5-09 鳥を見る、そして知る

「わー、トンネルみたい」


 ビジターセンターを出て、遊歩道を歩いていくと、カワセミくんが声をあげた。

 道の両サイドにいろんな種類の木が密生していて、頭上も枝で覆われている。まるで、林のトンネルみたいだ。


「ここはビオトープになっていて、鳥の他にも、いろんな生き物がいるんだって」

「ビオトープって、なんだ?」


 わたしたちは、トンネルの道を進んでいく。カーくんが、隣で首を傾げていた。


「ビオトープっていうのは、いろんな生き物が住めるように、人が造った場所のことをいうの。木を植えたり、池を作ったりして、自然が整備されているんだよ」


 わたしたちの歩いている遊歩道の隣にも、池がある。けど、木々の影になって、ここからだと見えない。池にやってくる生き物を驚かせないため、人の姿が見えないようになっているらしい。


「あっ、お魚もいるよ」


 前を歩いていたカワセミくんが、地面にしゃがみ込む。道を横切るように、池へと流れる小川があり、そこをのぞき込んでいた。水草が生えていて、メダカのような小さな魚が泳いでいる。


「おっ、ヤゴとか虫もいるじゃねぇか」

「ななー? お魚、とっていい?」

「えっ、うぅ~ん……、ここは採集禁止の場所だから、やめとこっか? 見るだけにしようね?」

「えー? ダメなの?」

「その場で捕って食えばいいんじゃ、」

「それはもっとダメ。もし他の人が来て、食べるところ見られたらどうするの?」


 本当は、カーくんもカワセミくんも鳥なんだから、自由に捕って食べてもいいんだけど。人の姿だから、もしもだれかに見られて、誤解されても困る。

 カーくんとカワセミくんが、残念そうに小川の中を見つめた。帰りに、家の近くの川に連れて行ってあげよう。

 そう思いながら、わたしは顔を上げ、後ろを振り返る。


「…………」


 トキが、枝の茂る頭上を見つめていた。木漏れ日を見ているのか、風に揺れる枝の音を聞いているのか、深く呼吸をしているのか。ただじっと、読み取れない表情で、その場に立っていた。


「あっ、カーくん、なにあれ?」

「おっ! トンボ、しかもオニヤンマじゃねぇか? あれ、捕るのめちゃくちゃ難しいんだぜ?」


 さっきからカーくんとカワセミくんは、小川のそばでしゃがみ込んで、虫や魚を見ている。大きなトンボを見つけて、夢中になっていた。

 わたしは二羽から離れて、トキのそばへ行く。


「トキ?」


 トキは顔を下げ、一瞬だけわたしを見た。けど、さっきと同じように視線をそらす。

 わたしは意を決して、トキの腕をつかんだ。


「来てください」


 トキの手を引き、早足に遊歩道を歩き出す。

 トキはなにも言わない。わたしは前を向いているから、どんな顔をしているかもわからない。握った腕は、わたしの手を振り払うこともなく、かといって握り返すこともなく、棒のように固かった。


 遊歩道を進んでいくと、どんどん道幅が狭くなる。人が一人通れるくらいの狭い道を、少し速度を落として歩いて行く。


 そして、道が開けて、着いた場所は、観察小屋。

 八角形の東屋あずまやのような建物。壁は木で覆われていて、腰くらいの高さに、ガラスのないのぞき窓が空いている。


 わたしは小屋の中まで入って、トキから手を離した。


「ここも、鳥を観察できる場所なんです。この覗き窓から覗けば、鳥に気付かれずに間近で観察できる……そう、です……」


 走ってもいないのに、胸がドキドキする。気を紛らわせるつもりで、今いる場所の説明をした。でも、はっと気付いて、言葉を止めた。

 トキは、なにも言わない。わたしが手を離した場所から微動だにせず、目を伏せ、冠羽かんうを立てていた。


「トキ……、ごめんね」


 今日は、トキをリフレッシュさせたいと思っていたのに。バードウォッチングなら、だれだって楽しんでくれると思っていたのに。トキは楽しんでいなかった。むしろストレスになっていた。そのことに、わたしは気がついていなかった。


