1-04 嘘と詐欺

 ……なにを言っているんだ、この人。

 自分は、昨日助けられたトキだの。姿を変えることができるだの。子どもの頃に聞かされたおとぎ話を、美談だの成功例だの。


うそ、ですよね?」

「ウソではない。トキだ」

「新手の詐欺ですか?」

「サギでもない。似ているかもしれないが」

「似てるってなんですか!? ほらやっぱり嘘ですね!」

「だからウソではないと言っているだろう。……確かに顔に赤みがあるのは似ているが、全然違うだろう」

「そんなアトリ科のウソを言っているんじゃないです! ついでにサギも鳥のことじゃないですーっ!」


 ようやくわたしは微妙な言い回しの違いに気づく。

 ウソというのは、スズメよりひとまわり大きい鳥。全体的に灰色で、翼と尾と頭が黒く、不審者の言うとおり雄はほおが赤く染まっている。ちなみに名前の由来は、口笛を吹くような鳴き声だから、口笛を吹くという意味の「うそぶく」という言葉から来ているのだという。あんな可愛い小鳥は、嘘つきなんかじゃない!

 ……って、そうじゃなくて!


「ごまかさないでください! 大体、おかしいじゃないですか!」


 思わず立ち上がって、叫んだ。いくら鳥好きだからって、わたしの目はだまされない。


「なにがだ?」


 不審者はこっちを見上げ、顔をしかめながらいてくる。

 わたしは彼に向けて、人差し指を突き立てて言った。


「その格好! どう見てもタンチョウじゃないですか!」

「……俺は、カッコウでもない」

「カッコウじゃないです! タンチョウです!」

「タンチョウ?」


 これだけ鳥トークしておいて、タンチョウは知らないんだ!?


「タンチョウは北海道に生息していて、全長が140センチもある大型のつるです。冬の北国に映える白と黒の翼、深紅の頭……。あぁ、いつか会いに行きたい……」

「……」

「って、そうじゃなくて! あなたの服装といい髪型といい、全然トキっぽくないです。服の白と髪の黒と前髪だけ赤、気休めにストールでピンクっぽい差し色していますけど、どう見てもトキじゃなくてタンチョウですよ!」


 そう言うと、不審者は黙ってすっくと立ち上がる。おもむろに手を胸元へ持って行き。


「お前はどこを見ている。よく見ろ。裏地は朱鷺とき色だ」


 そう言って、着物の襟元を開いて裏面を見せてきた。

 確かに、服の裏地は独特な淡い朱色――朱鷺色だ。トキは翼を閉じたままだと全体的に白っぽくて、翼を広げた裏面のほうが色鮮やかな朱鷺色になっている。

 それよりも、露出した色白の胸部に目が行ってしまう……。


「それに髪の色もこれで合っている。今は繁殖期だから、俺たちは首から出る粉を付けて羽を黒く染めているんだ」


 前髪をき上げながら、不審者は自信たっぷりに言ってくる。

 トキは一月から六月の繁殖期に、首の辺りからがれる黒い皮膚をこすりつけて頭や体を黒くする習性があるらしい。理由はいろいろあるけど、繁殖できますよって目印だとか、木の上で巣を作るから保護色にして見えにくくするためといわれている。


「うぅん、なるほど……。それなら、その姿がウソでもサギでもカッコウでもタンチョウでもなくて、トキだということはわかりました」


 芸が細かすぎてわかりづらいけど、形態的にも生態的にもトキらしいということはわかった。


「けど! そもそも鳥が人の姿になるっていうのが信じられません!」

「そこを今になってツッコむのか……」


 おとぎ話じゃあるまいし。いくらトキっぽい格好をしていても、ただの仮装。目の前の人が、羽毛もくちばしもある鳥だなんてありえない。


「そこまで言うなら、あなたがトキだっていう証拠を見せてください」

「それなら、昨晩俺は足に網が絡まり、ネコに食われそうなところをお前が助けてくれた。それを知っていることが、証拠にならないか?」

「確かに、言っていることは全部合ってますけど……。そんなの、遠くからこっそり見てただけかもしれないじゃないですか」

 

