#2 姫を叩いて遊んだらしい

 過去に異世界人を召喚したという事例はいくつもある。宮廷魔導師どもが錬成した魔法陣を用い、この世界に蔓延る魔物どもを駆逐する為の知恵を貸してもらおうというのがその狙いだったとは、私も聞いた事がある。


 今、私が腰に差しているこの剣も、元々は異世界人の発明だったと史書にはある。異世界には優秀な鍛冶師が多く、召喚する度様々な新技術を享受出来たと魔導師どもは言っていた。時にはまるで何の役にも立たない者も召喚されたが、それらは話だけ聞き出した後、処分されていたようだ。しかし、きっと有用であった者にも同じようにしていたに違いない。これは俺の憶測だが。勝手な話だ。魔導師どもは、なぜああも自儘であるのか。


 しかし、それならば召喚された異世界人に会わないことにも合点がいく。それなりに偉業を成している異世界人だ。報奨として城をもらうなりして、今でもこちらで暮らしているならば、噂くらいは耳にしているはずなのだ。


 まぁ、一人で考えていても仕方がない。私には魔導の心得など無いのだ。いけ好かない輩たちではあるが、今頼れるのは彼奴らだけしかいないであろう。


 昨日の私に起こった出来事。異世界としか思えない所へ行ってしまった私の話を、彼奴らに聞いてもらうのだ。さすれば、なにかしらの答えは得られよう。


 さあ、この王宮の大回廊の真ん中を、堂々進もう。私は今や騎士最高の誉れである、勇者の称号を得し者なのだ。私は、勇者。


 勇者ケントレアス、なのだから。


 それにしても、今朝は皆の視線が妙に刺さる。一体どうしたと言うのだろう。昨日はおかしな夢を見たが、それが表に出ているとでもいうのであろうか?


「おはようございます、ケントレアス様……ぷっ」

「ああ、おはよう」


 む? 今すれ違った使用人、私からすぐに目をそむけ、笑いを堪えたように見えたのだが? 気のせいか?


「あ、ケントレアス様。おはようござぶはっ」

「うむ、おはよううううん?」


 あいつは今絶対に笑ってた! 私を見て笑ったぞ! 挨拶し切れて無かった! 何なのだ一体!?


「あら、ケント様。朝見でございますか?」

「これはセリーナ姫。おはようございます。はっ、朝見は騎士の務めでございますから。その後、宮廷魔導師殿を訪ねる予定でございます」

「そうですの? それにしても昨日は……ぶふーーーーっ!」

「セリーナ姫!?」


 めちゃくちゃ噴き出した! 姫、めちゃくちゃ笑ってございますが!


「し、失礼しました。いえ、昨日のあなたの事を思い出し……うふ。うふふふふふ」

「昨日何をしたのですか、私は!?」


 ホントに何があったのだ! このお淑やかなセリーナ姫を、ここまで爆笑させるとは! こんな姫、初めて見たぞ!


「覚えていらっしゃらないのですか? ケント様は、昨日、元気の無いわたくしの後頭部をぱしんと叩いて『そんなのお前らしくないから気持ち悪い』とか『もっとワガママに振る舞え』とかおっしゃって、街の見物に連れ出されたりもされました。あんな無礼な扱いを受けたのは初めてでしたわ」

「叩いた!? 私が!?」


 目眩がした。これは国王様に知れれば斬首ものではないか! 


「あ、いえいえ。そんなお気になさらず。わたくしもケント様を何度も叩いたんですのよ。ケント様もわたくしも、もちろん本気で叩いてはおりません。下々の人々は、友愛や親愛の表現として時にはそうした事をするものだとか。やってみましたら、正直楽しくなってしまって。ああ、お友だちとは、本来こうした気安い関係なのかも、と思わされました。わたくし、大変いい経験をさせていただきましたわ。うふふふふ」

「は、はあ……それならば、良うございましたが……」


 間違いない。私だ。"あっち"の私がやらかしてくれたのだ。何ということをしでかしてくれるのだ! 死ぬぞ! 本当に死ぬぞ!


