3-2
「レオ、何するつもりだ。アンタみたいな非力なやつ、俺達は子どもでも簡単に、倒せる」
最後の言葉を躊躇するように敢えて選んだのは、スワントの優しさだろう。
「大丈夫、何とかなりますって。多分、きっと、恐らく……」
笑えないほど自信ない語尾は消えていく。
「……テメェ、いくら契約書にサインしたからってな、マジで命張る必要なんてどこにもねぇんだ。死ぬ必要ねぇときに命賭けてんじゃねぇよ」
準備運動を進める玲央奈に、淡々と言葉を紡ぐサカモトの声を「あーあー」と耳を抑えて聞こえない振りをする。今日一番のサカモトの真面目な顔に、玲央奈の心が少し傷んだ。だが、今はそのまま心を痛めているわけにはいかない。
「……私、子ども好きなんですよ。人だろうが獣人だろうが関係ない。どんな子も可愛いと思うんです。好きなものは好きだし、可愛いものは可愛い。それに、私にはあの子がただ、樹の上から降りられなくて怯えてるようにしか見えない。なら、助けに行くのが大人の仕事だと思うんです」
あと、サカモトさんのこと信じてますから、何かあったらよろしくです。
そう微笑めば、サカモトは「もう好きにしろ」と顔を反らし、その場に座り込んだ。
正直、作戦なんて何もない。成り行き任せのところも否めない。ただ、あそこで苦しんでいる子どもがいる。進む理由はそれだけでいいんじゃないだろうか。
玲央奈はゆっくりと湖に足を進めた。
水位は進むにつれて深くなり、樹の下に着く頃には玲央奈の胸の辺りにまでになった。
よし、あとは樹に登ればいいだけ。まぁ、その後はなるようになるだろう。
両手を樹の幹に合わせ指先に力を入れ登っていく。よし、ちゃんと登れる。子どもの頃木登りやっててよかった。玲央奈は心の中で小さくガッツポーズをする。
しかし、登るにつれ、子どもが警戒し後ずさっていくのが見えた。
「えっと……大丈夫だよ。君のこと迎えに来ただけだから」
暴走状態でこの子の耳に届くかはわからないが、それでも玲央奈は優しく声をかけ続ける。
「君のことを待っている人がいるの。心配して泣いている人がいるの。何も怖がることなんてないの。ただ、私は君のことを迎えに来ただけだから。だから、一緒に皆のところに帰ろう?」
玲央奈の差し出した手に少し戸惑う様子が見て取れた。大丈夫だ、ちゃんとこの子の心に玲央奈の声は届いている。
「さぁ、帰ろう」
差し出した手に、少し戸惑い気味に小さな手が伸ばされる。あと少し。あと少しで手が届く。
その瞬間、嫌な音が響いた。
バキ、バキと、子どもの乗っている枝が悲鳴を上げている。
まじか。ここまで来てそれはないでしょ。
ゆっくりと折れ曲がっていく枝が、玲央奈とその子との距離を広げていく。
「っ、くそがぁあああああああああ」
樹を蹴り、その勢いで子どもの腕を掴み、自分の懐に抱きよせる。この子だけは何としても守らなきゃ。
水面に叩きつけられる背中の痛みも気にせず、玲央奈は子どもを抱きしめたまま水中で意識を手放した。
目を開けると、サカモトの笑みがドアップで眼前に広がっていた。
「ぎゃあああああああああああああああああああ」
玲央奈の叫び声を聞き、「あ、目が覚めたんですね」という呑気な声と共にミヤとハチヤがひょっこりと顔を覗かせた。
「なぁなぁ、俺のこの愛らしい顔見て叫ぶとかコイツなくねぇ?」
「そうですね、レオも正常な反応で異常無いようですし、良かったんじゃないですか」
「ハチヤ、酷くね!?」
コントのようなやり取りをする2人はスルーし、ミヤが「ここが何処だかわかりますか?」と横たわる玲央奈に話しかける。
えっと……と視線だけ動かし状況を把握する。
「私達のベース、ですよね」
「はい。どこか体に違和感はありますか」
「んーと、大丈夫みたいです」と言いかけて、玲央奈はハッとする。
「あの子! 獣人のあの子どもはどうなりました!?」
勢いよく飛び起きたせいか玲央奈の視界がぐるりと回る。そのまま倒れかけたが、ふら付く身体が誰かの手で支えられた。
視線を向ければ少し仏頂面したサカモトの手が玲央奈のそこにあった。
「アイツなら無事だ」
玲央奈の問いに答えたのは少し離れたところにいたスワントだった。
「俺達の弱点である大量の水に触れ、意識を失っていたが今し方目を覚ました。水に入ったことで冷静になったのか暴走も収まった。それに、レオのお蔭で大した怪我もなかった」
感謝する。
そう言ってスワントは頭を下げた。
「え、あの、そういうの止めてください。結局私は何もできなかったわけですし」