「でも、このことはわかってほしいんです。わたしは……、それでもわたしは、バードウォッチングが好きです。鳥が見たいんです」


 首に掛けた双眼鏡を、両手で握る。トキと向き合って、自分の思いを伝える。


「この双眼鏡、実はお父さんが使ってた物なんです。お父さん、よく言ってました。鳥は――生き物は、見ないとわからないんだって。どんな場所に、どんな生き物がいるか、その生き物がどんな生活をしているかは、実際に行って、その生き物を観察しないと、わからないって」


 もちろん、図鑑や本で調べるのも大切。今の時代、ネットでも簡単に調べられる。

 けど、結局それらの情報だって、だれかがその生き物を観察して、初めてわかったものだ。それに、身近な鳥でも生き物でも、まだまだわからないことがたくさんある。


「それにね、知ることが、守ることにも繋がるんです。お父さんが言ってたんです。一番怖いのは、知らないうちに、生き物にとって大切な自然が壊されていくことだって。そこから守るためには、見て、知って、伝えていくことが大切だって。この町は、たくさんの鳥がやってくるんです。トキだって来てくれたんです。だからわたしは、鳥たちを守りたくて、」

「勝手だな」


 つたない言葉で、熱弁していた。その途中で、トキが言葉を吐き捨てるようにつぶやく。

 トキが顔を上げる。冠羽をめいっぱい立て、軽蔑けいべつするようにわたしをにらんだ。


「俺はお前らに、守ってほしいと頼んだ覚えはない」


 トキの言葉が、心に刺さる。さっきまでの思いが、喉の奥に引っ込んでしまう。

 今度はわたしが、トキから目をそらし、うつむいた。


「ごめん……」


 守りたいなんて言って、実際のわたしは、なにかできていたかな。

 良いように言っているだけで、実際のわたしは、なにもできていない。公園の木一本、守れもしない。

 ただ、見ているだけ。一人で見て、可愛いとかカッコいいとか、騒いでいるだけ。


「ごめん、トキ……。嫌だよね、迷惑だよね……。トキたちは、静かに暮らしたいだけだよね……」


 身体が震える。こんなに、自分の思いをだれかに突き放されたのは、初めて。

 それでも、手にした双眼鏡は離せなくて。トキとも目が合わせられなくて。

 目頭を熱くしながら、その場に立ち尽くしてしまう。


「勝手なんだ……ヒトは、どうして……」


 トキの声が聞こえた。うつむいた視界に、トキの足先が映る。

 その瞬間、ほほにかすかな温もりが伝わる。


「どうして、他の生き物のことまで、心を傾ける」


 顔を上げた。

 わたしの頬へ、肌に触れるか触れないかの距離まで、トキが手を伸ばしていた。

 反対側の手は、足環の首飾りをぎゅっと握っている。瞳は、わたしと同じように潤みを帯びている。


「どうして、そんなに優しくもなれるんだ……?」


 その言葉を聞いた瞬間、わたしの目から一筋だけ、涙があふれた。

 頬に伝うその滴を、触れそうなトキの指が吸っていく。


「トキ……」


 双眼鏡を握ったまま、トキを見つめる。

 トキも首飾りを握ったまま、わたしを見つめている。

 答えを見つけたくて。見つけられなくて。息苦しい暗闇にいるようで。

 それでもお互いに、目を背けない。

 背けたくはなかった。


 と、その時。


「なぁーに、してんだ?」


 わたしとトキの間に、黒い影が現れた。


「きゃっ!?」


 びっくりして、わたしたちは磁石が反発するように離れる。


「あっ、カーくん」


 やってきたのは、カーくんだった。腰に手を置き、不機嫌そうにトキを睨んで、あきれた顔でわたしを見る。その足もとから、カワセミくんも顔を出して、わたしのところへ駆け寄ってくる。


