鎧の英雄

 記憶の中の青銅色と純白の輝き、そしてさっき見た、黄金と赤褐色のきらめきが焼き付いて視界から消えない。窓の外、遠い向こうの運動場で黄金と赤褐色、二体の鎧がぶつかり合っている。遠目であり、またわたしもその趨勢を正確に追っていたわけではないからどちらが優勢なのかは判然としなかった。

 じゃり、と、何かが床のガラス片を踏む音がする。視界の端に白いものがちらりと映る。驚いてそちらに目を向けると、何もいない。もう一度ガラス片を踏む音。ただわたしが踏んでいただけだった。

「ユイ先輩、もういい頃合いですから逃げますよ!」

「あ、ああ。そうだね」

 燐の声で我に返って振り向く。さすがに窓際に寄る勇気はないのか、燐はほとんど教室の扉から出るような体勢でこっちを見ていた。

「でも、本当にびっくりしましたよ。あんな優しそうな子がいきなり鎧に変身するんですから」

「そうだね、それは、驚いた」

 木場創、彼の鎧は馬のそれだった。両足は蟻の鎧のように五本指のそれではなく、きっちりブーツ様のデザインをしていた。ただ、靴底のつるりとした様子は明らかに蹄だった。両手も蹄らしい部位が袖のようにガードを固めていた。武器を持つのには少々具合が悪そうだが、その分防御は硬そうである。

「って、驚いている場合でもないですって。さあ、早く行きますよ!」

「分かってる」

 鎧に姿を変えた創は、あの後窓から飛び出して蟻を追跡した。そして運動場での戦闘に至るわけだが、飛び出す前にこちらに避難の方法を指示してきた。曰く、「数分は待て」とのことだった。蟻の鎧は運動場に現れてから、一度運動場から姿を消して(この教室に入ったからだ)、再び現れた。その際、もう一体の鎧も現れたが、どうやらその鎧と蟻の鎧が戦い始めて運動場を離れなくなった。となれば、蟻の鎧が運動場に現れてすぐは恐怖で身動きができなかった人も、今がチャンスと動き出すかもしれない。それならそれでいいが、我先にと逃げ出したパニックで別の被害が生じないとも限らないのだ。数分とは言わずとも一呼吸置くのは悪くない手だった。

 思考を整理するにもちょうどいい時間だったし。

「行こう」

「はい。あ、でも靴どうします?」

「取りに行ってる暇ある?」

「どうせ裏口に回る道中ですよ。それに他の場所もこんな風に窓ガラスが割れてたら、上履きのままだと余計危ないですって」

「それもそうか」

 この学校の正門は運動場から少し離れた場所にある。取りに行ってもそう危険はないし、道中ともなればついでもいいところだ。

「ついでに職員室にあるテストの問題も盗もっか?」

「先輩余裕ありますね……目の前であんなの見たのに」

 空ぶかしだが元気も少し戻ってきたらしい。職員室は運動場に近い一階にあるから近づく気など毛頭ない。

 燐は教室を出た。後を追おうとして、ふと、床に落ちている黒い物体に目が留まる。それは創がさっき落としていった弾倉だった。何に使えるかは知らないが、持っておいて損はないだろうと踏み、拾い上げてスラックスのポケットにねじ込んでから教室を出て、昇降口を目指して廊下を走り出した。

「先輩聞きたいことがあるんですけど」

「後で」

「なんで先輩は鎧獣研究所から呼び出しがかかったんですか? 今の状況と関係があるんですか? ていうかあの鎧なんですか? あれが鎧獣ですか?」

「………………一、知らん。二、正確には『あった』。三、あれが鎧獣という認識で

「今は?」

「どうしても今聞きたいこと?」

「そりゃ聞きたいですよ!」

 燐が声を張り上げる。一方で移動は順調そのもので、今は階段を下りているところだった。この分だと昇降口まではすぐだ。

「たとえば今ここで先輩が死ぬとするじゃないですか」

「いきなり随分不穏なたとえだな。そういうところ嫌いじゃない」

「ありがとうございます。で、先輩はどうも鎧獣について知っているみたいじゃないですか。ここで聞いた何かが極限状態に陥った時、九死に一生を得るヒントになるかもしれないじゃないですか」

「生き残りたいならアドバイスはひとつだけ。口を閉じてさっさと逃げろ」

 昇降口に着いた。それぞれの靴箱に向かい、靴を履き替える。すのこがガタンと音を立てる。後ろに何かがいる気がして振り返る。

 白い鎧が立っていた。

「………………っ!」

 すんでのところで悲鳴を噛み殺して、目を閉じる。少しして、ゆっくり開くとそこには何もいない。離れたところでガタガタすのこが音を立てる。燐がバタバタと足音を立てているだけだった。

