5-08 レッツ、バードウォッチング! ~「見る人、見られる鳥」編~

「トキ……?」


 トキは、ずっと部屋の隅に立ったまま。わたしの声にも気がつかないようで、無表情に景色を見つめている。ここに来てから、まったくなにも、話していない。


「カワセミくん、双眼鏡、いい?」

「うん。はい、なな?」

「ありがと」


 カワセミくんから双眼鏡を返してもらって、わたしはトキのそばへ行った。


「トキ、なにかいました? 良かったら使ってみませんか、双眼鏡?」


 そう言って、トキの前へ双眼鏡を差し出した。

 トキはわたしをちらと見て、また窓の外へ視線を向ける。


「いや……、いい……」


 どこか暗い声に、わたしは首を傾げた。どうしたんだろう。なんだか、元気がない。


「もしかして、トキは見るよりも、見られるほうが性に合ってますか?」


 楽しんでほしくて、冗談交じりに肩をすくめて言った。さっきからわたしは、鳥にバードウォッチングを教えている。鳥が鳥を見ているって、なんだか不思議な光景だなって、自分で思っていた。


「わたし、もう一度でいいから、鳥のトキの姿、見てみたいんですよね。初めて会った時は、暗くて、あんまり観察できなかったじゃないですか? だから今度は、双眼鏡でじっくり見てみたいんです。こんなふうに……」


 言いながら、トキから三歩ほど離れる。冗談半分に、双眼鏡を目に当て、レンズをトキに向けた。

 その瞬間。


「やめろっ!!」


 トキの声が、建物の中に響いた。


「えっ」


 ビクッと身体が震える。

 双眼鏡を目から離すと、冠羽かんうを立てたトキが、わたしをにらんでいた。けど、目が合うとすぐに顔を伏せ、前髪が表情を隠す。

 にぎやかだった辺りが、しんと静まり返った。


「テメェ、なんだ今の! ななに謝れ!」


 最初に静寂を破ったのは、カーくん。わたしの横を通り過ぎ、トキの胸ぐらにつかみかかる。トキは抵抗しない。わたしは慌てて、二羽の間に入った。


「カーくん、ダメっ。こんなところでケンカしないで」


 カーくんの手を掴み、トキから引き離す。

 その時、トキの手に目が行った。ぎゅっと握られた手が、小刻みに震えている。息づかいも、わたしの耳に届くくらい、早くて荒い。


「トキ? 大丈、」

「少し、風に当たってくる」


 わたしがくよりも先に、トキは横を通り過ぎて、階段を降りていく。


「おい、待て!」

「カーくん、だからダメだって」


 追いかけようとするカーくんを止める。

 その間に、トキは靴を履き替えて、外へ出てしまった。


「なな、だいじょうぶ?」


 後ろからカワセミくんが、そっとわたしに抱きついてきた。不安そうに、こちらを見上げる。


「うん。わたしは大丈夫だよ……」


 カワセミくんをでながら、トキがいなくなった階下を見つめる。


「ったく、なんなんだよ、アイツ」


 カーくんが、階段の下を睨みながらぼやいた。

 さっきのトキの様子を思い出す。

 あんなトキの声、初めて聞いた。あんな表情も、初めて見た。


「ねぇ、カーくん。これで、わたしのこと見てみて?」

「ん? いいけど。こうか?」


 わたしは双眼鏡をカーくんへ渡す。カーくんは、さっきわたしがやったように、三歩離れて双眼鏡を覗いた。

 わたしに向けられた二つの対物レンズ。黒く丸い、大きな二つのレンズが、こちらを凝視している。


「うぅ~ん……、あんまり気持ちいい感じじゃないね……」

「そうか? 別に、中からなんか飛び出してくるわけじゃねぇんだろ? 見てるだけなら、オレはあんまり気にならねぇけどな」


 カーくんは目から双眼鏡を離して、くるりと回転させ、自分にレンズを向けてみる。それから、ふざけてカワセミくんにも向けた。カワセミくんは、怖いというよりも、恥ずかしげにわたしの後ろへ身体を隠す。

