1-07 見えないもの

 外はもう真っ暗で、頼りない街灯と月明かりだけが道を照らしていた。


「トキー! どこー!? トキー!!」


 暗い田んぼに向かって声を上げる。

 けれども聞こえるのは、遠くからの、ねぐらに集まったカラスの鳴き声くらい。


「いるなら返事してー! トキー!」


 わたしは辺りを見回しながら、夜道を走った。

 田んぼ道を抜け、舗装された道路へ出る。

 駅前を通りすぎ、線路を渡る。

 そのまま直進すると、堤防がある海に着いた。


「トキー……、トキ……」


 足が痛い。立ち止まり、ひざに手を付ける。

 気付くと、息も切れていた。

 早くなった鼓動が、きゅっと胸を締め付ける。


「トキ……、お願い……戻ってきて……」


 無意識につぶやいた言葉が、はっと心に突き刺さった。

 なにを言っているんだろう、わたしは……。


『恩を返して満足すれば、もとの姿になって帰ってくれるかな?』

『恩を返すって家に上がり込んで、全然役に立ってないじゃない!』

『あげくに迷惑なことばっかりして!』


 早く帰ってほしいって思ったのは、わたしじゃないか。

 役に立たないって、迷惑だって言ったのは、わたしじゃないか。

 それなのに、いなくなった途端、後悔して、引き戻そうとして……。


『あれからいろいろ考えたんだが、恩を返すために、お前の手伝いをすることにした』


 トキはただ、恩を返そうとしていただけなのに。

 初めての世界で、わからないことだらけの中で、一生懸命、助けようとしてくれただけなのに。


 それなのに、わたしは……。


「わたしの……バカ……」


 身を起こし、持ってきた双眼鏡をのぞき込んだ。

 静寂の中、切り取って拡大した視界にはなにも映らない。

 わたしは力なく双眼鏡を下ろし、家路に足を向けた。


    *


「あら、ななちゃん、今日はありがとうね。こんな時間に外へ出て、どうしたの?」


 家のそばまで来ると、お隣のおばさんがいて声を掛けてきた。


「あっ……いえ……。おばさんこそ、どうしたんですか?」

「それがね、うちのネコがまた脱走しちゃって探してるの。トラは捕まえたんだけど、珍しくあとの二匹も逃げ出して、まだ見つからなくてね」


 そう言うおばさんの片腕には、じたばたと手足を動かすトラちゃんが抱かれていた。


「そうなんですか……。もし見つけたら、連れてきます、ね……」

「いつもごめんね。助かるわ。……ななちゃん?」


 物音が聞こえた気がして、わたしは後ろを振り返った。けど、なにもいない。

 向き直ると、おばさんが心配そうにわたしの顔を覗いていた。


「あ、あの、探している時に、変な人見ませんでしたか?」

「変な人? 不審者でもいたの?」

「い、いえ。そんなんじゃなくて……。飛んでる、なにかとか?」

「飛んでる? 変な人? UFOとかかしら?」

「い、いえいえ、そうでもなくて。やっぱり、なんでもないです! お休みなさい!」


 わたしはおばさんにお辞儀をして、足早に家へ向かう。

 家に着くと、玄関のドアが開いていた。


「もしかして! ……いや、わたし、開けっ放しで出て行ったんだ」


 なにをやっているんだろう、わたし……。

 自分の頭をたたき、自嘲じちょうしながら玄関へ入る。

 夜中に鍵も掛けずに出て行くなんて、もし泥棒にでも入られたら、泣きっ面にはちどころじゃ……。


うそでしょ……」


 玄関に上がって、最初に見えたのは、廊下についた人の足跡。


 ガタッ! ゴトッ!


 居間の辺りから、物音も聞こえてくる。

 ど、どうしよう!? 本当に泥棒が入り込んでいる?

 警察に連絡しないと。その前に、お隣さんに助けを求めないと。

 わたしは家から出ようとした。けど、その時。


「待て……! 来るな……!」


 聞いたことのある声が家の中から聞こえてきた。


「えっ……?」


 振り返り、そっと中の様子をうかがう。

 よく見ると、廊下には人の足跡の他にも、なにかの動物の足跡が……。


「や、やめろ……! うぁああああっ!?」


 この、鼓膜を揺さぶる絶叫は……。

 わたしは靴を脱いで、急いで居間の戸を開けた。

 そこには。


「ニャーニャー!」

「ニャーニャー!」

「……くぅっ」


 白ネコのレオちゃんと、黒ネコのヒョウちゃん。

 そして、翼をばたつかせて棚の上に飛び乗り、引きつった顔でネコたちをにらむトキがいた。


「えぇっと……」


 とりあえず、わたしはレオちゃんとヒョウちゃんを捕まえて、お隣さんへ返しに行くことにした。

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