 再び合流したところで、燐が口を開く。再び質問攻めになると予期してどんよりしていたが、意外なことに燐の発した言葉は別の話題についてだった。

「人、少なくないですか?」

「人?」

「逃げようとする人たちですよ。そもそもあたしたち、逃げまどう人たちの混乱を避けるためにわざと少し遅れて移動したじゃないですか」

「それなら見事回避したんでしょ。よかったよかった」

「それにしても人がいないんですよ。逃げ遅れた人たちとか、あたしたちみたいにわざと遅れて逃げる人を何人か見ていてもおかしくないと思いますよ」

「もともと放課後だったし、そんなもんじゃない?」

「だといいんですけど……」

「行こう。ただでさえ遅れて避難しているのに、これ以上道草を食ってる理由はない」

 燐の感じる一抹の不安は、実のところわたしも感じないではなかった。ただ、気のせいで済ませることもできる程度であったので、ほとんど無理矢理に燐を引き連れて裏門を目指すことにした。

 その道中、燐の質問は元の鎧獣絡みの話題へ転換した。足を止められるよりはそっちの方が今は助かる。

「先輩、あたしがさっきの鎧について『あれは鎧獣か』って質問した時、『今はその認識でいい』って言いましたよね。あれどういう意味ですか?」

「実際に、あれは鎧獣には違いないと思う。蟻の鎧のやつも、創と合体した馬のやつも、どっちも鎧獣。ただ、いくつか気になる点がある」

「と、言いますと?」

「ひとつは4年前、ある一体の鎧獣を除いてすべての鎧獣は殲滅されたはず。教科書にはその辺、ぼかして書いてあると思うけど」

 つい先ほど、この騒ぎが起こる前に燐は『鎧の英雄』について、「鎧獣を撃退して」云々というニュアンスで語っていた。いかんせん当事者だから鎧獣関連の記述など下手なものならその記述者の数倍はよく知っている。そのため教科書も鎧獣の項目は目も通したことがないが、燐の言葉から察するに、さすがに殲滅したとは記していなかったらしい、まあ、どういう存在であれ生命体一種族を絶滅に追い込んだというのはあまりいい印象はしないし、それにあくまで殲滅というのも当時確認できただけの鎧獣に限られるのでぼかさざるをえないが。

「じゃああれは何ですか?」

「だから鎧獣には違いないって。ただ、どこから湧いて出たのかは分からない。単に生き残りか、4

「飛来、作られた?」

「詳しい説明はしない。とにかく、4年前に殲滅したはずの生物が生きているから不審に思っているってこと」

「それがひとつですか。他には?」

「他は、まあ、あの鎧獣たちが4年前のものと別枠の存在なら別に気にしなくていいと言うか……」

「なんか煮え切らないですね」

「単に4年前に見たやつらと微妙に違うってだけ。4年前のやつらはまず黄金色でも赤褐色でもなかった。ただ、金属らしからぬ色をしているやつも多かった。白とか緑とか。でも黄金色や赤褐色はなかった」

 これについてはサラ――あの馬の鎧獣が気になることを言っていた。ブロンズクラスとかゴールドクラスとか。戦力が上だの下だの。断片的な言葉から推測すれば銅→銀→金と能力が高くなるということだろう。しかしそれはなんというかゲームめいていて、あれでも生命体である鎧獣の性質としては作為的に過ぎる。もっとも、。ともかく4年前にはなかった変な特徴が引っ付いているのは妙に気がかりだった。

「後はこれも細かいんだけど、頭部が変だった」

「そりゃ頭部は変ですよ。蟻はともかく馬は、まんま馬の頭でしたからね」

 そう、創が馬の鎧獣と合体した時、頭部が馬になったのだ。つまり頭蓋骨の形が人間のそれではなく馬のそれになった。一方、蟻の鎧はいまいち判然としないものの人間の骨格に近かったはずだ。

「鎧獣は進化すればするほど、ああいった鎧の姿になった時に骨格が人間に近づくはず。馬の頭部そのままというのはどうも奇妙なんだよなあ。ああそうか、だから蟻の方が能力は上ってわけか」

「ひとりで納得しないでくださいよ」

「とにかく、あまり今は気にしても解決しないことばかりってこと。さっさと走る」

 ゴールの裏門も見えてきた。裏門は裏と言っても生徒の利用が少ないというだけのこと。要するに教職員や来客が車を止めるための駐車場とロータリーのあるところが裏門なのだ。広さだけなら正門と同程度である。

「やっぱり変ですよ!」

 燐が叫んで門を指さす。裏門は開け放たれていて、周囲に人の気配はない。

「運動場と正門は方向が同じですから、みんな逃げるなら裏門から逃げるはずです。それなのにどうして誰もいないんですか!」

「もう逃げたとかじゃなくて?」

「誘導の教員を一人も残さずにですか?」

 そこまで言われて、ようやく漠然とした不安が実体を伴ってきた。確かに燐の言う通りで、生徒ならともかく避難誘導する教員ひとり見かけないというのは奇妙だ。

 だとしたら、何が考えられる? 今何が起きている?

