鎧獣LOADING
紅藍
第一話 LOADING! その未知なる力、装填せよ
始まりは唐突に
どんな楽しい家族の会話も、恋人同士の睦言も、それが何十何百と集まればただの騒音になる。ベンチに座ったわたしのところにいろんな人たちの声が聞こえるのに、それは何の意味も与えてくれない。
休日のショッピングモールはたくさんの人で賑わっている。クリスマス前となれば尚のこと。三階をぶち抜いた吹き抜けの中央エントランスには、白いクリスマスツリーが高々とそびえ立っている。その周囲、ベンチが並べられたところには買い物に疲れた人たちが一息ついている。わたしはそんな人たちの中に混ざって、腕時計に目を落としていた。
落としていた? なんか他人事だ。
誰かを待っていたのだろうか。分からない。でも、何か既視感がある。
天井を見上げる。ガラス張りの天窓から明るい日差しが降り注いでいて暖かい。昨日テレビで見た週間予報ではここ一週間は晴れるらしいから、ホワイトクリスマスは望むべくもないらしい。
「ユイ!」
誰かがわたしの名前を呼ぶ。声のした方へ目を向けようとした時…………。
わたしの目の前に何かが落ちてきた。上から下へ、そう、音もなく落ちてきた。
それは青銅色の鎧。人に近い姿をしている。こちらに背中を向けている。背中には翼。鳥のような羽根のあるものではなく、虫のように薄く透き通っているのでもなく、布のようにのっぺりとして張っている。翼膜だ。その翼に隠れて、鎧の全貌はうかがいしれない。ただ、太陽の光を受けてギラギラと輝いている。布のように柔らかそうな翼膜まで金属光沢を持っているのは異様に思えたが、それだけが異様なのではない。
左腕が、人の腕じゃない。龍の頭部のような、しかしどこかで見たことがあるようなあの頭は…………。
そこまで考えた時、置き去りにされていたものが一辺にやってくる。天窓の割れる音、砕けて降り注ぐガラス。そして着地の衝撃。床のタイルが砕けて、衝撃で浮き上がったわたしの体もろとも吹き飛ばされる。わたしはツリーの幹に体をぶつけてしまう。幸い、ツリーの枝が傘になってガラス片はほとんどこちらに降ってはこなかった。ただ、背中を強く打って息ができなくなった。体中が痺れて指の一本も動かせなくなる。
鎧がこちらを見た、ように思えた。涙で滲んで様子が分からない。砕けるガラスの音と一緒に悲鳴と怒号が聞こえる。たぶん意味はあったはずの人々の会話は、本当に意味のないただの絶叫になってしまった。
瞼を強く瞬いて涙を振り落とす。ガラス片以外の何かが降り注ぐ音が聞こえて、視界が真っ白になる。ツリーが途中で折れて倒れたのかと思ったが、滲んだ視界が晴れた時、そこにあったのはツリーの残骸ではなかった。
太陽の光とガラス片を浴びて輝く、純白の鎧だった。
「ユイせんぱーい、起きてくださいよ!」
目を開けると、目の前に一人の女子生徒がいて肩を揺すっていた。わたしはほとんどその生徒を跳ね飛ばすように飛び上がって、周囲を確認した。わたしの目に飛び込んできたのは黒板、ロッカー、几帳面に並べられた机と椅子、そして目の前の生徒だった。
「あー、ここどこ?」
「学校ですけど」
「だよね知ってる。ところで今12月だったりしない?」
「今10月ですけど……」
「だと思った」
椅子に腰かける。わたしと女子生徒は机を挟んで向かい合って座っていた。机には問題集の類とノートが置かれていて、女子生徒の方をそれらは向いていた。
ああ、思い出した。
「で、燐、どこまでやったっけ?」
「先輩にちゃんと言われた通り、問題集のこっからここまで、やりました!」
と、石民燐は両手の人差し指で問題集の右端から左端まで押さえつけた。
「なんで今更現代社会なんて教科を復習するのかねえ」
「そりゃ、来週模試があるからですよ。二年生にとってはこの時期の模試は大事なんですから」
「それは分かってるって」
「いや分かってないでしょ先輩。ま、三年生のこの時期になっても勉強せずに眠りこけてるくらい余裕ですからね」
