1-05 スピーシーズギャップ

 そして、次の日。


「結局、鳥とはいえ男子を一人暮らしの家に泊めてしまった……」


 わたしはベッドから起き上がり、寝ぼけ眼をこすりながら服を着替える。

 あの後、はた織り機がないと知ったトキは両ひざを落としてショックを受けていた。正体がばれているにもかかわらず「部屋の中はのぞくな」と言い残し、客間に閉じこもってしまった。


「トキに会いたいとは言ったけど、まさか人の姿になって恩返しに来ましたって家に上がり込んでくるとは思わないよ……お父さん……」


 一夜明けて、興奮も収まったわたしの頭に生まれたのは、うれしさよりも困惑。

 普段は遠くから双眼鏡で覗いている相手が、手が届くほど近くにいる。でも保護したわけでもなくて、ペットでもなくて、野生動物。なのに見た目は人。

 これからどう接すればいいのか、距離感に悩んでしまう。


「恩を返して満足すれば、もとの姿になって帰ってくれるかな?」


 やっぱり、わたしにとって鳥は双眼鏡を使って観察するほうが性に合っている。

 そんなことを考えながら、自室から出て階段を降り、台所へ行く。

 戸を開けると、そこには。


「やっと起きたか」


 白装束の上からピンクのエプロンを羽織ったトキが立っていた。


「ど、どうしたんですか!?」


 女性用だから、わたしより頭一つ分背の高いトキだと、サイズが合わずにお腹が少し出ている。

 ていうかそれ、わたしのエプロン。


「あれからいろいろ考えたんだが、恩を返すために、お前の手伝いをすることにした」


 けれども、トキは気にすることなく話を続ける。


「それで、手始めに食事を作ってみた」


 そう言って移した視線の先、ダイニングテーブルの上にはお茶碗ちゃわんが置かれていた。


「食事って、これですか……?」


 お茶碗の中身は、ほかほかのご飯。

 周りには、なにもない。

 白米、オンリー……。


「あぁ。置いてあったこの本で、ヒトの食べるものを調べた」


 トキは手にしていた料理本を見せる。一人暮らしを始めてから買った、ご飯の炊き方から卵の割り方まで書かれている初心者向けのものだ。

 そっか、鳥だからまず人の食べる物がわからなかったのね。

 でも、調べたのならなおさら……。


「あの、おかずはないんですか? 目玉焼きとか、みそ汁とか……」


 贅沢ぜいたくを言うつもりはない。けど、白米だけ出されて恩返しのご飯だと言われても、反応に困る。材料は冷蔵庫にあったから、作れたはずなのに。


「それも、作ろうとはした。だが……」

「だが?」


 トキがゆっくりと視線を向けた先にあるのは、ガスコンロ。

 頭頂部の髪が、ピンと逆立つ。


「火とか……、使えるわけないだろう……」


 薄らと涙目で、震える声を吐き捨てた。

 なにがあったんだろう。よく見ると、前髪の先が茶色く焦げている。

 そうか、大体、野生動物だから。


「火、怖いんですね?」

「怖くはない。身の危険を感じるだけだ」


 それを怖いって言うんじゃないのかな……。


「まぁ、せっかく作ってくれたんだし、いただきますね」


 これを食べて美味しいって言えば、トキも満足するかな。

 わたしは椅子いすに座って、手を合わせる。トキがじっとこっちを見つめている。

 ほかほかと湯気が立つ白米をはしに取り、一口。


「どうだ? あの機械、途中で中から音が聞こえたり、煙が出たりして、何度か開けて確認したんだが……」


 炊飯器は炊いている途中で開けてはダメ、絶対。

 うぅん……芯が残っていて、硬い……。


     *


 それからも、トキは家事を手伝おうとしてくれた。

 けれど……。


「今からなにをするんだ?」

「掃除です。部屋に掃除機かけようと思って」

「俺がやる」

「ならお願いします。こう持って、このボタンを押してください」

「これか?」

 ブオオオオオオオッ!! ガンッ!!

「ちょっ、トキ!? 掃除機投げ飛ばして逃げないで!?」


 と、掃除機の大きな音にびっくりして、掃除どころじゃなくなったり。


「……次は、なにをするんだ?」

「洗濯終わったから、干そうと思って。手伝いますか?」

「……」

「警戒しなくても、大丈夫ですよ。これなら、機械は使いませんから」

「そうか……。なら、俺がやる」

「はい。このかごの服を、あそこの物干し竿にかけてくれれば」

「この、シマシマは……!?」

「あぁあああーっ!? ダメ! やっぱりダメ! 触らないでーっ!!」


 と、わたしの大きな声にびっくりして、というかわたしが動揺して、物干しどころじゃなくなったり。

 結局、恩返しらしい恩返しをなに一つできないでいた。


「トキー、さっきはごめんなさい。……あれ?」


 洗濯物を干し終わって家に戻ると、トキは客間に閉じこもっていた。ご丁寧に戸には『絶対覗くな』と張り紙が貼られている。ここ、わたしの家なんだけどな。というか、今さら気付いたけど、トキって読み書きできるんだ。


「落ち込ませちゃったかな……」


 言葉も話せてコミュニケーションはとれるけど、やっぱりしゅの壁は大きい。人と鳥では生活の仕方も行動も考え方も、全然違う。

 なんとか、トキにもできる恩返しはないだろうか。って、なんで恩返しされるほうがこんなに気を遣っているんだろう……。


 ピンポーン!


 考えていると、玄関でインターホンが鳴った。

 客間からガタッと物音が聞こえる。気になりながらも、わたしは玄関へ向かう。


「ななちゃん、おはよう! 迎えに来たわよ」


 ドアを開けると、そこにいたのはお隣のおばさん。


「おはようございます。……あっ! そっか、今日でしたね?」

「そう、今日は町内会の清掃活動と、集会所の花壇作りの日よ!」


 すっかり忘れていた町内会行事。お隣のおじさんは町内会長をやっていて、人手が少ないし若い人はもっと少ないから出てほしいって頼まれていたんだ。


「すみません、今準備しますんで、ちょっと待っててください」


 正直面倒くさいけど、ご近所づきあいもあるし、今は田浜家の代表として断るわけにはいかなかった。

 慌てて作業ができる服装に着替えて、玄関へ戻る。


「どこか行くのか?」

「きゃっ!?」


 けどその手前、客間の戸がわずかに開いていて、トキがぼそりと声を掛けてきた。


「ななちゃん、どうしたの?」

「あっ、いえ、なんでもないです!」


 玄関から掛けられた声に返事をして、トキに向き直る。


「はい。ちょっと出掛けてきますね。お昼過ぎには帰ってきます」

「……そうか」


 トキはこくりとうなずいて、戸を閉めてしまった。

 トキを一人、じゃなくて一羽で置いていって大丈夫かな。とはいえ、迎えに来たおばさんに今さら断るわけにもいかない。


「おとなしくしててくださいね?」


 閉められた戸の向こう側へ、小さな声で念を押す。


「ななちゃん、だれか来てるの?」

「いえいえ、なんでもないですよ。えぇっと、なにか持って行く物あります?」

「大丈夫、全部町内会で用意してあるから。飲み物とお昼ご飯も出るわよ」


 気がかりを抱えながらも、おばさんの手に引かれるまま家を後にする。


 これから起きる悲劇を、わたしはまだ知るよしもなかった。

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