 私も"あっち"の世界に行ってみて、あまりに馴れ馴れしいと言うかぞんざいと言うか、礼儀など存在しないかのような"あっちの私"の周りの人々に戸惑った。"あっちの私"なら、姫にも同じように接してしまうのが納得出来る。幸いにして姫はそれをお気に召されたご様子であるから良かったようなものの、もし誰かに見られていれば、お咎め無しとはいかなかったに違いない。


「まあ、わたくし付きの使用人たちや侍従たち、王家教育役のセルバンテスなどは卒倒してしまいましたけれど。皆、よほど驚かれたのね。うふふふふ」


 見られとるやんけ! 侍従までなら私の力も及ぶのでなんとかなるが、セルバンテス様にまで見られとるやんけワレぇ!


「そうそう、わたくしが呼ぶあなたの名にも変化がありましてよ? お気づきになられました?」

「え? あ、そう言えば」


 そうだ。セリーナ姫は私の事をちゃんとケントレアス様と呼んでいたはず。


「そして、昨日のあなたは、わたくしをセリちんとお呼びになっておりました」

「セリちん!? なんですのんソレ!?」

「なんですのん?」

「はっ!」


 い、いかん! 孤児院暮らしの時の話し方が! 騎士を目指した時から必死で矯正してきたと言うのに、あまりの驚きでつい!


「うふふ。いいんですのよ。ケント様は、もうわたくしの友人、それも特別な友人なのです。これからは、肩肘を張らず、もっとお気軽に接してくださいな。それがわたくしの望みです」

「い、いやしかし。さすがにセリちんと呼ぶのは」

「まあ、わたくしの願いを聞き入れられないと言われるのですか? ケント様は、わたくしに剣を捧げたわたくしの騎士でしょう? わたくし、怒っちゃいますわよ。ぷんぷん」


 腰に手を当て、人差し指を私の顎に押し当てるセリーナ姫は、はっきり言って。


 可愛いわ! とんでもなく可愛いわあああ! オイラ、ぶっちゃけ騎士を目指したのはセリーナ姫の側に行きたかったんやあああ! 頑張った甲斐あってセリーナ姫の騎士にまでなれたけど、もうそれで十分過ぎるほど幸せだったのに! なんだこの幸運は! オイラもう死ぬの? 死んじゃうのおおおん!?


「きゃっ。ケント様、鼻血が」

「あ、いやその。と、とにかく了承致しました。ささ、そろそろ朝見のお時間。私がエスコート致します」


 鼻血出た。とりあえず腰布で拭いといて。チ、チャンスだし手を差し伸べてみようかな。あと。


「さ、さあお手を。セ、セセセ、セリ、ちん? セリちん」


 言っちゃった! うああああ言っちゃったよおおおおお!!!!


「はい。ケンたん」


 ケンたん……だと……!?


 その後の記憶は定かではない。目が覚めると救護室に寝ていたので、おそらく気絶したのだろう。なんという幸せパンチ。過去に喰らったどんな魔物からの一撃よりも、遥かに効く攻撃だった。


 ありがとう、私。良くやってくれたぞ、私。こんなにセリーナ姫……セリちんとの距離が縮まるとは、あっちの私は神なのか?


 それにしても。


 あちらにも「世理奈」なる娘が、やけに私に絡んで来ていた。セリちんそっくりな世理奈という娘が。


 世理奈は、あっちの私の何なのだろう? あっちの私も、世理奈に好意を寄せているのだろうか? もしそうだとしたら、私も何か援護してあげるべきなのだろうか? 


 もしもまたあちらに行く事があるのなら、次はそこを確かめてみねばなるまい。昨日見た限り、おそらくは、私のように絶望的な恋では無いはずだ。せめてあちらの私には、恋を成就させて欲しいと願わずにはいられない。


 セリちんのように、来月婚儀を控えているというわけでも無いであろうから――



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