 そう言うと、不審者はあごに手をそえて考える素振りを見せる。


「あの場で、俺にしか知り得なかったことを言えばいいんだな?」

「まぁ、そうですね。あれば、ですけど……」


 不審者はなにか思いついたのか、わたしの目を見て自信ありげに口を開く。


「シマシマだった」

「……へっ?」

「色までは暗くてわからなかったが、横じまが入っていたのは確かだ」

「それって、なんのこと?」

「お前の下着だ」


 ……一瞬の沈黙。

 確かに昨日履いていたのは、ストライプのマリンカモメ柄お気に入りショーツ。

 悪びれる様子も恥ずかしがる様子もない正実な言葉に、わたしは。


「ななな、なんで知っているんですか!? この変態っ!!」


 首に巻かれたストールを思い切りつかんだ。


「うっ……、あの時、お前が俺の真上に来たんだろう。あの角度ならネコからも隠れていたはずだ。見えていたのは、俺だけ……ぐっ!?」

「そんなことして許されると思ってるんですか!? 鳥とか人とか以前の問題です!」

「ちょっ、待て……倒すな、首が……苦しっ……」

「変態! ストーカー! もう出てってください! ていうか警察に行ってください!!」

「落ち着け……っ。だったら、これを……くっ、見ろ……」

「見ろって、今さらなに見せるんですか!? いい加減にしてっ……?」


 その時、わたしのほおをふわりと柔らかいなにかがでた。

 びっくりして目を移す。

 視界に飛び込んできたのは、きれいな羽。


「えっ……?」


 不審者の背中から、大きな翼が生えている。

 握りしめていた手の力が緩む。思わず見とれてしまう。

 朱鷺色で染められた鮮やかな風切羽かざきりばね

 この翼は、間違いなく……。


「げほっ、げほっ、俺の……翼だ……」


 トキの翼だ。


「本、物? 本当に、鳥なの……?」

「だから……げほっ、さっきから言っているだろう……」


 向き直ってくと、不審者はき込みながら答えた。

 首、絞めすぎちゃったかな。顔も赤くなっている。


「あと……、近い……」


 今になって、自分が不審者の上に、覆い被さるように倒れ込んでいるのに気付く。


「あっ!? ご、ごめんなさいっ!」


 慌てて飛び起きて、その場に正座をする。

 不審者も首を擦りながら起き上がる。ストールがずれて、足下にふわりと落ちた。


「もしかして、その首飾りも……」


 わたしは、露わになった首まわりの、リングがいくつも付いた首飾りを指差す。


「これか? もともとは足に付けられていた物だ」

「それじゃあやっぱり、足環あしわだったんですね」


 昨晩のトキも、はっきりとは見えなかったけど足環を付けていた。

 インターネットで調べたことだけど、数年前からトキの保護施設がある佐渡では、野生復帰のために放鳥が続けられているらしい。放鳥される個体には足環が装着される。きっと番号や配色を調べれば、いつ放鳥されたとか、いつ生まれたとか個体情報がわかるはず。


「本当に、トキなんですね……」

「ようやくわかったか……」


 不審者改めトキは、まるで冤罪えんざいが晴れたかのようにふぅっと安堵あんどの息を吐いた。

 わたしのほうは、疑ったり叫んだり首を絞めたりして、罪悪感を覚えてしまう。


「は、始めから翼を見せてくれれば良かったんです」

「ヒトには存在しないものを急に見せれば、気味悪がられるだろう」


 下着の柄を言い当てて変態がられるほうが、どうかと思うけど。


「それに、今はあまり……」


 トキは口ごもりながら翼に目線を移した。

 翼が揺れ、フワフワとした羽毛が微かになびく。鳥の翼を、しかもトキの翼をこんなに近くで見るなんて初めてだ。触ったら、きっと気持ちいいだろうな……。


「あ、あの、ちょっとだけ、触ってもいいですか?」


 好奇心に堪えきれずに、わたしは右の翼に手を伸ばした。

 あれ? よく見ると翼の先の風切羽が二枚抜けている。それに雨覆あまおおいの羽もなんだか……。


「触るな」


 トキは身をひねってわたしの手を避けた。

 次の瞬間、翼が閉じられると魔法のようにスゥッと消えてしまう。


「えっ、なくなっちゃった!?」

「見えなくしただけだ。動けばまた見えるようになる」


 そう言うと、背中からまた翼がゆらゆらと揺れて現れる。けれども閉じて動かなくなると、再びスゥッと消えてしまった。


「俺たち鳥にとって、翼は命だ。たとえ姿を変えたとしても、なくすことはできない。だから普段は気配を消して見えなくし、いざという時は飛び立てるようにしているんだ」

「な、なるほど……?」


 仕組みとかいまいちよくわからないですけど。ていうか、さっきネコに襲われそうになった時も飛んで逃げれば良かったんじゃないかな。そもそも腕があるのに翼もあったら、手が四本あることに……。


「まぁ、俺もこの姿になったばかりで、よくわかっていないんだが……」


 いろいろと疑問点はあったけど、話が長くなりそうだから置いておいて。


「それで、どうしてトキは人の姿になって、わたしの家に来たんですか?」


 一番肝心なことを、わたしは訊いてみる。


「それはさっきも言っただろう。お前に助けられた恩を返すために俺はここに来た」

「『鶴の恩返し』みたいに、ですか?」

「そうだ」

「でも恩を返すって、どうやって?」

「決まっているだろう」


 そう言うと、トキはまたすっくと立ち上がる。自信に満ちた顔をわたしに向け、問いかけてくる。


はた織り機はどこだ? 貸してもらう」


 ……このトキ、やっぱり格好もそうだけど、鶴を相当リスペクトしているよね。


「あの、申し訳ないですけど、ないです。機織り機……」


 田舎町といえども、わたしは実物を見たこともない。

 自信満々なトキの顔が固まり、頭頂部の髪がピンと逆立った。


「嘘だろ……?」


 ウソじゃないです。

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