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演奏を終えた啓斗を待っていたのは、歓声と喝采だった。
皿が飛んできたらどうしようとか、弾き終わったら食堂は無人でしたとか、そんな惨状になったらどうしようという不安は、それはもう完璧に杞憂だった。
セラはもちろん、食堂に居合わせたどこの誰とも知らないオッサン達まで惜しみない拍手を送ってくれていた。あまりに予想外の事態すぎて、ドッキリかなにかの仕掛けを疑ってしまった程である。
ギターを片手に、立ち上がって一礼。
それだけで、わっと歓声が沸き上がった。
尻を椅子に収めても、気分はふわふわと落ち着かない。啓斗の演奏で、誰かが喜んでくれたのは、初めてだった。
「すっごい! 上手ねえ!」
セラが感激したように両手を合わせる。キラキラしたピンク色の目が、嘘やお世辞でないことを証明している。本当に、喜んでくれているのだ。
「オレなんて、まだまだだよ」
「ううん、本当によかったよ!」
「ありがとう」
やっと、評価された。
啓斗は、誇らしかった。今まで聴くに値しないと背を向けてきたたくさんの連中に、この光景を見せつけてやりたかった。
気分の高揚は、マズい食事さえ美味にする不思議物質を脳内で分泌しているようだ。追加で一口食った肉は、最初感じたほどひどくはないような気がした。
「あ、そういえばね」
食事の手を止めて、セラが顔を上げた。
「最初にヒーロを見つけた時、一緒にこれも落ちてたの。何か知ってる?」
「これっ……!!」
セラが差し出したのは、あの楽譜だった。
そう、啓斗がこの世界にやってきたのは、この曲がキッカケだった。ということは、帰るための方法もまた、この楽譜にあるのではないか。
あながち荒唐無稽でもない思い付きに、彼のテンションはさらに上昇した。肉は半分以上残っていたが、もう空腹は感じなかった。
「ちょっと、急用思い出した! オレ帰る」
「え、待って、一人じゃ戻れないでしょ?!」
そんなことも忘れるくらい、啓斗は興奮していた。
間違いなく、これで帰れる。
こんなメシマズのおかしな世界とはおさらばだ。
たとえ、可愛い女の子とお近づきになれようと、初めて拍手をもらおうと、元の世界に帰ることに比べれば、些細なことだ。些細なことのはずだ。
セラに連れられて部屋に戻った啓斗は、必死にその音を探した。飽きました、というわけにはいかない。諦めることはつまり、一生ここで暮らすということなのだから。
啓斗は、時間も空腹も忘れて、その作業に没頭していた。行きと違って、指が痛いとも感じられなかった。それだけ懸命だったということだ。
そして、遂にそれを発見する。
譜面を逆さにして、後ろからフレーズを奏でる。
最初とは違うメロディ。けれどやはり、ポップでもロックでもなんでもない、不思議なメロディだ。
そして、最後の一音を
* * *
戻ってきた現実では、向こうで過ごしたのとほとんど同じ時間が流れていた。
チェックアウトを大幅に超過した啓斗は、格安料金が無意味になるくらいの超過料金を支払わされ、財布を空っぽにして帰宅することになった。むしろ帰宅する金さえヤバいところだった。
電車に揺られながら、あの船に思いを馳せる。
奇妙な世界だった。暗いしメシはまずいし窓はないし陸もないし
それでも、と彼は思う。
悪いことばかりではなかった。
鮮烈な青は、今でも脳裏に焼き付いている。
あれほど強烈な青は、写真でもテレビでも見たことがない。
それに。
耳によみがえるのは、拍手喝采。
それは、これまで得られたことのない充足感だった。こちらの世界――現実では、一度も得られなかった達成感。それを手にしたのが、ろくでもない異世界だったのは、なんとも皮肉なことだった。
(オレが生きる場所は、どこなんだろう)
戸惑いを感じながら、啓斗は二つの世界を比べていた。啓斗が本来生まれるべきは異世界の方で、だからこそ彼は現実で評価されないのではないかと。彼が楽譜を見つけたのは偶然じゃなく、本来いるべき世界に戻るための道しるべだったのではないかと。
規則的な電車の振動は、催眠術のように、その考えを浸透させていく。
(オレは、戻ってくるべきじゃなかったのか……?)
考えても、答えは出なかった。
たぶんこの現実で、どれだけ頭を悩ませても、正解にたどり着くことはできないのだろう。答えを知りたければ、もう一度あちらに向かうしかない。
楽譜は、荷物の中に大切にしまってきた。けれども行き来するためには、もう楽譜は必要ない。
頭の中で何度も繰り返した二つのフレーズは、譜面なしでも正確に再現できるようになっているという自信があった。
もう一度、異世界へ。
望まなかったはずの転移を、啓斗が望んだ初めての瞬間だった。
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