2-2
GKパイプテントが張られた下に段ボール3箱が置かれていた。どうやらここがサカモトの言うベースらしい。段ボールを開ければそこには、これでもかと言わんばかりにぎゅうぎゅうに詰め込まれたポケットティッシュが入っていた。
それをカゴに適当に突っ込みサカモトが「ほらよ」と玲央奈に渡す。他の2人はもう既に配布を始めていて「どうぞ~」なり「ティッシュで~す」なり声を出している。一応言葉は通じるのか。
「とりあえず、ここにあるのが今日のノルマ。大体いつもは時間内ギリに終わる。基本、1人に対して1つ配布だけど、欲しいって言われたらいくつ渡しても問題ねぇから」
それだけいうと、サカモトは自分の仕事を始めた。まぁ、要は普通のサンプリングと変わらないわけか。
しかし、さて、どうしたものか。自分が培ってきたのは対人間に対してのサンプリング方法だ。対獣人となるとどうしていいものか想像もつかない。
などとボーっとしていると、狼と目が合った。
どこぞの風景がプリントされたシャツにダメージジーンズ。更には革ジャンを羽織っている二足歩行の狼だ。顔の造形のせいか、かけているグラサンは少し鼻先の方にずれ、故に本来それで隠すべき鋭い眼光は丸見えである。だが、それも狼には良く似合っていた。それはもう見事な着こなしで、白のポロシャツに黒のチノパン、地味目のスニーカー姿の玲央奈とは生きている階級が違う気さえした。目が合うとその狼は、フシュフシュと荒い息を漏らしながら、玲央奈の方へと近づいてきた。ゆっくりと、ゆっくりと……。
―――そう、つまりこれは、冒頭に戻る、というやつだ。
玲央奈の前で狼は立ち止まると「おい」と地を這うような低い声をかけてきた。
「ネェチャン、アンタ初めての匂いだな。新入りか?」
警戒気味の低めの声、毛並みも少し逆立っている。身長差から、かなり上から見下ろされる格好になる。なるほど、これが俗にいうチンピラに絡まれているという状況か。ギラリとした眼光と鋭い歯から滲み出る雰囲気は威厳。こりゃあ下手なこと言えないってヤツかな。認められないと喰っちまうぞ的な? 玲央奈も警戒気味に、しかし、それを相手に悟られないよう上辺だけではない笑顔を作る。
「はい、今日からお世話になります! あ、良かったらティッシュどうですか。たくさんあるんで。てかまぁ、寧ろ私的には早くなくしたいからたくさん貰って欲しいです!」
そう返せば、狼は鋭い眼を大きく開け、暫し驚いた様子だったが、すぐに吹き出して大声を出してゲラゲラと笑い始めた。そして、更にテンションが上がったのか玲央奈の背中をバシバシと叩き始める。痛い。もう少し力加減というモノを考えてほしい。少しは体格差を考えてください。
されるがままになっている玲央奈を横目に狼が「サカモト、サカモト!」と大声でいつの間にか遠くへ配布に行っていたサカモトに声をかける。
「コイツ、やべぇな。面白いぞ!」
「そうだろ、そうだろ!」
顔見知りだったらしい2人はひたすらニヤニヤし合っている。何が面白いというのか。
「なぁ、ネェチャン。アンタの名前は?」
不意に玲央奈の方に顔を向けた狼の眼は新しいおもちゃを見付けた子どものようだった。不意打ちすぎて思わず漏れそうになった悲鳴を飲み込む。
「えっと、レオ、です」
「れお、レオ、レオな! よし、匂いも名前も覚えたぞ」
上機嫌な狼に笑いが漏れそうになる。
「あの、良かったら私も名前聞いていいですか?」
いくら心の中だとはいえ、狼というのもなんだか失礼な気がした。だがその瞬間、聞いたことを後悔した。ここに来る前、私は言われたじゃないか。本名は禁止だと。それは名乗れば何かがあるということではないのか。例えばそう、名前がわかっていれば相手を意のままにできるとか……。
しかし、そんな心配をよそに
「ん、あぁ、スワントだ」
あっさりと狼は名前を教えてくれた。え、大丈夫なのか。これ。
「レオ、ちゃんと俺の名前覚えたか?」
「あ、はい。スワントさん、ですよね」
そう名前を呼べば、スワントは大きく頷いて
「合ってる、でも、さんはいらねぇ。レオもサカモトみたいに呼び捨てでいい」
そういってにかっと笑った。
ノリのいいガテン系のお兄さんみたいだ。それから、辺りを見回すと、大きな体を隠すように小さく丸め、スワントは玲央奈にこそっと耳打ちをした。
「てぃっしゅ、ホントにたくさん貰ってもいいのか?」
不安そうに小首を傾げる姿がなんだか愛らしくて