「まさか――」

 ハッと、燐は何かに気づいたようなそぶりを見せる。それを聞こうとして口を開きかけた時、わたしの耳は虫の羽音を聞きつけた。

「行こう!」

 燐を引っ張って裏門へ急ぐ。上から何かが落ちてきて、アスファルトの砕ける重い音が聞こえたが気にしない。しかし音は後ろだけでなく、横からも前からも聞こえてくる。

 雨のように、降ってくる。

 空から降ってきたのは、さきほどと同じ蟻の鎧だった。デザインはほとんど同じ。違うのは黄金のやつより一回り程小さく、黒いこと。そして羽。いかにも虫がつけていそうな、薄羽を背中につけて気味悪く動かしていた。

 あの黄金のやつが一旦下がったのは、これを呼ぶためか?

 ちょっと裏門の前で立ち止まっていただけなのに、あっという間に囲まれてしまう。その数六体。六体の蟻は円形に陣をとって、両手を広げて威圧する。わたしたちを逃がさないつもりだ。

「先輩、大丈夫ですか?」

「なにが?」

「顔、青いですよ」

「………………」

「手も震えてます」

「そりゃこんなの六体に囲まれてたら、怯えもするって」

「本当にそれだけですか?」

 まったく、いちいち、変なところで勘が良い。先程からちらついている白い鎧が、燐にも見えているかと錯覚する。

「怖いのは、こいつらじゃない。さっき、黄金の蟻を見た時に沸き上がった怯えも、最初はこいつらが怖かったのかと思っていたけど、全然違う。怖いのは、別のやつ」

「別?」

 一陣の風が吹いた。瞬間、銃声。正面の鎧がぐらついて、倒れた。

 まるで予想していなかった銃声に驚きはしたが、すぐに流れ弾を避けるために燐を引っ張って一緒に屈む。五体の鎧は、一様に銃声のした方を向いた。そこは裏門の方角だった。

 一人の男が立っている。年は四十代くらい。白髪交じりのダークグレイの髪、蓄えた顎髭、眼光は鋭くこちらを見据えている。白衣に白いスラックスと、白づくめの格好には黒いシミなど一つもない。靴もピカピカに白く磨かれていた。ただ、手に握ったピストルだけが黒い。

 倒れた鎧は黒い砂粒になって消えていく。間髪入れず、残りの五体が男に襲い掛かる。男は右手のピストルを無造作に構え、引き金を引いた。一見して体の力を抜いただらりとした構えだが、その実正確に弾丸は鎧の頭部を捉え、五体の鎧は男の元へ到達する前にたった二体になっていた。わたしの真上で羽音がして、そちらを見ると別の二体が男に迫っていた。わたしも燐を地面に伏せさせて走る。

 道中、崩れていく鎧から腕のパーツを一部拝借する。男は迫る二体の鎧の攻撃を躱していく。鎧のタックルを二度、ひらりと身を軽くよじっただけで避けた。そしてピストルで一体を撃ち殺した。

 わたしは拾ったパーツを左手に持って、空を飛ぶ一体めがけて全力で投げつけた。パーツは完全に粒子へと崩壊する前に空を飛ぶ鎧の一体の羽に当たる。羽は簡単に破れ、鎧は地面に落ちる。着陸自体は成功して鎧は片膝を地面に着けるが、その一瞬の硬直を狙って男は一発撃ち込んだ。寸分の狂いなく頭部を砕く。

 他の鎧は既にほとんどが崩壊している。頭部を先程撃ち抜かれた鎧もすぐに崩れていく。その前に、わたしは鎧の肩を借りて跳び上がった。狙うのは飛んでいるもう一体。元々地面にいる男を狙って急降下する途中だったのだから、高度はもう高くない。わたしの足で容易にその高さには到達する。そのまま背中にドロップキックを喰らわせてやると、体勢を崩して吹っ飛んでいく。その先には男がいるが、やつはそれも無造作にひょいと躱す。男の後ろには再びタックルを仕掛けていた鎧が。二体の鎧は互いにぶつかり合って砕け散った。

 着地する。その場に残ったのはわたしと男、伏せている燐、そして砕けてボロボロになっていく黒い蟻の鎧。

「なるほど」

 男が口を開く。

「この鎧はいわば分身か。も見当たらない。しかし個別に意思を持ちある程度統制もとれるとは、興味深いな」

「もっと他に言うことは? 久しぶりに会ったやつにする挨拶がそれ?」

「一理ある」

 男はこちらに向き直り、乱れた白衣を直しながら言った。

「私の名は木皿儀儀典。何の因果か鎧獣研究所の所長をしている。以後、お見知りおきを」

「それは初対面のやつにする挨拶だ、鎧の英雄殿」

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