「ついでに出来の悪い後輩の勉強に付き合うくらいの余裕はある。いやだから、わたしが言いたいのは教科じゃなくて復習する箇所なんだって」
問題集を見る。見出しに大きく『
「もっとこう、議会制内閣とか需要と供給とかやった方がよくない?」
「つい一昨年に教科書に追加された内容ですよこれ。なにせ事件自体は4年前ですからね。それでも去年のセンター試験には出なかったって言いますし、今年か来年は絶対出るはずですよ」
「出るといいね。大抵そういう張りは外すためにするものだよ」
問題集から目を離そうとしたが、それがなかなかできない。載せられていた一枚の写真に注意が向かってしまっていた。
それは純白の鎧だった。実物の写真ではないのか光沢はなく、おそらく何かの彫像と思われた。
そういうどことなく輪郭のぼやけた彫像だったし、なにせ問題集の印刷が粗悪なモノクロだったので細部まで詳細には判別できない、それなのに、わたしにはその外見が緻密にはっきりと分かった。頭部の八つの目、体に吸い付いたようにシャープな、鎧を着ているというより鎧が人のフリをしているような全体像。足の指は鎧であるにも関わらず五本に分かれ、がっちりと地面を掴むように湾曲している。異様に長い手の指は、その一本一本が蜘蛛の腕と同じ形をしているのを知っている。
蜘蛛だ。人の姿をしているはずなのに、その鎧が蜘蛛に似せて作られたのは明白だった。
「あー、これ、気持ち悪いですよね」
わたしの視線に気づいたのか、燐もその写真を指差す。
「教科書でもっと鮮明な写真を見た時、虫嫌いの子が気分悪くなっちゃったくらいですよ。鎧でしたっけ? 光沢があって硬そうだからまだあたしは大丈夫でしたけどね。でもカブトムシとかも光沢あるから、あんまり気持ち悪さ変わんないかもしれないですね」
「ふうん」
「でも、なんでこれが『英雄』なんですかねえ? 教科書にも参考書にも『人を襲った鎧獣を撃退し、その後鎧獣研究所を設立した鎧獣研究の第一人者』くらいにしか書いてないですよね」
「鎧獣を倒したから英雄なんでしょ」
「それは、そうなんですけど……」
と、どこか釈然としない様子を燐は示した。いつも思うが、変なところで勘が悪いし変なところで勘が良いやつだ。
勉強を忘れてそんなことを話していると、突然、教室の扉が開いた。反射的に時計を見る。4時35分。誰かが来るような時間じゃない。まあ、放課後の教室に誰がいようと自由だから、来たところで迷惑する理屈もないが。
扉から顔を覗かせたのは、わたしよりは年下そうな少年だった。すわ燐の友達かと思って彼女の方を見たが、燐はキョトンとしている。知らない顔らしい。その少年はキョロキョロ教室を見渡して、わたしたち以外に人がいないことを確認するとおずおずと扉の陰から出てきた。その時初めて、彼の着ている制服が自分たちのものと違うことに気づいた。黒の詰襟。うちの学校のはモスグリーンのブレザーだからどんなにとちくるっても間違うはずがない。他校の生徒らしい。
「あのー…………」
その少年はゆっくりと教室に入る。気まずそうと言うか、気恥ずかしそうな様子でしきりに両手の指が背負っていたリュックのベルトをなぞった。長めの髪と白い肌色が相まって、どこか頼りなさげになよなよとした感じがする。
「この教室に
「ご存じないですね」
反射的にそう言った。筒ヶ原唯とは何かの誤解が無ければわたしのことだが、直感が働いた。
わたしがノータイムでそう言ったのを燐は不審に思ったらしいが、とりあえず話を合わせて首を縦に振ってくれた。
「そうですか……。このクラスに所属しているって話だったんですけど。どこに行ったか心当たりありませんか?」
「さあ? 帰ったんじゃないですかね。受験が近いですから」
「どんな用件なんですか?」
燐が余計な嘴を挟んだ。睨みつけるが、彼女はこっちを見ていない。
「ええっと」
少年は少し悩んだそぶりを見せて、それから話した。
「僕は
「鎧獣研究所?」
「はい。鎧獣研究所です」
