈夫や。お嬢ちゃん、スレンダーやし、可愛かわいいんやから」

「っ!?」

「なぁ? カワセミ?」

「うん! なな、すっごくかわいいよ!」

「~~~っ」


 二羽の言葉に、顔が熱くなる。自分が鳥に向かって「可愛い可愛い」と連呼することはある。けど、自分が鳥に、ていうか人を含めて「可愛い」なんて言われたの、初めてかも。


「そ、そもそもミサゴさん、なんでわたしの服のサイズ知ってるんですか……?」


 わたしは横目でジトッとミサゴさんを見つめながら訊いた。

 この水着、上下ともピッタリのサイズだった。もちろんわたしは、なにも教えていない。


「それは……長い付き合いやから、にしとこか?」


 そう言って、ミサゴさんはいたずらっぽく微笑む。あまりにさわやかな笑顔で、胸がドキッとする。追求する気持ちが引っ込んでしまう。ただただ、わたしは唇を結んでほおを膨らませた。

 ミサゴさんはパンッと手をたたいて、話を切り替える。


「ほな、そろそろ特訓、始めよか?」

「はいっ!」


 カワセミくんはビシッと背筋を伸ばして、返事をした。二羽の背中から翼がフワリと現れて、準備運動をするようにその場でバサバサと羽ばたく。


「ところでミサゴさん、特訓ってどんなことやるんですか?」


 わたしも水着のことはもうあきらめて、気になっていたことを訊いてみた。


「まずは、基礎から教えて、それから実践や」

「基礎、ですか?」

「そうや。狩りの前に、まずは飛び方の基礎から教えよう思うてな。まずは、お嬢ちゃんがいつもやっとるアレをやろか?」


 そう言うと、どこからともなく黒板と指差し棒が現れる。


「これって、まさか!?」

「そうや! ここで突然の『鳥レクチャー』やっ!」


 指差し棒を持ったミサゴさんが、黒板をビシッと叩く。黒板に書かれているのは、今日のテーマ『ミサゴさんの飛び方講座!』。


「多くの鳥にとって、『飛ぶ』ちゅうことは生きる上で必要不可欠なことや。上手く飛べんと、上手く狩りもできん。まぁ、中にはダチョウとかキウイとか、飛ばん鳥もおるけど。今回は、ワシやカワセミみたいな鳥が、どうやって空を飛ぶか教えるからな?」


 まさかここで、ミサゴさんの鳥レクを聴けるなんて! もはや海でも水着でも関係ない。砂浜の上に正座をして、カワセミくんを膝の上に乗せて、始まるよ!


「まずは、飛ぶために一番大事な翼の構造からや。翼ちゅうんは、前肢――ヒトでいう腕についた羽毛が、大きく特殊な形になって、飛ぶことに適応した器官や。翼の羽は、大きく分けて三種類――『風切羽かざきりばね』と『雨覆羽あまおおいばね』、あと『小翼羽しょうよくう』ちゅうのがある」


 そう言うと、ミサゴさんはわたしたちに背を向けて、右手側の翼を大きく広げた。右手で指差し棒を持って、位置を教えてくれる。


「まず風切羽ちゅうのは、腕から翼の外側へ向かって生えとる太くて大きな羽や。手の先のほうから生えて、緩やかなカーブを描いとる部分が『初列風切しょれつかざきり』、真ん中辺りから体寄りの、横に真っ直ぐ並んどる部分が『次列風切じれつかざきり』、そして脇のほうに『三列風切さんれつかざきり』と三種類に分かれとる」


 外側から身体に向かって、羽先をでるようにして指差し棒の先端が動く。つまり、鳥の体から遠い順に、初列風切・次列風切・三列風切となっている。


「で、この風切羽に覆い被さるようにして、雨覆羽が重なっとるんや。雨覆羽も、初列とか大・中・小とかあるけど、今日は省略な。あと、前肢の先――ヒトでいう指先部分にちょこっとあるのが、小翼羽や」


 ミサゴさんは左手に指差し棒を持ち替えて、雨覆羽と小翼羽の部分を指差そうとする。背中にある翼を指そうとしているから、体勢が辛そう。

 ちなみにわたしは、本や図鑑で見ているから、翼の名称くらい覚えている。

 一通り指し示すと、ミサゴさんは翼を閉じて、身体をこちらへと向けた。


「ところでお嬢ちゃん? この翼で、鳥がどうやって空を飛べるか、わかるか?」

「えっ!? なんか、こうパタパタして……?」


 唐突な質問に、わたしは自分の両手を上下に振りながら答えた。


「パタパタはするんやけど……。空を飛ぶためには、『揚力』が重要なんや」

「ようりょく……?」

「揚力ちゅうのは、流体の中を動く物体に対して、その運動方向に垂直上向きで作用する力……まぁ、簡単にいうと、物体を持ち上げる力や。鳥の翼は、この揚力を生み出すように形ができとる。翼の断面を見ると、進む前側のほうが分厚くて、後ろの羽先のほうが細くなっとる。それに、上側のほうは緩くカーブがかかっとるんや」


 いつの間にか黒板に書かれた翼の断面図を指差しながら、ミサゴさんは説明する。この形、簡単にイメージするなら、スプーンのすくう部分をひっくり返して、横から見た感じだろうか。


