最果ての海
MAY
ちょっと説明お願いします
いや、倉庫というよりは物置か。あまりに暗くてはっきりしないが、倉庫と言えるほどの広さはなさそうだ。
背中の下は、布が敷かれていた。布団とは呼ぶには無理のある薄い布だったが、ないよりはマシだ。ついでに掛布団もあればさらにいいのだが、そこまでの厚意はもらえなかったらしい。
それはともかく、だ。
「……どこだ、ここ……?」
なぜ自分がこんな場所で寝ているのか、啓斗は全く心当たりがなかった。第一、こんな場所に見覚えはない。
頭がぼんやりしていて、すぐに状況は把握できそうにもなかった。
「気が付いた?」
間近から、女の声がした。思ったよりずっと近くだった。そんな近くに誰かいるとは想像もしていなかった彼は、驚いて飛び起きる。が、飛び起きたとたん、頭を抱えて逆戻り。
「いってぇ~」
「ダメよ、急に起きちゃ。あなた頭を打って倒れてたんだから」
「倒れて……って?」
彼女の言葉に頭をひねる。倒れたとは、どういうことだろう。
熱中症か、事故にあったか。だがその場合、担ぎ込まれるのは病院だ。物置に安置されるのはおかしい。
「ちょっと待って。明かりを点けるから」
彼女は立ち上がって、明かりをつけ始めた。暗い室内にも関わらず、足音には迷いがない。ずいぶんと慣れているようだ。
室内は、ぼんやりした光に照らされはじめた。LEDどころか蛍光灯よりもずっと弱い、頼りない灯りだ。それはどうも、壁に固定された四つのランタンから発されているらしい。
光源を得られたことで、先ほどよりもはっきりと室内を確認することができるようになった。
木の壁で囲まれた、窓のない狭い部屋。六畳一間のアパートと大して変わらない。
寝かされていた場所は物置だと思ったが、違う。理由は、物がないからだ。物のない物置を物置と言っていいのだろうか。というか、ミニマリスト中毒者の部屋だとしても物が少なすぎる。
部屋にあるものといえば、壁のランタンとオレのギター、それから大きめのエコバッグひとつだけだ。ちょっと人間が生活できるとは思えない。
室内に二人の人間がいるにもかかわらず、あまりの殺風景さに、やけに広く感じられた。
「大丈夫?」
「まあ、なんとか」
今度はなるべくゆっくりと体を起こす。幸い、恐れていた頭痛は襲ってこなかった。
灯りを点け終えた女が戻ってきて、すぐ隣に腰を下ろす。腰にはもう一つ、小ぶりのランタンを提げている。そこに揺れているのは、ロウソクとは違う白色の光だった。
「私はセラ。どうして倒れていたのか、わかる?」
セラは、明るいオレンジ色の髪をしていた。たぶん、啓斗と同じ大学生か、フリーターだ。ピンク色のカラコンを付けたくりっとした目が印象的な、可愛い子だった。
「や……ちょっと、わからないっす。そもそもここ、どこですか?」
「ここ? ここは私の部屋よ」
「はあ?」
「あんまり物がないから驚いた? よく言われるのよ」
「……はぁ」
今さっき、人間は生活できないと考えたばっかりなのだが。まさかのここが居住スペースだと肯定され、啓斗は、だんだん腰が引けてきた。
この子、ヤバいかもしれない。
普通、一人暮らしと思われるの女の子が、そこらへんに転がってた男を家まで連れてくるか? 親切なのかもしれないが、一般的には救急車か警察を呼ぶだろう。
(このお姉さん、見た目は可愛いけど……あんまりお近づきにはなりたくないかも……)
どうやってこの場を切り抜けようかと、啓斗は頭を回転させる。
とりあえず近くにあった自分のギターを手繰り寄せた。とっさに逃げなきゃいけなくなったとき、手元にないと持ち帰り損ねる危険があるからだ。
しかしなんでギターが落ちてるんだ? ケースどこやった。
「助けてくれてありがとうございました。でもオレ早く帰らないと」
「帰るって、どこに? そんなに急がなくってもいいでしょ?」
「いや、そういうわけにも。長く倒れてたんなら、家族とか心配してるし」
セラは、言葉の意味が理解できないかのように小首をかしげた。
その姿は小動物のようでとても可愛らしい。可愛いが、これは危険生物だ。
大体、窓のひとつもない部屋に住んでるって時点でまともではない。
「敬語なんて使わないでよ。私たち、ほとんど年変わらないよね」
「そう……かもしれませんけど」
「あなた、いくつなの? あら、私ったら、まだ名前も聞いてなかったわ」
「名前、ですか」
できれば、あんまり身元が分かりそうな情報は与えたくない。
しかし、言わなければ絶対に開放してもらえなさそうな雰囲気だ。
啓斗は、腹を括った。大丈夫、なんとかなる、たぶん!
「啓斗です。ハタチです」
「ヒロト、ヒーロね! よろしく」
にっこりと笑ったセラが差し出した手を思わず握り返す。その手は、期待していたよりもずいぶん荒れて乾燥していた。
「私は十九よ。うれしい、このエリア同世代の人ってほとんどいないから」
同じくらいの年齢の人がほとんどいない?
啓斗の住む市はそんなド田舎ではない。旅行中だっけ?
そういえば大学をサボって海を目指した覚えがある。だとしても、この町だって同じ年代の人間がいないはずはないと思うのだが。
「仲良くしましょ」
「いやでも、オレ帰らないと」
セラに握られた手をほとんどむりやりひっこぬく。
啓斗はギターを握りしめて、一目散にドアへ向かった。
三十六計逃げるに如かず、だ。
「急に動いちゃダメだって!」
制止の声が追ってくるが、無視する。外にさえ出てしまえばこっちのものだ。
ドアのカギはカンヌキ錠だった。開けるのが難しいものでなくてよかったと、ひとまず安心する。
そしてドアを開いて、啓斗はその場に立ち尽くした。
そこに広がっていたのは、ドアだった。右も左も、廊下の向かいにさえ、同じようなドアがずらりと並んでおり、途切れる様子はない。表札があるわけでもなく、ドアの区別をつけることは出来ない。
これだと下手に外に出たら、元の部屋に戻るのは難しい。
外の光景はまったく見えない。出口がない。
「ヒーロ、安静にしててちょうだい」
セラが腕を取って中に連れ戻そうとする。
(冗談じゃないっ)
啓斗はその手を振り払って走り出した。
廊下を右に走る。行き止まり。元の方へ走るも、そちらも行き止まり。
それほどの距離ではない。一分と経たず逃走は終了する。
そしてふたたび、啓斗は立ち尽くした。
出口がない。
階段はおろか、曲がり角さえ、存在しなかった。
本当に、完璧に隔離されている。そんなバカな。
「ねえ、ヒーロ」
背中にセラの声が届く。
「ここはどこだ」
この場所はおかしかった。まともなつくりの建物ではない。根本的な何かが違っていた。
「おかしなことを言うのね。ここは、セント・ノーチラス号よ」
「なに?」
聞き覚えのない言葉に戸惑う。
もう、なにもかもおかしなことばかりだった。
「そんなに元気なら、もう大丈夫ね。じゃあ、代表のところにいきましょう」
出口がない以上、彼女に従う他はない。
肩を落として、啓斗はセラの後についていった。
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