「もちろん、二言はありません!」
なんだこのギャップ。
玲央奈のハートはいとも簡単に掴まれてしまった。
その後ティッシュは、スワントと後から来たスワントの仲間達が半数以上持って行ってしまった。
ちなみに、大量に持ち帰ったスワント達は「てぃっしゅはフワフワしてっから触ると気持ちがいい」とティッシュ風呂にして過ごすつもりらしい。絶対にスワント達の方がフワフワして気持ちいいと思うのだが……。しかし、需要はどこにどうあるのかわからないものである。用途も人それぞれなわけだ。
そんなわけで、半数以上無くなったティッシュは、それからあっという間に配り終えられ、B班担当地区の配布はすべて終了。配布開始から3時間も経たないうちに今日の配布分は無くなってしまった。かくして、本日のお仕事も終了となったわけである。
さて、残り5時間どう過ごしていいものか。もう帰宅してもいいもんなのか。玲央奈はベースに置いてあったパイプ椅子に腰かけぼーっと空を見上げていた。
「お疲れっ」
声と共に冷たい何かが不意打ちで玲央奈の頬にあてがわれる。ひゃっと声を漏らせば、サカモトがゲラゲラと笑った。
「サカモトさん、そういうの止めてください」
呆れ気味に言葉を紡げばサカモトが更にゲラゲラ笑う。
差し出されたペットボトルを受け取ると、隣のパイプ椅子にドカッとサカモトが座った。
「今日はレオのお蔭で仕事が早く終わったわ。ここまで早いのは初めてだぜ」
まぁ、大半はスワント達が持って行ってくれたお蔭なわけだが。
この数時間で何となくサカモトという男がどんな人物なのかわかった気がする。サカモトは何もかもを楽しむ人なのだ。それがいいか悪いかは置いておいて、だからこそ玲央奈のこんな態度にも笑って対応できるのだ。
「しっかし、スワントがあんなにティッシュに興味あったなんて知らなかったわ。いやそもそも、モライの獣人達はあれでも警戒心強い種族だ。俺だってここまで打ち解けるにはそこそこ時間がかかってんだ」
確かに玲央奈達にとってここが異世界であるように、スワント達にとっても玲央奈達は未知の異世界の住人なのだ。警戒しない方がおかしい。それなのに、スワント達はあっさりと玲央奈を受け入れた。きっと先任であるサカモト達の努力のお蔭なのだろう。
「だけどまぁ……、お前の配布っぷりには笑わせてもらったわ」
思い出したようにプッと噴き出すサカモトに玲央奈は軽く憤慨した。
スワントとの一件で、獣人といっても人間とそう変わらないのだと感じた玲央奈はちょっとだけ本気を出してみたのだ。いつも人間に対してサンプリングしているようにターゲットを決めて、相手のパーソナルスペースに自然に入り込み、手元にティッシュを差し出す。急に出されるティッシュに反射的に手を差し出す獣人達の手に流れるように置いていく。ただそれだけのこと。それを笑われるなんて心外である。
「サンプリング経験者とは聞いてたが、あそこまで神がかってるのは初めて見たぞ」
未だくすくすと抑えきれない笑いを漏らすサカモトに、玲央奈は話題を変えることにした。
「そういえば、他の御二方の姿が見えませんけど」
あぁ~、と喉を鳴らすと
「ミヤとハチヤはちょっと別行動な。まさかサンプリングがここまで早く終わるなんて思ってなかったからな。モライ郊外の方まで足を延ばしてんだ。アイツらは本来、そっちが今回の仕事だから」
と、パイプ椅子をギシギシ軋ませながら何てことない様子で答える。
意味が分からず玲央奈が首を傾げていると、苦笑気味に「さて、どれから話したものか」と呟いた。
「レオ、お前契約書はちゃんと読んだか?」
玲央奈はコクンと頷く。
もちろん、ちゃんと読んだ。あれには職務中に得た情報は漏らさないなどよくある内容が記載されていたはずだ。
「そこに何か違和感があったはずだ」
今回はモライだから……こんな感じか、そう呟きながらサカモトはポケットから出した紙とペンでさらさらと何かを書いて玲央奈に見せてきた。
そこに記されていたのは、丸や三角といった記号の羅列だった。
「あ」
確かに見た覚えがある。でも、それはただの模様だと思っていた。
「これな、モライの文字なんだわ。んで、『死んでも自己責任です』てなことが書いてあるわけよ」
「はぁ!?」
自分のどこからそんな声が出たのか分らないほどの大声が出た。そんなこと聞いた覚えはない。死んでも自己責任ってどういうことだ!