さきほど出たばかりの名称だったので、燐が大きく反応した。おかげでこちらの反応を、創と名乗った少年は見なかった。自分では平静を保ったつもりだが、もし動揺していたら危なかった。
「僕たちと言ったな。もう一人いるのか?」
一応、得ておくべき情報があって口を挟んだ。ただ、すぐに口調に警戒心が滲んでいることに気づいて焦った。
「はい。
幸い、創は気づかなかったか。あまり策を弄したり、目の前の人間を疑うタイプではないのかもしれない。ならば彼の情報は正確で、伏兵の余地はないだろう。ここからだと正門の方が近いのだが、面倒を押して裏門から今日は帰るか。
しかしいったい、鎧獣研究所が今更わたしに何の用だろうか。しかも研究所の名前を出せばわたしが自分からコンタクトを取るなんて思い違いもしているし。まあ、そのあたりの確認も含めて密かに接触する必要はやっぱりあるのだろうけど。今相手のペースに乗っかる理由にはならない。
「それではお忙しいところすみません。失礼します」
「どーも」
わたしの捜索に戻るつもりか、それだけ言って創は教室を出ていこうとした。そこで聞き忘れたことがあったというように、コロンボみたくくるりと振り返った。
「ところで本当に心当たりありませんか? 筒ヶ原唯さんがどこかの部活に所属しているとか」
「いや――――」
三年生の10月に部活動にいそしむやつもあるまい。そんなようなことを言おうとしたところで、背中に悪寒が走った。はるか向こうの、次元さえ異なったどこかからこっちを覗く視線のようなものを感じて、ゆっくり振り返る。
教室の出入り口から入って来た創に相対していたわけだから、わたしと燐の二人は教室の窓を背にしていた。振り返るのだから当然、見るのは窓の向こう側の景色だった。ここは三階で、階層は高いわけではないが遮るものもないので運動場の様子を一望することができた。運動場と言っても陸上競技用のトラックではなく、多目的なもので今は部活動での使用もないのか誰もいない。白っぽい砂の敷かれた広い空間の中心に、ポツンと黒い何かがあった。
どうやらそれは人らしかった。
そしてその人物の内から外に向かって、何かが噴き出そうとしている。爆発しそうな勢い。体がむくむく膨らんで…………。
ゆっくり向き直る。燐と創はその様子に気づいていない。この位置だと、何の力も使わずに創を守るのは難しい。鎧獣研究所から派遣されたという彼に、非常事態に対する訓練が施されていることを期待するしかなかった。
わたしは燐の首根っこを左手で掴むと、そのまま引き倒した。一緒にわたしも倒れる。背中をしたたかに打ったが、気にせずわたしと燐の間にある机を蹴っ飛ばす。それと同時に窓ガラスが割れる音。
くるりと半回転して、燐の上に覆いかぶさる。頭を両腕で庇う。床にガラスがばら撒かれて、砕ける音が聞こえた。背中と両腕にいくつか当たったが、刺さったような感触はなかった。
「燐、大丈夫?」
「………………え、あ、はい、え?」
眼前にある燐の目は点になっていた。人間、驚くとここまで黒目が小さくなるのか。いや、今はそういうのを気にしている場合じゃない。
「早く立て。ガラス片があるから両手は床に着くな」
「ああ、はい」
手を貸して燐を起こし、周囲の状態を確認する。窓ガラスは全部粉々に砕けていて、秋の寒風がいやというほど吹き込んだ。燐が風にはためくスカートが気になったのか左手で軽く押さえつけた。わたしはスラックスだったのでそういう動作をしなくてもよかった。
「少し窓ガラスから離れた席でよかった。屈んだおかげで、他の机の影にも入れたし」
「あの、ユイ先輩、何が……」
「話は後、行こう」
振り返る。創は期待していた以上に敏捷で、ちゃんと屈んでガラス片を回避していた。もっとも、彼の立っていた位置はわたしたちよりさらに窓ガラスから遠かったから、案外ぼけっと突っ立っていても怪我はしなかったかもしれない。
「あ、君大丈夫?」