「ななー、さがしたよ?」

「ったく、急にいなくなるなよ。こんなところでなにやってたんだ?」


 カワセミくんはわたしに抱きついて、カーくんはため息交じりに言った。二羽には言わずに来たから、心配かけちゃったかな。


「ごめんね。ちょっと、トキと話してたの。ね、トキ?」

「あ、あぁ」


 トキはぎこちなくうなずく。カーくんから顔を隠すように、腕を上げて髪をき、何度かまばたきをする。

 わたしも、カーくんが目をそらした隙に、目に溜まった涙をぬぐった。


「……ふーん。ふーん? ふーんんん?」


 カーくんが疑い深い目をして、トキに詰め寄る。トキは迷惑そうな顔をして首を回し、さらにカーくんから顔を背けた。

 今は気付いていないみたいだけど、カーくん、わたしが泣いているとすごく心配するから。トキをフォローしようと思った、その時。


「ん? なんだこれ?」

「いっ!?」


 カーくんが手を伸ばし、トキの髪を引っ張る。二、三本を抜いてしまい、トキが顔をしかめて、カーくんを睨んだ。

 カーくんの手には、真っ白な髪の毛が……!?


「あれ? テメェ、こんな色の、あったか?」

「カーくん、なんてことしてるのっ。白髪しらがは抜いたら増えちゃうんだよ?」

「は? が増えるなら、別にいいじゃねぇか?」

「ダメなのっ。だって白髪が増えたら、トキが……」

「なな、なにを言っている?」


 トキが不思議そうに首を傾げた。カーくんに引っ張られたところをでながら、話を続ける。


「昨日言っただろう、今は換羽かんう時期だと。どうやらこの姿の場合、髪も生え替わるらしい。だから、黒いが抜け、新しいが生えてきただけだ」

「で、でも、なんで白……あっ」


 そういえば、と、わたしはトキが初めて家に来た時を思い出す。


「黒いは、繁殖期だけだ。俺のは、もともと白い」


 そうだった。トキは季節によって、羽の色が変わる。繁殖期は、首の周りから出る粉を塗りつけて、頭や体を黒く染める。そして、換羽によって新しい羽が生えると、もとの白い姿に戻るらしい。

 ってことは……。


「なんだ、白髪が生えてきたわけじゃなかったんですね」

「いや、白いは生えてきたんだが……?」


 どうやらわたしの取り越し苦労だったみたいで、一安心する。トキは、まだ不思議そうな顔だけど、まぁ、言わないほうがいいかな。なんだか、恥ずかしいし。


「なんかよくわかんねぇけど、そろそろ戻ろうぜ?」

「あっ、うん。そうだね。そろそろ帰ろっか?」


 自分から訊いたのに、カーくんは興味なさげにわたしに言った。けど、ここで長くおしゃべりをしていると、外にいる鳥に警戒されてしまうから。わたしはみんなに言って、歩き出した。


「ねぇねぇ、なな?」


 すると、ずっと足もとにいたカワセミくんが、わたしのそでを引っ張った。

 カーくんは先に進んでいく。トキもわたしをちらと見て、歩いて行く。

 わたしはしゃがんで、カワセミくんと目を合わせた。


「どうしたの?」


 カワセミくんは、耳もとへ口を近づけて、小さな声で言った。


「トキと、なかなおりできた?」


 びっくりして、カワセミくんを見る。

 カワセミくんは笑みを浮かべて、わたしの顔を覗き込んだ。

 仲直りは、できたのかな。いや、そもそもケンカしていたわけじゃないような?

 返事に迷っているうちに、カワセミくんはクスクス笑って、わたしから離れる。


「カーくん、すぐ、はしりだしちゃって。ここにくるの、はやかったかなーって」

「えっ?」


 言っていることがわからず、首を傾げる。

 カワセミくんはニコッと笑みを浮かべる。けど、それ以上なにも言ってくれない。背中を向け、スキップするように林のトンネルへと入っていった。

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