第1話 トキの恩返し

1-01 夜道に気をつけて

 日が西の海に沈みかけ、東の空が濃い紫色に染まる帰り道。

 高校の最寄り駅から二駅目――鶴ノ丘つるのおか駅を降りたわたしは、自転車を押しながら家路を歩いていた。


「ふふ~ん、まさかあんなところでカワセミに出会えるなんて。今日は良いことありそう! もう夕方だけどね」


 わたしの名前は、田浜たはまなな。鳥好きな普通の高校二年生。

 今日は学校から駅に向かう途中でカワセミに会って、そのまま小一時間、バードウォッチングを楽しんでしまった。

 あの後、川縁かわべりを散策していたらカルガモとアオサギとハクセキレイ、それにキセキレイも見つけて、幸せな一時だったなぁ。


「クワッ!」

「ん!? 今の声は……」


 わたしは自転車を止めて、首に掛けた双眼鏡を手に取る。

 ここは田んぼと田んぼの間を走る、舗装されていない道。街灯もなく暗くてちょっと怖いけど、この時間になればだれも通らない絶好のバードウォッチングスポットだ。


「いたっ! あれは……ゴイサギかな。可愛かわいいな~」


 田んぼの中、白い腹と黒っぽい背中の鳥が見えた。ゴイサギは夜行性で、名前の通りサギの仲間だ。エサを探しているのかな。ずんぐりした体で、白い冠羽かんうが頭からピュッと飛び出している。


「他にもいないかな~? あっ、あの木にいるのはトビかな。あそこの電柱にいるのはムクドリ! ホシムクドリとか、混じってないかな~?」


 片手で双眼鏡をのぞき、もう片方の手で自転車を押しながら田んぼ道を歩く。ツグミみたいに、少し行っては立ち止まり、少し行っては立ち止まり。のんびりしていると、いつの間にか辺りは薄暗くなっていた。


「さてと、そろそろ帰ろうかな。……ん?」


 自宅の屋根も見えてきたところで、わたしは自転車のペダルに足を掛ける。

 でも、どこからか音が聞こえて、つい耳を立ててしまう。


「ニャー!」


 聞こえてきたのは、ネコの鳴き声とチリリンという鈴の音。

 田んぼ道から舗装された道路へ出る手前。その一区画だけは畑になっていて、一棟のビニールハウスが建てられている。そのハウスの前に、一匹のネコがいた。


「あれは、お隣さんのトラちゃんだ」


 お隣さんが飼っているトラ柄のネコ。だからトラちゃん。

 よく家から脱走して近所をうろつき、わたしの家にも遊びに来る顔見知りだから、すぐにわかった。


「こんなところでどうしたの? 早く帰らないと、おばさん心配しちゃうよ?」


 ハウスのそばまで行って声を掛ける。けど、トラちゃんは身を屈めながら、なにかをじっと見つめて動かない。

 いつもなら振り向いて寄ってくるのに。疑問を抱きながら、連れて帰ろうと自転車を止めて田んぼ道を降りた。

 その時。


 ガサガサッ!


「きゃっ、なに!?」


 トラちゃんに気を取られていたため、予想外の物音に肩を上げてしまう。

 ハウスの入り口。扉は開かれていて、代わりに動物除けの網が張られている。

 その網に、なにかが絡まってもがいていた。


「鳥……サギ、かな?」


 翼が見えたから、それが鳥だとわかる。

 足に網が絡まったらしく、宙づり状態で頭が地面すれすれにぶらさがっている。

 大きさは七十センチメートルくらい。細長いくちばし。もう日が沈んでよく見えないけど、全体的に白っぽい色をしている。


「ダイサギかな? でもダイサギにしては小さいような……。コサギにしては大きいし。間をとってチュウサギ……は夏鳥だからまだ来るの早いよね……」

「ニャー?」

「って、トラちゃんもしかしてこれを狙ってた!? 食べちゃダメだよ! 家に帰ったらご飯あるでしょ!」

「ニャーッ!?」


 トラちゃんと通じ合っているのかわからない会話をしていると、鳥はバタバタと翼をばたつかせる。


「あっ、暴れないで。すぐにほどいてあげるから」


 わたしは鳥のそばへ行く。けど、暗くて絡まった場所がよく見えない。スマホを取り出して、ライトを点ける。それを口に加え、手もとを照らしながら網を解くことにした。


「ふぉっふ、ふぁふぁふぉ、ふぁふぇふぁいふぇ~(ちょっと、またを、噛まないで~)」


 人が目前に来たためか、窮鼠きゅうそ猫を噛む勢いで、鳥が抵抗してくる。ネズミと違って歯もないくちばしだから痛くはないんだけど。太股ふとももつつかれて、ものすごくこそばゆい。


「ふぉふ、ふぉっふ……(もう、ちょっと……)。あっ……!?」


 足から網が外れる。その瞬間、鳥がわたしの足もとに落ちた。

 踏まないように慌ててその場から飛び退く。でもその弾みで、スマホが口から離れてしまう。

 地面に落ちたスマホが石にぶつかって転がり、ライトの先を鳥へと向けた。


「えっ……?」


 光が、翼をばたつかせて起き上がろうとする鳥の姿を映していた。

 長細く、先が湾曲したくちばし。

 赤い顔。黄色の虹彩こうさい

 そして、一番目を引く、独特な淡い朱色の翼。


「もしかして……」


 息をんだ。

 予想していたシラサギでは、明らかにない。

 初めて目の当たりにする鳥だ。

 でも、その姿は図鑑やテレビで何度も見たことがある。

 鳥好きでなくても、だれもが一度は聞いたことがある鳥。


「トキ……?」


 日本で絶滅したはずのトキが、今、わたしの目の前にいた。


「なんで、トキがこんなところに? もしかして放鳥された……あっ!?」


 赤い足に光る物が見えた。でも確認する前にトキは起き上がり、逃げるようにその場から飛び立つ。頭上を抜け、田んぼの隅に植えられた柿の木の上へ飛び降りた。


 その距離は十メートルほど。もう暗いけど、双眼鏡を使えばまだ観察できる。

 初めて見る生のトキ。もっと見ていたい。足環あしわも確認したい。

 わたしは震える手で、首にげていた双眼鏡をつかんだ。

 でも。


「……あんまり、怖がらせないほうがいいよね」


 飛び去ってもいいのに、トキは柿の木から動かない。冠羽を立てて、ずっとこっちを見つめている。いつから網に引っかかっていたかわからないけれど、疲れているのかもしれないと思った。


「ごめんね、驚かせちゃって。じゃあね」


 双眼鏡から手を離し、小さい声で言って手を振る。

 わたしはトキに背を向けた。


「ほらトラちゃん帰るよ。早く戻らないと、おばさん怒ってご飯くれないかもよ?」

「ニャーニャー!?」


 わたしはトラちゃんを自転車の前かごに乗せ、家へ帰ったのだった。

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