開いた口が塞がらず、戦慄かせている玲央奈を横目に「契約書はちゃんと読まなきゃダメだろ~」とニヤリとサカモトが笑う。
「だが、そう心配すんな。異世界に行けるレベルと判断された奴にしかその契約書は提示されねぇから。仕事の電話のとき、日給の少ない仕事もあるって言われなかったか? 行けないレベルと判断された奴にはそういう仕事しか回されねぇんだよ。それにお前の登録対応したの服部ちゃんだろ。アイツあんな風だが見る目だけは確かだからな」
あの癒し系チワワという存在の尊さは認めよう。しかし、見る目が確かなんてこの際問題じゃない。何をどう心配しないでいられるものか。
「つか、異世界に急に連れてこられて初見が喋る獣人だってみろ。普通の神経の奴なら卒倒もんだと思うぞ」
……くっ、何も言い返せない。確かにスワントとの初接触の時、多少の警戒はしたものの「あぁ、これ終わったわ~」なんて呑気に考えるばかりで、特に恐怖は感じなかった。寧ろ、多少強気に出なきゃなんて思ってしまった。これじゃあ、普通の神経じゃないって体現しているようなものじゃないか。
「……そういえば、ミヤさんとハチヤさんは本来サンプリングがお仕事じゃないってことでしたけど、今回は何のお仕事で来てるんですか?」
悔しさから少し拗ねたような言い方になってしまったが、気にせずサカモトに聞いてみる。
「日給高めの仕事の依頼元が特殊って話、服部ちゃんから聞いたか?」
「あぁ。えぇ、まぁ」
電話越しにプルプル震えるチワワさんがそんなことをちらっと言っていた気がする。
「この仕事の依頼元、政府なんだわ」
「は?」
「異世界なんて存在を知っちまったからな。知らないものは調査するしかねぇ。だから現地調査とその世界の住民との交流。それが俺らの仕事ってわけ」
なんか、大それた話になってきた。ってことは、出発前にスーツとグラサンかけてたあの人は政府の人間なのか。普段使わない頭の一部のフル活動に玲央奈は軽く眩暈を覚える。
「んー、じゃああれですか。本名出さないのも異世界の住人に正体ばれて魔術とかに利用されない為ですか?」
そう問えば、サカモトはきょとんとし、それから思い出したように大爆笑し始めた。……殴っても許されるだろうか。固く握りしめた右手が震える。
「少なくともモライの住人には俺達の字は読めねぇよ。言葉は通じるが、文字の概念がちげぇんだ」
確かに、さっき見せてもらったモライの文字はただの記号のように見えた。
「この名札は俺達同士の認識の為、かな。名前覚えらんねぇと呼び方に困るだろ。本名を知られたくないのはまた別の奴らさ」
ま、そっちの話はおいおいな……。そう意味深気にサカモトが呟く。
「あ、ちなみにレオ、お前MRIってゲーム知ってるか?」
玲央奈が何か口にする前にそう言ってサカモトが何か企みを含んだ笑みを浮かべた。うまいことはぐらかされてしまった気がしないでもないが、そこはまだあまり突っ込まない方がいいのだろう。
「あぁ、聞いたことあります。確かシナリオがクソで、何が目的のゲームなのかわからない。後半は文字化けだらけで理解できず先に進めないってネット上で結構叩かれて有名でしたよね」
「おう、あれな。この異世界がモデルのゲームなんだわ」
「え?」
「M・R・I。モ・ラ・イ……ってな」
サカモトは自分で言っておいてゲラゲラと笑っている。
……情報過多でそろそろ私の頭爆発するんじゃないかな。
サカモトに気づかれると面倒なので、玲央奈はそっと息を吐いた。
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