それでは納得できません

 渡り廊下は、居並ぶドアの向こうにあった。そんなもの見つけられるか。

 啓斗はランランを掲げたセラに先導され、暗い廊下を歩いていた。

 その先、迷路だった。同じようなドアや通路ばかりで、そのくせ目印はない。ドアを開けたら部屋ではなく廊下があっり、隠しスイッチが仕込まれている場所さえあった。無駄に遠回りしている気もするが、本当のところはわからない。

 啓斗が逃げ出した時セラが騒ぎ立てなかったのは、当たり前のことだった。この場所から、一人で脱出するのは、まずムリだ。

「いつ着くんだ?」

「もうすぐよ」

 振り返りもしないで答えたセラは、廊下の突き当りの壁に手を当てた。行き止まりかと思ったが、壁がくるっと一回転する。忍者屋敷かここは。

 回転ドアをくぐると、もう一枚扉が待っていた。

 これまで見てきた味も素っ気もないドアとははっきり違う。鳥のような虫のような羽の生えた人工物が彫られた分厚い一枚板だ。

 これが「代表」の部屋だ。

 確信した啓斗は、突然抑えられない怒りが湧き上がってくるのを感じた。


 そもそも、理不尽だ。

 なにひとつ非のない彼が、こんな迷路に閉じ込められ、連れまわされ、その上代表とやらに面会しなくてはいけないのか。

 間違いなく彼には文句をつける権利がある。そう信じた啓斗は、セラを押しのけ扉を引いた。

「ちょ、ちょっと! 急になにするの?!」

 慌てたセラの声が止めに入る。しかし、啓斗の耳には届かない。

 啓斗は勢いよく扉を開けた。

 その、瞬間。


 ドアの向こうから、何やら青いモノが飛んできた。かなりの重量だ。

 そんな衝撃を予測できたはずもない啓斗は、やっぱり重力に従って、後ろに倒れた。

 驚いたセラが目を丸くしてこちらを見下ろしている。

 幸いなことに今回は頭は打たなかったらしい。

 だが、現在啓斗にはその幸運をかみしめる余裕はない。

「なにしやがるんだ!」

「こっちのセリフです! 婦女子に乱暴を働くなど、男の風上にもおけません! そんな下郎はさっさと海のモグサになっておしまいなさいっ!」

 扉の向こうには、仁王立ちする女の足が見えていた。

「……はあ?」

 人間、想定を超える事態が発生すると、逆に冷静になるものである。

 あれほど文句をつけてやらなければ気が済まないと滾っていた怒りは、きれいさっぱり霧消していた。


「大丈夫ですか、お嬢さん」

「あ、はい」

 生足は、啓斗をスルーして、セラに声をかける。

 その間啓斗はぽかんと座り込んだままだった。

「さあ、こちらへ」

「え、ええと」

 啓斗ほどではないにせよ、セラもまた、いまいち状況が把握できないでいるらしい。うながされるまま扉の向こうに消え、そしてそのまま閉ざされた。


 パタン。

 無慈悲な音に、啓斗はようやく我に返った。締め出された!

「おいコラちょっと待て!!」

 飛び上がってドアノブを引っ掴む。幸い鍵はかけられてなかったらしく、ドアは抵抗なく開いた。

「なんです。まだセクハラしたいんですか」

「そもそもしてねえよ!!」

 セラを隠すように立っていたのは、水色の髪をした背の高い女だった。

 顔はよくわからない。本来見えているべき顔面の半分をアイマスクが覆っているからだ。

 半端な長さの水色の髪は、適当に下ろされたままだった。

 さっきちらりと見えた青い影はこれだったのかと、納得する。

 だが納得できたのはそれだけで、他に関しては何一つ承諾できない。何一つ!

「セクハラじゃねえ! ドアを開けたらいきなりお前が飛びかかってきたんだ!」

「本当ですか? 女性の悲鳴が聞こえましたが」

「悲鳴じゃねえ! ……ないよな?」

「あ、えーと、たぶん」

「ほら見ろ!」

 セラの承諾はイマイチ心もとなかったものの、これで押し通す。

「……ほんとうですか??」

 女は疑わし気な声でセラを振り返るが、うなずいてくれたセラのおかげで、しぶしぶながらも納得したらしい。

「そうですか。それは失礼しました。ではお話をどうぞ」

「その前にいろいろ言い足りねえ。第一! そのアイマスクはなんだ! 中二病だって眼帯くらいでガマンするぞ。両目ふさいでどうする?! 第二! 海のモグサじゃねえ、藻屑藻屑もくずだ! 海にもぐさが生えてたらおかしいだろっ?!」

「そんなの私の勝手です」

「おいっ!」

 啓斗の必死のツッコミをさらりと片付けて、女は部屋の奥を振り返った。そこでようやく啓斗も気が付く。その部屋には、彼ら三人以外にももう一つ人影があった。

「やれやれ。千客万来ですね」

 長いローブに身を包んだ初老の人物は、啓斗を眺めて苦笑していた。こっちが代表か! 完膚なきまでに初動を間違えたと悟った啓斗は、思わず天を仰いだ。

 けれども、見えたのは何の変哲もない天井。

 先は、長そうだった。


 * * *


 代表が説明するには、ここはセント・ノーチラス号という海上国家らしい。セント・ノーチラス号は領土を持たない国で、交易の橋渡しを主な財源として運営しているらしい。

 そんなバカな話があるかと、啓斗は一笑に付した。

 海上国家なんて、聞いたこともない。領海や漁業権の問題なんかどうクリアしてるんだって話だ。

 てんでまともに取り合おうとしない啓斗に対して、代表は根気強く説明を続けた。

 この船の中は安全であること、ここにいる限りはすべてから守られること、衣食住は保証されること。

 手厚い保障に、なんでそこまでして引き止めたいのか、なおさら胡散臭さが募る。

「なんでどこの誰ともわかんねぇオレを保護したりするわけ? オレが犯罪者だったらどうすんの」

「そうだとしても、構いません。あなたがこの地にいらっしゃったのは、神のご意思。我々が受け入れるのは当然です」

「いらねえよ! オレは元の場所に帰りたいんだっ!!」

 啓斗は焦りを感じ始めた。

 さっきから、ずっと同じパターンだ。言葉は通じるのに、会話は通じない。啓斗と彼らとでは、なにか根本的なところで認識に齟齬があった。

 ここは、彼のよく知る日本とは違う。

 紫の長髪なんかした社会人は普通はいない。そんな髪型は、せいぜいミュージシャンか芸人か占い師だけだろう。

 不安が現実味を帯びてくる。


(そもそも、オレはどこで何をしてたんだっけ?)

 改めて、直前の記憶を探る。大きな断絶が起こっている。

 その原因を思い出さないことには、どうにもならないことだけは、理解できた。



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