 カーくんから双眼鏡を返してもらって、わたしは話を始める。


「鳥って、種類によって程度は違うけど、近づきすぎるとストレスを与えることもあるんだよね……」


 わたしの見ている鳥は、あくまで野鳥。ペットの鳥とは違う、野生動物だ。

 野鳥の中には、カラスやスズメやツバメといった、人の生活を利用して、人と距離が近い鳥もいる。一方で、警戒心の強い鳥も、もちろんたくさんいる。


「例えば、珍しい迷鳥がいるところに、大勢の人が押し寄せたり、子育てしている巣に人が近づきすぎて、親鳥が巣を放棄したり……。そういうこと、問題になったりしてるの……」


 鳥を観察していると、もっと珍しい鳥に会いたいとか、珍しい行動を観察したいとか思うこともある。カメラがあれば、きれいな写真を撮りたくもなる。わたしだって思う。

 でも、鳥にしてみれば、たくさんの大きな生き物がズカズカと近づいてきたら、警戒と恐怖以外なにものでもないだろう。


「もちろん、人側のマナーの問題でもあるけどね。ちゃんと調べて、鳥との距離感を保って、周囲にも気を遣って、静かに観察すればいいんだけど。でも、なかにはマナーを理解していない人も、いないとは言えないみたいなの……」


 そう言うわたしだって、バードウォッチングを始めた頃は、何度も失敗した。他人の敷地に入っちゃったり、ひな鳥持って帰っちゃったり……。人や鳥に、迷惑を掛けてしまったこともあった。でも、注意されながら、後悔しながら、自分で調べて、鳥たちとの付き合い方を少しずつ学んでいった。


「なな……。別にオレは、双眼鏡向けられたり、ヒトに取り囲まれたりなんかされなかったけどな。食べ物あさってる時に、追い払われたことはあるけど」

「うぅ~ん……。カラスは、野鳥だけど特殊というか、異色な感じだからね……」


 カーくんのフォローに、苦笑いで答えてしまう。鳥には気を遣いたいと言いながら、カラスにはあんまり気を遣っていないんだよね。もちろん、カラスだって野鳥なんだから、どうでもいいってわけじゃないんだけど。そこを考え始めると、ややこしくなるから置いておいて。


「でも、トキは……」


 わたしは、もう一度、静かな階段の下を見つめる。

 トキは、生息している場所が限られているし、知名度も高い鳥だ。そのうえ、きれいで大きくて目立つ。鳥のことに詳しくない人でも、珍しい鳥だってわかるだろう。

 そんな鳥が、一羽で、普段は見られない場所に降り立ったら……。どうなるかは、なんとなく想像できる。


「なな……?」


 黙ったわたしを、カーくんが心配そうに覗き込む。

 わたしは首を横に振って、視線を上げた。


「カーくん、バッグ開けるね」

「あっ、うん」


 わたしはカーくんの背中へ回って、バッグのチャックを開けた。その中から、双眼鏡のカバーを取り出す。ひもは出したまま、双眼鏡をカバーに入れて、首に掛け直した。


「バードウォッチング、もう、やめちゃうの?」


 カワセミくんが、残念そうにわたしを見上げた。


「うん。今日は、もうおしまいにしよっか。でも、あと一つだけ行きたい場所があるから、みんなで行ってみよう?」


 そう言って、わたしは階段を降りる。

 ちょうどその時、ドアの開く音が聞こえて、トキも戻ってきた。


「なな……」


 一階へ降りてきたわたしに気付き、トキが声を漏らす。もう手は震えてなくて、落ち着いたみたい。けど、わたしを見て、気まずそうに視線をそらした。

 わたしは靴を履き替えて、気にしていない振りをして、トキに言う。


「トキ、隣の林も、散策してみませんか? きっと、気持ちいいですよ?」


 そうして、またみんなを連れて、ビジターセンターを出た。


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