「で、鳥が飛ぶと、空気は翼の前側に当たって、上と下へ分かれて流れていく。この時、翼の下よりも上を流れる空気のスピードが速くなるんや。そうすると、翼の上側の圧力が下側の圧力よりも低くなる。それで、翼は下から上へ押し上げられて体が浮く、ちゅう仕組みなんや……ん?」


 ようりょく、りゅうたい、あつりょく……。生物は得意だけれども、残念ながら物理はまったくダメ……。心が折れて、涙が出そうになるのを必死でこらえる。

 膝の上に座るカワセミくんも、口をポカーンと開けてフリーズしていた。


「ちょっと難しかったか? まぁ、ようは空気の中を、ええ角度で鳥の翼が移動すれば、揚力が発生して、自然と鳥は浮くことができるんや。ちなみにこれは、ヒトの作った飛行機も同じ原理なんや」


 なるほど……。鳥の翼も飛行機の翼も、とにかく前へ進めば、その揚力とかが発生して浮くらしい。すごいと思いつつも、よくわからず、わたしは手を上げて質問した。


「ミサゴさん、でも、浮くためには前に進んでないといけないんですよね? 浮く前に、どうやって前へ進むんですか?」


 例えば、風の強い日なんかは、カモメが翼を広げただけでフワリと空に舞い上がるところを見ることもある。けれども風がない日は、翼を広げただけだと、空を飛べないんじゃないかな。


「そうやな。空気が止まっとる場合は、揚力を生み出すために、まず自分が前に進まんといかん。例えばジェット機やったら、ジェットエンジン使って、勢いよく前へ進むやろ? 鳥の場合は、羽ばたくことで前へ進む『推進力』を得とるんや」

「あっ、なるほど! ここでパタパタが出てくるんですね」


 合点がいって、思わず両手を叩いた。そうだ、鳥って、飛び立った最初はパタパタと羽ばたいて、それから翼を動かさずに、スーッと風に乗って飛んでいる。


「そうや。羽ばたくことで生まれる推進力と、進むことで生まれる揚力。この二つを使って、鳥は空を飛ぶことができるんや。そして、翼の羽には、それぞれ飛ぶ時に役割がある。初列風切はおもに羽ばたきの推進力を、次列風切はおもに揚力を生み出しとるらしい」


 言われてみると確かに、鳥が羽ばたく時、パタパタと上下に大きく動いているのは初列風切の部分だ。あそこで空気を押して、前へ進んでいるんだろう。そして、スーッと風に乗っている時は、真っ直ぐ横に並んだ次列風切が空気を掴んでいそう。


「他にも、小翼羽は、減速する時に急な失速を防ぐため、開いて空気の流れを整える役割がある。飛行機でいうスラットみたいなもんやな。あと翼やないけど、尾羽も大事や。広げたり閉じたりすることで、バランスや飛ぶ方向を調整する。いわば、操縦かんみたいな役割やな」


 鳥が着地する時、翼を起こしながら小翼羽をピュッと出していることがある。尾羽だって、開いたり閉じたり、早すぎてよく見えないけど、すごく動いている。


「へぇー。鳥の翼って、すごいんですね! 知らなかった……」


 ありきたりで単純な感想だけど、思わず声が漏れた。どうりで、人がただ腕に板を付けてパタパタしても飛べないわけだ。やっぱり鳥ってすごい! そして、こんなに詳しいことを知っているミサゴさんは、もっとすごい!


「って、これ全部、お嬢ちゃんが貸してくれた本に書いてあったことやけどな?」

「えっ? そ、そうでしたか……?」


 勉強熱心なミサゴさんに、鳥の本を貸したことは何度かある。もちろんわたしも読んでいたけど、覚えていない。写真のところばっかり見て、難しそうなところは読み飛ばしているからかな。


「まぁ、ここまで話しといてあれやけど、実際は理論を知らんでも、身体で覚えて飛ぶことはできる。ワシやって、鳥の時はなんも知らんでも飛べとったんや。カワセミも退屈しとるし、そろそろ実践に行こか?」


 わたしに抱かれたカワセミくんは、ふわぁっと大きな欠伸をしていた。目もこすって、眠たそうだ。でも、ミサゴさんが呼ぶと、ピクッと反応して顔を上に向ける。


「とっくん、するの?」

「あぁ。今日は、翼の動かし方を意識してやってみような? 飛び方が上手くなれば、狩りも上手くできるようなるかもしれん」

「はいっ!」


 カワセミくんはわたしの膝の上から立ち上がって、大きく返事をした。


「ほんなら、ワシらはあの岩場辺りにおるわ。お嬢ちゃんのこと、頼んだで?」


 ミサゴさんはわたしから視線をそらして、なぜか森のほうを見ながら言った。

 わたしは立ち上がり、カワセミくんの肩に手を置いて、ミサゴさんに軽く頭を下げる。


「ミサゴさん、カワセミくんのことよろしくお願いします。カワセミくん、頑張ってね?」

「うん! ボク、がんばってくるから! ななたちも、がんばってね!」

「ん? う、うん?」


 カワセミくんの言葉に、疑問符を浮かべながらうなずいた。わたしはなにを頑張ればいいんだろう。カワセミくんの応援かな。

 考えているうちに、ミサゴさんとカワセミくんは飛び立って、離れたところにある岩場へ行ってしまった。ぽつんと一人、砂浜に取り残される。

 あれ、そういえば、着替えるって言ってから、戻ってこない鳥がいるんだけど……。

 と思った、その時。


「ななーっ!!」


 騒がしい声が、背後から響いた。

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