人がいいのか呑気なのか、燐が創に近づく。まあ、実のところはアレがこっちへ一直線に来る可能性は高くないから一息ついて落ち着いてから避難する時間くらいはあるだろう。そう思って今一度窓の方を振り返る。
黄金の鎧が窓のサッシを掴んでこっちを見ていた。
「………………え?」
さすがに目の前にすると、ゾッとした。というか、案外、さっきまでの軽い調子も自分では気づかなかったが空元気だったのかもしれない。
巨大な二つの目がこっちを見ている。いや、巨大というのは正確ではない。二つの目は網の目のようなものが走っていて、わたしの顔が反射して網の目のひとつひとつに映りこんでいる。頭から天に向かって伸びた触角は、一度折れて前方へ突き出している。なにより特徴的なのは、口から突き出してこっちに向かって鋭い断面を見せる大顎。
蟻だ。間違いなく。
「オマエカ?」
鎧の発した声に驚いて、慌てて後ろに飛びのいた。蟻の鎧はきしむような音を立てながら、割れた窓をくぐって教室に入ってくる。その硬そうな外観に反して両腕両脚の稼働は柔軟で、蟻の顔だが指は手足とも五本に分かれているのが確認できた。
「下がってください!」
創がそう叫ぶと、銃声が響いて蟻の鎧に火花が散った。彼の方を見ると、いつの間にかピストルを構えている。あの鎧が怯んでいるところ見ると、ただの玩具ではないし、ただの本物というわけでもないらしい。
十数発の弾丸は一発も外れることなくきっちり鎧に撃ち込まれた。ただ、怯んだのは最初の数発で、後は意に介さないという様子を鎧は見せていた。創がリロードのためにマガジンをピストルから滑り落すと、その隙をついて鎧は床を大きく蹴って接近する素振りを見せた。
「サラ!」
「やっと出番?」
彼の誰かを呼ぶ声に、聞き覚えのない別の、若い女性の声が答える。教室の開いている扉からキラキラと赤褐色に輝く粒子が大量になだれ込んで、上から蟻の鎧にのしかかる。前傾姿勢になっていた鎧はそれで簡単に態勢を崩す。が、すぐに粒子の雪崩を振り払って膝立ちになる。粒子は一か所に集まる。その時、ちらりとビー玉大の輝く球体が見えたがすぐに粒子の中に飲み込まれて消えた。
粒子は集まるとあっという間に馬の姿になって、膝立ちで創の方を見ていた鎧に向かって突進する。鎧は教室の壁に激突、しかしほとんどダメージはないらしくすぐに立ち上がる。そしてこちらに一瞥をくれると窓から飛び出した。
「あれ、逃げたってふうじゃないわね。こっちはブロンズなのに向こうはゴールド。戦力は断然あっちが上。何か企んでるんじゃない? 行くの?」
「行かなきゃ被害が広がる」
燐の方を見る。突然の事態に今までだって相当混乱していたはずだが、いよいよ喋り出す赤褐色の馬が出てきて茫然と立ち尽くしてしまっている。肩を叩いて意識を起こしてやった。
リュックを床に落とした創は、その中からベルトを取り出した。ガンベルトのようなもので、それをさっと腰に巻く。腰の右側にピストルを収めるホルスター、左側にマガジンを収めるホルスターがある。ホルスターもベルトも、サラと呼ばれた馬と同じ赤褐色で金属光沢がある。ベルトを巻くカチャカチャ音で、それが金属製だと分かる。
創はマガジンをベルトから抜き取ると、それを右手に持ったピストルに差し込んだ。そして顔の高さまでピストルを持ち上げると、はっきりとした発声で宣言する。
「
そしてホルスターにピストルを戻す。少し遅れて、ピストルから機械音が聞こえる。
『HORSE:LOADING』
変化は劇的だった。そしてそれは、驚異的だった。
動く鎧の出現に恐怖こそしたが驚かなかったわたしでも、さすがに驚いた。
赤褐色の馬が再び粒子の塊に変わる。粒子の群れはあっという間に創の体を包んでいく。一方で創の体からも、わずかながら同じ赤褐色の粒子が浮き上がっていく。そして次に粒子が確実な実体を持った時、創の姿も馬の姿も消えて、目の前に赤褐色に輝く鎧が現れていた。
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