そうだ、結局玲央奈は何もできず、あのとき意識を手放してしまった。獣人の弱点である水に落ちた時点で、下手をすればあの子どもは死んでいたかもしれない。玲央奈の無計画な無茶によって。自分の力などではない。玲央奈は無力だ。たまたま、運よくあの子どもは救われたのだ。
「いや、レオのお蔭だ。あの状況では俺達の選択肢は傍観か排除しかなかった。これは本来、俺達の責務だった。いくら契約してるからといっても、それを関係のないお前達に任せてしまった。済まなかった」
今一度、モライを代表して感謝する。
スワントは更に深々と頭を下げた。
「そんな、顔をあげてください。……頭を下げないといけないのは私の方。私の軽率な行動であの子を危険な目に合わせたのには違いありません。……でも、無事でよかった」
目頭が熱くなる。でも、ここで泣くのは違う。ここは笑うべきところだ。そう自分に言い聞かせ玲央奈は笑みを作った。
「だけど、モライを代表してなんてスワントさん大袈裟すぎじゃないですか?」
まるでお偉いさんみたいな……、そう言いかけてハッとする。周りの空気が妙におかしい。ミヤやハチヤはそれぞれ明後日の方向を向きながら「あ~、いうの忘れてた」みたいなしまったという顔をしているし、スワントはスワントできょとんとしている。そんな中、あっけらかんとした表情で
「は? スワントはモライの代表だぞ」
サカモトが決定打を打つ。
ですよね、なんか今そんな空気してましたぁああ!! でもまさか、ガテン系のノリのいいこの狼さんがこのモライの代表とか分かるはずないじゃないですか! 街に溶け込みすぎだろ代表! 気さくすぎるだろ代表! ティッシュ風呂したいとか可愛すぎだろ代表! ギャップあり過ぎだろ代表ぉ!
玲央奈の頭で脳内主張が繰り広げられている中、サカモトがニヤッと笑った。
「あぁ~あ。この世界のお偉いさんにそんないいぐさしちゃってさ~」
「サ、サカモトさんだって私以上に馴れ馴れしくしてるじゃないですかっ」
いつまでもニヨニヨしているサカモトに慌てふためく玲央奈。
そんな2人を見つめスワントは優しく微笑んだ。
「気にするな、レオ。俺はアンタを気にいっている。今回の一件で更に気にいったぞ。何も気にせず仲良くしてくれ」
なんだこのお兄さん、懐でかすぎる……。ときめきで緩む口元を右手で覆う。油断すればキュン死にさせられる。
「あ、ありがとうございます」
これ以上ときめきを与えられる前に話を戻そう。身が持たない。
「でも、ほんとあの子が無事でよかったです」
「……つか、自分の心配よりも他人のことかよ」
玲央奈に聞こえないよう呟かれた、拗ねたようなサカモトのその物言いに、ミヤとハチヤがニヤニヤする。
それをどう勘違いしたのか、
「もちろん、サカモトも気にいってるからな!」
どや顔でそういうと、スワントはアハハハと笑った。
と、不意に思い出したようにスワントが言葉を紡ぐ。
「あぁ、そうだ。レオもお礼を言っておくといい。あの後湖からアンタを引き上げたのはサカモトだからな」
「へ?」
「な!」
言葉を失ったサカモトの代わりにハチヤが口を開く。
「えぇ、モライの獣人は水が苦手ですから、湖に落ちたレオ達を助けられません。しかし、そのお蔭でサカモトさんのあんなに焦った顔、初めてみました」
意識のないレオを抱えて、レオが、レオがって動揺して、慌てふためいて、騒ぎまくって……。
「ありがとうございます、レオ。貴重な瞬間でした」
微笑み親指を立てる2人に「はぁ!? 俺そんなんなってねぇし」と言い返すサカモトが支え続けてくれている手は、何よりも温かく、微笑ましく、優しく玲央奈の心に響いた。
チッと舌打ちしながら、サカモトがポケットを漁る。取り出された携帯が、その瞬間ピピピピピと音を立てた。
「お、もう時間だな。ほい、本日の案件も無事終了。お疲れさん」
そう言ってサカモトは玲央奈の背中をバンと叩いた。もちろん、力加減はしてある。これがサカモトの照れ隠しだということをそこにいた誰もがわかっていた。
「レオ、もう立てんだろ。さっさと帰るぞ」
そう言ってサカモトはスワントに軽く手を上げると、そそくさと進んでいく。
「ちょ、待ってくださいよ。サカモトさん!」
急いで立ち上がれば、スワントと目が合う。
「また、いつでも来い。歓迎する。待ってるぞ」
ニカッと笑い、手を振るスワントに
「はい!」
玲央奈は大きく返事をし、手を振った。
「さぁ、ハイハイ。帰るまでがクエストだからなぁ」
先を歩くサカモトの声を聞きながら、振り返りモライに向かって一礼すると、玲央奈は扉の向こうに向かう3人の背中を追いかけた。
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