第9話 思い出

 あまりにも幸せでした。

 メイアは公爵家の娘で、たいていの我儘は通りますし、ご飯は美味しい。

 優しい兄が居て、同性の友達も居て、美形な同級生がたくさんいる。

 その上、将来は王子様と結婚です。これ以上の幸せがあるでしょうか?


「浮かない顔をしてるな」


 だからでしょう。

 私はこの生活を手放したくありませんでした。


「キルト、様……」


 白桜学院で残ったテストは四回。

 対して地球でのテストは、残すところ一回だけです。

 まだ一回……まだ一回だけ……ミスをすることが許されています。

 しかし今のままでは確実に、この生活を失ってしまうことでしょう。


 楽しい時間が終わってしまう。

 それが、私にとっては何よりも恐怖でした。


「キルト様ぁぁぁ……!」


 私は人目もはばからず、キルト様の胸に飛び込みました。

 さしものキルト様も、これには動揺したようです。


「お、おいっ。メイア!?」


 泣き出した私に、どう対処したらいいか迷ってるようでした。

 私は思いの丈をぶつけます。


「キルト様……! 私はキルト様が好きです……! 好きになっちゃったんです……!」

「わ、わかった。メイアの気持ちは嬉しい、嬉しいが、この状況は――」

「だから、お願いです……!」




 ――卒業まで、私と関わらないでください。




「は?」

「アナタは私にとって、なによりの障害なのです……ッ!」

「待てよっ! どーゆーことだよっ!」

「お願いします……お願いします……ッ!」

「おいっ!!」


 キルト様が私の身体を揺さぶりますが、私はそれ以上何も喋りません。喋りようがありません。

 業を煮やしたキルト様は「ちっ」と舌打ちしました。


「正直、事情が全然わからねぇ……。それにホントはもっとムードがある時に言いたかったが……メイア、俺もお前のことが好きだ! だからこそ言いたい! なんで俺を遠ざけようとする?」

「……言ってもわからない事です」

「ちっ……そうかよ」

「ごめんなさい……」


 私は謝ることしかできませんでした。

 そうしていると、キルト様がフッと笑います。


「だがまあ……好きな女からの涙ながらの頼みだ。ハッキリ言って守れる自信はあまりないが、善処してやろうじゃねえか」

「!――ありがとうございます!」


 私は強く、キルト様を抱きしめました。

 キルト様もそれに応え、強く、私のことを抱きしめました。


--


 そうして、キルト様からの干渉はなくなりました。

 目下最大の悩みを払拭した私に、もはや恐れるものはありません。


「「おはようございます、メイア様!」」

「おはようございます。アイリスさん、ヒューナさん」


 前回のテストは上位一割をキープし、残るテストは三回。

 白桜学院は優秀な生徒がしのぎを削っている場所ですが、成績上位から落ちるつもりはありません。

 もし落ちるようなことがあれば、それは今なお私との約束を守ってくださってるキルト様に、示しが付きませんから。


「ところで、メイア様に一つお聞きしたい事があるのですが」

「私に?」


 ヒューナさんが私に質問だなんて珍しいですね。


「キルト様と何があったのですか?」

「ちょ、ちょっとヒューナさん!?」


 アイリスさんが驚いて泡を吹きました。

 貴族同士では、互いに触れるべきではない事柄というのがあります。貴族というのは体面を気にするものですから、むやみに詮索するのはタブーです。


 まして私は公爵家の娘で、キルト様に関しては王族です。

 口封じをした訳ではありませんが、無駄に刺激するのは得策ではないと判断したのでしょう。

 一連の出来事を目撃した生徒で、口外した人はいなかったようです。

 それを……タブーについて知らないはずがない伯爵家の娘が、私に直接、話を聞いてきたのです。


「そうですね――」


 なので……私は包み隠さずキルト様とのことを話しました。

 それはヒューナさんが、私を本当に友人だと、心を開いてくれてる証拠だと思ったから。


--


 そんな感じで私の恥ずかしい過去は、一部の人以外に知られることも無く、平和な毎日を送れていました。

 教室や廊下でキルト様と出会っても、挨拶以上のことはありません。

 訝しむ生徒もいましたが、突っ込む人はいませんでした。


 ですが、事情を知らずに卒業まで待つというのは、やはり難しいようでした。


「なあ、メイア」

「はい?」


 白桜学院でのテストも、残すところ一回となったある日。

 約八ヶ月振りに、キルト様が話しかけてきました。


「もうすぐ俺らは白桜学院を卒業だ」


 わかっています。

 あと一回……最後に残った卒業前のテストをクリアすれば私は……。


「なのに最後の一年で、俺は何もメイアとの思い出を作っちゃいない!」

「……それで?」

「これ以上はもう無理だ! 俺はお前と過ごした学校生活……その最後の思い出が作りたいんだよッ!!」


 キルト様の熱い言葉に、私の中に込み上げてくるものがありました。

 卒業までに残された時間は、あまりない。

 何かを成すなら、この残り少ない時間を大切にしなければなりません。


 私とキルト様は許嫁……いえ、すでに好意を確かめあった仲です。

 卒業する前に、何か思い出を残したいというのは私も同じでした。

 ……それでも、私は決断できずにいます。 

 

「…………」

「メイアーーッ!」

「……ッ……!」


 だってここで我慢すれば、私はんです。

 地球で卒業したらメイアになれなくなるように、こっちで卒業すれば地球に帰らされることもなくなります。

 テストがないのだから、上位一割をこともできませんから。

 ここが踏ん張りどころなんです!


 ――いいえ


 私は首を振りました。

 そう……より確実を期すならば、ここで踏ん張るべきなんですが……まだ私には一度だけ、ミスをすることが許されているのです。

 ここで思い出作りをした結果、白桜学院最後のテストで上位一割から落ちても、地球で三月のテストが残っている。

 そこで上位一割を取れば、またここに戻ってこれるのです。


 問題は私が地球のテストで、上位一割を取れるかですが……。 

 私はあっちで学年主席。今まで通りにやれば、上位一割は確実に取れるはずです。


「わかり、ました」

「――!」

「作りましょう、私とキルト様の思い出を」


 私の言葉に、キルト様が「あぁ!」と頷きました。

 いままで私は頑張ってきたんです。最後くらいは……。



 私達は思い出作りに精を出しました。

 一緒に授業をすっぽかしたり、制服デートをしたり、手作りのお弁当を振る舞ったり。

 学生のうちにしか出来ないことは全部……全部です。


 当然、最後の試験は上位一割から落ちました。

 でもいいんです。

 あとは地球で頑張ればいいんです。

 そうしてまた、夢の続きをみればいいんです。


 ――零時


 あの浮遊感がやって来ました。

 この感覚も一年ぶりです。

 懐かしさすら覚えます。


 浮遊感がなくなってから、目を開けました。

 あっちとは違って、なんともショボい部屋です。

 お布団もゴワゴワします。


「ただいま、クソゲー」


 いつもとは違う希望に満ちた声で、儀式を終えます。 

 あれで終わらせるつもりはありません。

 まだ私は、あちらで卒業式という晴れ舞台をやってないのですから。


「さて、明日からまた頑張らないと……」


 私は電気のスイッチを切ろうと、壁まで歩いて







「ゲームオーバーじゃ」


 神様の声を、聞きました。

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